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パリ・東京雑感|ハリー王子とメーガン妃追放に成功した英国大衆紙|松浦茂長

ハリー王子とメーガン妃追放に成功した英国大衆紙
The British Press Has Succeeded in Hounding Meghan out of Britain

Text by 松浦茂長 (Shigenaga Matsuura)
Photos from WIKIMEDIA COMMONS

ウィンザー城セントジョージ・チャペル

2018年に一番興奮させられたのは、イギリスのハリー王子の結婚式だった。奴隷貿易の大パトロンだった英国王室にアフリカ系アメリカ人が入る。黒人奴隷の血の臭いがこもるウィンザー城の陰鬱なチャペルが、この日は変身した。アフリカ系アメリカ人のマイケル・カリー主教(米国聖公会のトップ)が、黒人奴隷の愛の力を熱っぽく説き、黒人のゴスペル・コーラスの踊り出したくなるような音楽が響いた。アフリカ系の大物ゲストが圧倒的存在感をみせ、メーガンのお母さんにはエリザベス女王に負けない威厳が備わっていた。
忘れられないのはチェロの演奏だ。19歳のアフリカ系イギリス人、シェク・カネー・メイソン君が弾いたのだが、その曲目がなんとフォーレの『夢のあとで』。<君>と一緒に地上を離れ、天上の幸福を垣間見たあとの強烈な失望、胸を締め付けるメランコリーの歌である。
あの輝かしい結婚式は<夢>だったのか?奴隷の子が、奴隷制を支えた王家の子と結婚する……黒人が白人の罪に赦しを与える……あの美しいシーンは<夢>だったのか?
パリ・東京雑感2018年6月15日『ウィンザー城の黒い結婚式 愛の力を歌った奴隷たちへのオマージュ』

メーガン妃

イギリスの新聞は、王室に黒人の血が入ることを許さなかった。そもそものはじめ、ハリー王子の意中の人がメーガンさんだと突き止めたときから、新聞は「エキゾティックなDNA」と人種の違いを際立たせ、彼女の生まれ育った町は、映画『ストレート・アウタ・コンプトン』そのままの、ギャングが跋扈する犯罪の名所だと書き立てた。赤ちゃん(アーチー)が生まれると、BBC放送の司会者はチンパンジーになぞらえた。メーガンさんがティーに招いたお客に、アボカドのサンドイッチを振る舞うことにかこつけて、メキシコではアボカドをめぐってギャングによる殺人、暴行が絶えないなどと、まるでメーガンさんに大量殺人の責任があるかのようなトンチンカンな、しかし悪意に満ちた記事が有力紙に載った。
70人の死者を出したグレンフェル・タワー火災(2017年)で焼け出された住民を励まそうと、メーガンさんは彼らのコミュニティ・キッチンのレシピーをまとめ、チャリティ・クッキングブックを出版した。企画があたり、アマゾンの人気チャートのトップにランクされると、新聞は黙っていない。「問題のコミュニティ・キッチンはモスクの中にあり、19人のテロリストがそのモスクとつながりがある」と、メーガンさんの料理本が摩訶不思議、テロ支援活動かのごとくに報道された。アボカドもチャリティ・ブックも人種差別とは関係なさそうに見えるが、ヨーロッパのマイノリティの人々にはすぐピンとくる。ギャングとテロは特定の人種を連想させる犯罪であり、メーガンさんの好物や慈善活動をギャングやテロにこじつけるのには、人種主義的意図があるのだ。
『英国人:人種、アイデンティティー、所属』の著書があるアフア・ハーシュは「メーガンさんに対するあしらいは、私たちがとうに熟知していることの証明に他ならない:貴女が如何に美しかろうと、貴女が誰と結婚しようと、貴女がどんな宮殿に住もうと、貴女がいかにチャリティに努めようと、貴女がいかに誠実であろうと、貴女がどれほどお金を持ち、あるいは貴女がどんな良いことをしても、この社会では最後まで人種主義が貴女について回るということを。」と書き、「英国プレスがメーガンの国外追放の企てに成功したのは」驚くに当たらないと断じている。

フランソワ・オーギュスト・ビアール『奴隷売買』

大衆紙は、ハリー王子夫妻が王室から出て行くと宣言したとき、「利己主義」「偽善者」「ぞっとする判断の誤り」などショックと怒りを露わにし、デイリーメールのコラムニストは「私はこれまでにも不面目な王族の振る舞いを見てきた。しかし、純然たる傲慢、貪欲、意固地な無礼において、サセックス公爵(ハリーの肩書き)夫妻ほどひどいのはなかった。」と罵った。
ジャーナリストの多くは白人であり、彼らには人種差別しているという自覚すらなかったかもしれない。しかし、マイノリティの人々には、これが<批評>の名を借りた辛辣な人種主義的誹謗中傷であることは明々白々だった。
大英帝国の歴史とその遺産をたどると、その根底に白人優越のイデオロギーが横たわっていることに気づかざるを得ない。英国は奴隷貿易の先駆者だ。アフリカから奴隷船に詰め込まれ、故郷から遠く離れた洋上で衰弱死し、あるいは砂糖農場で消耗品のように酷使されて死んでいった奴隷達。アフリカ人は人種的に劣っている、人間以下だとする人種主義イデオロギーを信じこまないかぎり、彼らを家畜か物のように扱うことはできないはずだ。
英国は奴隷貿易によって蓄積した富を元手にどこよりも先に産業革命をなしとげた。資本主義へと時代は移ると、カリブ海とアフリカからかき集めた人々を低賃金労働者として利用し、彼らの家族は教育・住宅面で差別する。人種主義は英国史のバックボーンなのである。
アフア・ハーシュはこう言う。「この荒々しい歴史を築き上げた権力構造の中枢=人種差別イデオロギーの象徴たる英国王室にメーガンが加わるという決断は、この国に住む黒人をまごつかせた。彼女は自分がどんな所に入るのか、その意味を充分吟味したのだろうか?と私たちはいぶかしく思ったのである。」

僕はサッチャー首相の時代にロンドンのBBC海外放送に出向していたが、イギリスでは一面にヌードを載せる大衆紙がなぜあんなに幅を利かせるのだろうと不思議に思った。BBC、ガーディアン、エコノミスト、ロイターなど世界最高のメディアが存在するのに、他方では堂々と嘘の記事を書く新聞が通用する。ボリス・ジョンソン首相は、大衆紙に根も葉もない記事を書きまくり名を上げた人だ。
ハリー王子は、お母さん(ダイアナ)がパパラッチに殺されたのだから、そのうえ妻まで大衆紙の生け贄にされるのを傍観することはできなかった。去年10月王子は『サン』と『デイリーミラー』を相手に、電話盗聴の罪で訴訟を開始。これは王室とニュースメディアとの古くからの共生関係に反旗を翻し、「決して不満を述べない、決して説明しない」という王室の伝統を公然と破る行為だった。その上ハリー王子は、訴訟に踏み切った理由について、正直に気持ちを吐露した声明を発表した。
「私は自分の愛する人が、生身の人と見なされないほどに商品化されると、何が起こるかを見てしまいました。私は母を失い、いま妻が同じ強力な勢力の犠牲になるのを目撃しているのです。彼女の密かな苦しみに対し、私は長い間無言の傍観者でしかなかった……。」

ハリー王子とメーガン妃

ハリー王子が移住先にカナダを選んだ理由の一つは、私生活に侵入しプライバシーを暴き立てるメディアがカナダにはないからだ。カナダのトルドー首相は、ハリー王子夫妻の気持をくみ取って「ハリーさん、メーガンさん、アーチーちゃん、カナダ滞在が静かで幸福なものであることを、私たちは皆願っています。あなたがたは友人です。いつでも歓迎します」という心のこもったメッセージを送った。
カナダ国民は、ハリー王子一家がカナダに来ると知って有頂天だ。控えめなカナダ流ウェイ・オブ・ライフに共感してくれる最高の味方ができたと受け取り、骨の髄まで冷える北の国に、キラキラした魅力が付け加わるように感じている。

エリザベス女王

エリザベス女王は、時代の変化、スキャンダル、国民の不満など逆境にあっても、感情を表に出すことなく、ストイックに義務を遂行し、国家の象徴的大黒柱の役割を見事に果たしてきた。女王もチャールズ皇太子も、ハリー王子メーガン妃が王家の伝統に従って禁欲的に振る舞うことを期待していたに違いない。だから、国外に半分軸足を移した後も、王室の公的役割に半分は参与したいという王子の希望は、容れられなかった。エリザベス女王にとって、王室の務めはパートタイムで成し遂げられるものではないのだ。
では、ハリー夫妻は闘いに負けたのだろうか?ニューヨークタイムズの社説は、彼らこそヒーローであると主張する。「王室の真の価値は、決して儀式に出席したり、大衆紙にニュースネタを提供したりすることではなかった。フェアリーテールの世界の王様たち、女王様たちが、現実の世界と折り合いを付けてゆく長い連続大河小説――そこに王室の真の価値があった。この王室物語の中で、ハリー王子とメーガンのことを、古い秩序からの脱走者として嘆くべきではない。王室物語の次の巻のヒーローとして――現実世界での幸運を求め、特権を手放す現代の王族の冒険として、讃えるべきである。幸せな新生活を!」
フェアリーテールと現実世界の葛藤。そういえば、平成天皇がテレビで退位の希望を語られたとき、それまで抽象的存在だった象徴天皇を、迷い、悩み、正しい道を求め続ける人間として理解出来るようになったのを、私たちは覚えている。千数百年の皇室物語の新しい一章を開くヒーロー。日本人の多くは、天皇の新しい姿に感動し、ご決断を讃えた。それにひきかえ、ブレグジットによって、国論が真二つに割れ、互いにいがみ合う今の英国民には、ハリー王子の勇気ある門出を祝福する心のゆとりは持てないようだ。

(2020年1月30日)