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パリ・東京雑感|奴隷=<アメリカの原罪>へのあがない|松浦茂長

奴隷=<アメリカの原罪>へのあがない
Calls for Racial Justice Are Spreading

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

ダムが決壊して奔流が巨木や古い建物をなぎ倒すように、昨日までの常識が一気に崩れ、社会の様相が激変するときがある。2017年、アメリカの映画制作者ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラを女優達が訴えたのが引き金になって、欧米では、男と女の向き合い方に革命が起こった。
2010年前後には、同性結婚を認める国が津波のように広がった。
今アメリカからヨーロッパに繰り広げられている黒人の権利擁護の運動も、同じようなパワーと深さを持っているのではないだろうか?発端は、ミネアポリスで、白人警官が黒人の首を膝の下に敷き、窒息するまで8分間、ポケットに手を突っ込んで平然と押さえ続けた映像である。通行人が叫んだりカメラを向けたりしているのに、警官の表情に動揺はない。殺してもおとがめなしと確信しているからだ。
警官が黒人を殺しても罪に問われない。理由もなく黒人が殺されるたびに抗議デモが起こり時には暴動にまでなったが、警官は無罪放免。しかし、今度は違った。

イシュマエル・リード

ある黒人大学教授は、「家の中にいても警官が意識から離れない」と告白している。アメリカの黒人はどんな仕打ちを受けるのか、たとえば作家イシュマエル・リードの場合。

祖父は1934年に白人に刺された。病院に駆けつけた16歳の娘(リードの母)に「医者が『あのニグロを死なせよう』と言っているのが聞こえた」と言い残して死ぬ。殺した側への罰はない。
祖父の妹は1960年に車にはねられて死んだ。酔って運転していた白人の若者は彼女のことを「電柱だと思った」と証言。
(南部に住む黒人は、どの家にも、白人に殺された家族の言い伝えがある。すべての家が<迷宮入り殺人>のオーラル・ヒストリーを伝承しているのだ。)
1958年、バッファロー警察が私の車を止め、銃を突きつけた。
1967年、ロサンゼルスの図書館に向かっているとき、私服警官が、私のポシェットをひっつかんだ。
1969年、マンハッタンのアパートメントに、一度ならず、拳銃を抜いた警官が入ってきた。
1972年、カリフォルニア州バークレーで、小説執筆中のアパートメントに武装警官が入ってきた。 
1975年、コロラドの大学で私の詩の朗読会に出席したとき、主催者の一人からプレゼントを貰いそうになったが、断った。案の定、空港で別室に連れて行かれ、所持品検査。ペンと紙しか入っていないので、事なきを得た。麻薬を持たせて逮捕する計画だったのだろう。
あるとき、ニューヨークでレストランから袋を持って出てくる二人の警官を見かけ、私は、一緒に歩いていた友人に向かって、賄賂を取る腐敗警官の記事についてわざと大きな声で話した。まもなく、パトカーが近づき、さっきの警官が私を警察に連行し、殴り、留置所に入れた。(最近まで災難は続くが以下省略)
ニュースや論説を書くのはほとんどが白人であり、彼ら恵まれたエリートたちは私をパラノイア(偏執狂)と呼ぶに違いない。

いやリード氏は、「もう自分がパラノイアと呼ばれないときが来た」と知ったから、この文章を書いたのではないか?白人達が、警察の制度的残虐性に気づき、すべての黒人は、日々警察に脅かされ、恐怖と不安の中に生きていることを、いま初めて理解・共感できるようになった。だから、自分の警察体験をつぶさに公開する気になったのではないか?
もちろん、白人達も黒人がしばしば警官に殺されるのを知っていたし、心ある白人は警官が罪に問われない不正に憤っていた。しかし、彼らは、これら一連の黒人殺しを、腐った警官による偶発的事件としか見なさなかった。つまり、サディスト警官の例外的個人プレーとしか判断できず、警察が制度として黒人を殺し、脅かし、抑圧する任務を負っているとまでは思い至らなかった。
ところがいま、白人達は、真相は彼らが思い描いたような生やさしいものではないことを理解し、黒人の告発に素直に耳を傾けるようになったのである。
たとえば高名な黒人バードウォッチャー、ジェフリー・ワード。バードウォッチングは、警官の目の敵にされるのが常だが、いまようやく、白人にその悩みを理解してもらえるようになったと言う。熱心に話を聞いた白人は「それほど酷い目に遭っているとは思いもしなかった。以前は君の話を良く聞かなくて悪かった」と謝罪するそうだ。
黒人をテーマにした本がベストセラーになり、黒人書籍の専門店は開業以来初めて在庫ゼロになったとか。読者は白人。突如、黒人差別の奥深さに目覚め、勉強を始めたのだ。
デモに出るのも白人が多い。それも学歴の高い20代が中心。ニューヨークやワシントンでは参加者の6割以上が白人だし、中には白人ばかりが集まって、黒人の権利擁護Black Lives Matterを叫ぶ町もある。

ミネアポリスで黒人が警官に殺されたあと、ワシントン大聖堂に投影された「Black Lives Matter」

2014年ミズーリ州ファーガソンで、18歳のマイケル・ブラウンさんがコンビニから自宅に帰る途中、警官に銃で撃たれて死亡して以来、黒人が理由もなく警察に殺されるたびに抗議デモがあったが、参加者は圧倒的に黒人だった。その黒人の運動がいまでは白人を含む国民運動に変貌し(世論調査によると、およそ2000万人がデモに出たと答えている)、アメリカ有権者の過半数がBlack Lives Matterを支持するほどの意識変革が起こったのだ。
数年前YouTubeで感動的な映像を見た。公園の野外舞台、白人至上主義者の集会。観客の中の黒人が、「私に2分間喋らせてくれ」と手を上げ、「やらせてみよう」と言うことになる。黒人はBlack Lives Matterが白人を敵視する運動ではないこと、現状は黒人の命と白人の命が同じでないことを静かに話す。感動の波。白人達と黒人達が握手し抱き合う。大新聞が紹介した映像だから、やらせではあるまい。僕も黒人の演説の誠実さにうたれ、「この連中ただ者ではない」と思った。

それにしても、なぜアメリカの警察は黒人に対してこれほどデタラメの扱いをするのだろう。突飛な思いつきに見えるが、北アイルランド、南アフリカのような激烈な国内闘争を経験した国が参考になる。
スリランカ、ミャンマー、コンゴ民主共和国の警察について研究したケート・クロニンフルマン教授(ロンドン大学)によると、腐った警官を放置するのは警察の怠慢ではなく、政治的選択なのだ。

(警官の暴力放任によって)マイノリティの住民に安全な暮らしはあり得ないことを思い知らせ、彼らには国民としての十分な権利がないこと、その人間性が常に否定されうることを分からせる。
このやり方は、二重の意味で支配層を守る。①警察の暴力が、基本的に彼らの社会的地位を保証する。②しかし、あからさまなトップダウンの命令で暴力が行使されるのではなく、黙認によって暴力が奨励されるので、権力の座にいる者たちは、残虐行為について知らん顔を通すことが出来る。

40年も前の話だが、ロンドンで暮らしているとき、アイルランド出身の老紳士と親しくなった。モンテヴェルディとコレルリを愛する教養人だが、経済的には恵まれない。水曜の晩にわが家を訪れ、ワインⅠ杯をゆっくり飲みながら、建築や歴史の話をするのが決まりになっていた。あるとき彼が「警官は一人残らず精神異常者です」と言う。教養ある紳士に似合わない乱暴な独断ではないかと違和感を持ったのを覚えている。今振り返ると、彼は北アイルランドを支配する英国軍・警察の制度的残虐を自分の痛みとして感じていたのだろう。サディストの警官がたまたま個人的に残酷な弾圧をするのではない。警察そのものが暴力による支配を目的にする機関なのだ。だから正常な警官は1人もいない――そう言いたかったに違いない。
北アイルランドや南アフリカのように、支配される側に正当性があり、彼らの闘いに高い倫理性が保たれているとき、権力者はアトランダムの暴力によって支配するほかない。そのような国では、腐った警官の逸脱を放任する警察こそ、被支配者の人間性を叩き潰すために最も好都合なのだ。

アトランタの黒人リンチ(1906年)

しかし、アメリカは内戦までして奴隷を解放したのに、なぜ黒人を暴力的に支配し続けなければならなかったのか?ノーベル経済学賞を受賞したクルークマンの説明は説得力がある。

南北戦争後、解放された奴隷の多くは、ゼロから出発し、家や土地を手に入れ、子供を教育するまでになった。ところが、再建の12年間が終わると、白人至上主義者が有力になり、黒人が手に入れたものを、法的ペテンや銃の脅しで奪い返す。生まれたばかりの黒人中産階級にとって、恐怖の時代が訪れる。
その最悪のケースが1921年オクラホマ州タルサで起こった黒人リンチだ。当時タルサには黒人中流階級が軒を並べ、<黒いウォールストリート>と呼ばれた通りがあった。白人群衆はこれらの豊かな家と店を狙い、300人を殺害、1000の家屋が破壊され、8000人が家を失った。警察は黒人を守るどころか、暴徒と一緒に破壊に加わった。
トランプ大統領が、新型コロナによって中断していた選挙キャンペーンを、このタルサで再開したのは、白人至上主義者に支援のシグナルを送るためとしか考えられない。

白人は奴隷を解放した後も、黒人を隷属状態に引き戻し、収奪を続けようとした。こんな歪んだシステムは、制度的暴力なしに維持できるはずがない。
黒人を隷属階級に留めるための制度的歪みは、思わぬところにまで及んでいる。クルークマンによると、医療の無保険者を減らすオバマケアーに反対が強いのは、オバマケアーが黒人を救うことになるから。「他の先進国に比べ、なぜアメリカはセーフティネットがこんなに貧弱なのかという疑問に対し、答えは詰まるところ<人種>の一語に要約される」と言う。
大統領候補のバイデンは、奴隷制度をアメリカの「原罪」と断じたが、原罪の罰はいまに及び、社会福祉の遅れた国家から抜け出るのを妨げているのだろうか?

エドワード・コルストン

奴隷に対する罪は、ヨーロッパも重い。イギリスのブリストルでは、17世紀の奴隷商人エドワード・コルストンの銅像が海に投げ込まれた。ブリストルにはコルストンの名のついたコンサートホール、学校、救貧院など多くの施設があり、ブリストル繁栄の恩人として尊敬されてきた。しかし、アメリカから押し寄せた<悔い改め>の波は、自分達英国人の犯した罪の重さを思い出させたのだ。銅像を倒したのは白人で、警察の介入もなかった。
コルストンは、84,000人の奴隷を運び、そのうち20,000人が航海の途中で死んだという。
ロンドンではチャーチルの像に「人種差別主義者」と落書きされ、オックスフォード大学では、大学当局がセシル・ローズの像を撤去した。
大会社も流れに逆らえない。保険組合ロイズは、懺悔の声明を出した。

私たちの歴史には、誇ることの出来ない側面があります。それはぞっとするほどに恥ずべき英国史の、また私どもロイズの歴史の一時期であり、私たちはこの期間に行われた弁護しようのない悪行を糾弾します。

英国の会社は奴隷貿易で蓄財しただけでなく、1833年、奴隷廃止の時、莫大な賠償金を手に入れた。その額は国民所得の5パーセントにのぼり、いまもイギリスの富の起源をたどると、この賠償金に由来するものが少なくない。たとえば、HSBC、バークレイズ銀行、ロイズ銀行。
奴隷の持ち主には手厚い補償があったのに、奴隷への補償はない。ベストセラー『21世紀の資本』の経済学者、トマ・ピケティは、リンカーンが南北戦争の最中、解放奴隷に40エーカーの土地を与えると約束したことを指摘。戦争が終わると奴隷への賠償は忘れ去られたが、太平洋戦争中、強制収容所に入れられた日系人の生き残りには、一人2万ドルの賠償をしたのだから、人種差別の犠牲者に対しても同じような象徴的賠償と謝罪を考えては、と提案している。
欧米の奴隷に対する罪の悔い改めは、どこまで行くのだろう?クルークマンは、中途半端に終わらないことを期待している。

私たちは今なお原罪の汚れに染まっているが、今やっとのことで、あがないの道を歩み始めたのかもしれない。

(2020年6月30日)

(2020/7/15)