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パリ・東京雑感|バイデン大統領に突きつけられた匕首 「盗まれた選挙」神話の有効期限は?|松浦茂長

バイデン大統領に突きつけられた匕首 「盗まれた選挙」神話の有効期限は?
The Art of the Lie? The Bigger the Better

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

襲われた議事堂

アメリカ大統領が民衆を扇動して議会に乱入させ、「選挙で勝ったのは自分だ」と認めさせようとするなんて、三流国なみのていたらくにわが目を疑ったが、もっと不可解なのは、民主主義の神殿が汚された後も、共和党支持者の73パーセントが選挙はインチキだったと答え、国民の32パーセントが相変わらず「バイデンは正当に大統領に選ばれなかった」と信じ続けていることだ。時が経てば気が変わるだろうか?トランプがまき散らした「盗まれた選挙」の神話は、時と共に消えてゆくだろうか?

20世紀の最も悲劇的な政治的うそと言われるのが、第一次大戦後ドイツで生まれた「匕首伝説」である。ドイツ帝国崩壊のただ中、保守勢力は敗北を認めなかった。「我々は、戦争に勝利しかかっていたのに、以前から和解の平和だけを欲していた抜け目のない連中が、政権を握って戦闘を断念し、革命が起こり、我々の戦力を奪う休戦が締結された……」。匕首、すなわち社会主義者とユダヤ人の裏切り・陰謀が背後から兵を刺さなければ、ドイツ軍は負けなかった、と説くのである。過酷な賠償を課せられ、インフレに苦しめられたドイツ人は、裏切りの神話=「匕首伝説」に飛びついた。しかも、この「うそ」は時と共に弱まるどころか、ますます強い牽引力を持つようになった。
ヒトラー成功の核心はここにある。敗戦、失業、外国からの辱めに痛めつけられたドイツ人は、名誉、国の誇り、偉大さに憧れ、「裏切り者」である左翼とユダヤ人殲滅を叫ぶヒトラーのプロパガンダの虜となった。現実から遊離した虚構世界が力をふるい、パラノイアの熱狂のなかで、「うそ」を嘘と言うものには危険な非国民のレッテルが貼られる。屈辱のため、真実に直面するのを避け、ドイツ人の多くは悲劇的妄想にはまっていったのである。

ジョージ・ケナン

「うそ」をつくのも政治家の才能かも知れない。それも大きな「うそ」。
1944年、ジョージ・ケナン(冷戦戦略の構築者)はモスクワの米大使館から「うそ」の魔術的力について警告する電報を送った。「人間には奇妙な性質があることが、ソ連体制によって明らかになった。人はどんなことでも信じてしまうのだ。いかに真実から遠いことでも、信じる人にとっては真実になる。それは真実の持つすべての力と正当性を奪い取ってしまう。ここでは権力者が『真実』を決めるのである。」
日本は正直な人が圧倒的に多いので、ケナンが何に驚いたのか想像をめぐらすのが難しいだろうが、共産主義体制崩壊前後にモスクワで暮らした僕には、「人間にはどんな嘘でも信じてしまう本性がある」というケナンの驚きはよく分かる。
ソ連崩壊の直後、『アガニョーク』という人気雑誌を読んで、ベテラン助手が「松浦さん、特ダネです。ゴルバチョフがエリツィンに政権を引き継ぐとき、話が深夜まで長引いた理由が分かりました。ソ連には、地図にも統計にも載らない秘密都市がまだまだ沢山ある。秘密都市の人口を足すとソ連の人口は2億8000万人ではなく、実は4億であり、食糧不足の真の原因はそこにある、と真相を伝えたので、エリツィンは大ショックを受け、納得させるに深夜までかかった、と書いてあります。」と興奮して言う。ぼくが「ガーリャさん。その記事、信じる?」と聞くと、彼女は「この国では何でも起こり得る。記事はきっと本当です」と断定した。彼女は、ロイター通信やワシントンポストで働いてきたベテランだが、エイプリルフールのおふざけ記事を真に受けてしまうとは、やっぱりケナンの言うソ連人間だったのだ。

様々の訴えを(1991年3月モスクワ)

でも、嘘と本当の区別がぼやけてくるのも無理はない。共産党支配下の新聞を読んでも肝心のことは何もわからない、口コミでかろうじて真相らしきものが伝わって来た国だ。ゴルバチョフ時代の末期に、クレムリン下の広場にいろんな訴えを持った人がテントを張って座り込んだことがある。ある女性は「私は存在しない学校の教師として30年間給料を貰っていた」と言う。計画経済の国だから、数の上では学校数が計画どおりでも、その中には紙の上だけの学校もあり、紙の上だけの先生もいたということらしい。この時もガーリャは「この国では何でも起こり得る。彼女の話を信じます。」と言っていた。
その裏返しに、ある老婦人は「ソ連が宇宙に飛行士を打ち上げたなんて、嘘に決まってます。冷蔵庫はすぐ壊れる、テレビは火を噴く、行列しても肉が買えない、こんな暮らしの国に宇宙ロケットなんて作れるはずがない。あれは全部セットで撮影したフィクションです」と不信の固まりだった。
リトアニア(当時はソ連の一部だった)の青年が「この国はアリスの<不思議の国>です。何もかも逆さま。」とうまい形容をしたけれど、なるほどそう思えば何もかもフィクションのように見えるし、逆に見方によってはどんな奇想天外なストーリーも事実に思えてくる。つまり事実と嘘を見分ける目印が消えた社会だったのだ。

トランプが敬愛したプーチンも「うそ」が上手だが、ニュースクール大学のニーナ・フルシチェーヴァ教授によると、彼の「うそ」は戦術的、日和見主義的なのだそうだ。森羅万象を描き変えるような「うそ」ではなく、プーチンは現実世界に身を置いている。他方、トランプの「うそ」はプーチン流ではなくスターリンに近い。1930年代はじめウクライナに破滅的飢饉を引き起こし、数百万人の農民を殺しておきながら、「同士諸君、暮らしは良くなった。農民は幸福になった」と言い放ったスターリン。これこそ大きな「うそ」であり、「現実を全部ひっくるめて描き変えてしまう。全体ひとつながりで破れ目や穴はない。すべてをそっくり受け入れるか、すべてが崩れ去るか」の完璧な虚像。この種の大きな「うそ」こそ強権支配の秘訣なのかも知れない。人間には大きな「うそ」に引き寄せられる本性があるから……。幻想共有による憤怒のユーフォリア、集団ナルシシズム……。

トランプの虚構世界に住む人たちの思考はどんなものなのか、ニューヨークタイムズから拾ってみよう。
――サウスカロライナの教会の仲間と連れだって議事堂前のデモに参加したアビゲイルさんは、バイデン政権になると子供がどうなるか心配だと、途方に暮れた様子で泣き出した。彼女の夫は子供たちに、「バイデンが大統領になったら、聖書の中味はヘイトスピーチだと教えられ、聖書を捨てさせられる」と説明したという。
――年金生活者のシーダさんは、議会襲撃について広く流布されている陰謀論を口にし、議事堂を襲ったのはトランプ支持者ではない。アンティファ(反ファシズム左翼)とブラック・ライブズ・マター(黒人権利擁護)の連中が、白人クリスチャンに扮装して乱入したのだと熱っぽく語った。そして、彼女のフェイスブックに「バイデン政権になると子供は両親から取り上げられる」という情報が入ったので、「これからどんなことが起こるのか、何も分からなくなりました。」と途方に暮れた様子だった。
――マスクをかけなかったり、ワクチンを拒否したりすると、強制収容所に入れられる。そんな社会でOKか?悪を阻止するためには武器を使って闘うべきだと思う。
――ノースカロライナのバプティスト教会から、議会前デモにやって来たオーレンさんは、「トランプはイエスを信じる最後の大統領だ」と言う。(バイデン大統領は、就任演説でアウグスティヌスと聖書を引用したし、トランプと違い教会に通う信者だ)
この人たちは、議会に突入した狂信的白人主義者ではない。議事堂前の集会に参加したとしても、ごく普通の市民たち。看護師とかトラック運転手とか地味な仕事をしてきた人々が、ここまで現実と遊離した考えにはまりこんでしまうとは!アメリカもアリスの「不思議の国」になってしまったのか?
ニューヨークタイムズのコラムニスト、デイビッド・ブルックによると「トランプ主義の核心は、他の一切の義務・責任を裏切らねばならないことだ。真実、道徳、イエスの山上の垂訓、保守主義の原則、憲法――これらすべてに背くことを強要される。従って分断は神学・哲学の次元ではない。現実から遊離した者と、まだ現実世界に留まっている者との分断である。」
「うそ」によって味方集団の絶対的忠誠をとりつけた天才と言う点で、トランプはヒトラー、スターリンに負けなかったのかも知れない。不気味なのは、これが孤立した現象ではなく、ハンガリーのオルバン、イギリスのジョンソン、ポーランドのカチンスキなど小トランプが、地球のあちこちで「うそ」による社会分断を深めていることだ。全地球規模で民主主義という繊細な文明から、分断の野蛮へと退行が起こっているのだろうか。ハンガリーの政治学者ペテル・クレコはこうした現象を、自集団のみが優れ他集団は道徳的に劣等とみなし、一切を善と悪、白と黒の闘いとみる「種族心理」tribal mind-setと呼んでいる。(たとえば攘夷や鬼畜米英などもこれに入る?tribalismはその原始的心性を強調するため、部族主義と訳すべきだが、ナショナリズムを部族主義とするのは日本語に馴染まないので種族主義と訳しておく。ベストセラー『反日種族主義』の英語タイトルもAnti-Japan Tribalismとなっている。)

「種族主義政治術とは、現実自体を創り出してしまうこと。うそは真実となり、一切合切を世にも簡単にすっきり説明してしまう。政治は善と悪の闘いとなり、種族の親分への無条件忠誠が要求される。もし自分の陣営に批判がましいことを言えば、その者は裏切り者として種族から追放される。こうした政治の危険は、種族主義が民主主義と相容れないという点だけではない。種族主義こそ政治の自然な形態であり、民主主義の方が逸脱なのだと言う事実の中に、一層大きな危険が潜んでいる。」

フランシスコ教皇と会う副大統領時代のバイデン氏

悲しいことに民主主義は逸脱、つまり歴史の中の幸運な例外なのだとすれば、市民が目覚め、唯我独尊の思い込みに落ち込まないよう努力をしないかぎり、どの国もふいに自然形態=種族主義政治に逆戻りしてしまう危険を抱えているに違いない。まして天才デマゴーグが国民の半分近くをいったん種族主義の水準に落とし込んでしまったアメリカを再び民主主義の水準に引き上げるには、自然の重量との絶望的な格闘が待っているのではないか?
しかし、バイデン大統領は就任演説で「ほんの一瞬、相手の立場になって考えてみることをいとわなければ」現在の「礼節を欠いた戦争を」終わらせるのは可能だと言った。人生は脆い。明日には病気になって隣人に助けを求めるかもしれない。弱く不完全な人間である私たちは、お互い支え合って生きてゆくしかない。こうして憎悪と不安に顔を強ばらせた種族主義者たちに対しても、一瞬人生の脆さに思いをめぐらそうと呼びかけ、心に共感力がよみがえるのを待ち望む。あまりにナイーブな演説に聞こえるかも知れないが、バイデンの控えめで物静かなトーンのせいか、現在のアメリカの熱病に対しては、遠回りなようでもこれしか処方はないように思えてきた。

人生ではあなたがどんな運命に向き合わなければならないのかは、わからないからです。
いつか、私たちが手を借りたい日があるでしょう。私たちが、手を貸して欲しいと求められる日もあるでしょう。それが、お互いにあるべき姿なのです。そして、もしそのようにできるなら、私たちの国はより強くなり、より繁栄し、そして未来への備えがさらに整うでしょう。

(2021/2/15)