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パリ管弦楽団|平岡拓也

東京芸術劇場 海外オーケストラシリーズ
パリ管弦楽団

2018年12月16日 東京劇術劇場コンサートホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi) 撮影日:12/17 サントリーホール

<演奏>
ヴァイオリン:イザベル・ファウスト
管弦楽:パリ管弦楽団
指揮:ダニエル・ハーディング

<曲目>
ベルク:ヴァイオリン協奏曲『ある天使の思い出に』
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ長調 BWV 1005より ラルゴ

マーラー:交響曲第1番 ニ長調 『巨人』
~アンコール~
エルガー:エニグマ変奏曲 Op. 36 より 第9変奏『ニムロッド』

 

ダニエル・ハーディングがパリ管弦楽団と2度目の来日。そしてこの組み合わせでは最後となる可能性が高い来日機会となった。ハーディングとパリ管は3年の任期満了と同時に解消することが発表されているからだ。前回はメンデルスゾーンの協奏曲にマーラー『第5番』など、独墺圏の作品が多く含まれたプログラムが印象的だったが、今回もやはりベートーヴェンにマーラー、ベルクが並んだ。一曲だけフランスのベルリオーズが入る点まで前回と共通している。何もフランスのオーケストラの来日公演が常に『幻想』『オルガン付き』『ボレロ』である必要は全くないわけで、シェフと楽団の志向がプログラムに反映される方が筆者としてはずっと好ましい。

ベルクのヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリンの開放弦G-D-A-Eを導く冒頭クラリネットの音の出があまりに不明瞭で、いつ開始されたのか聴き分けられないほどになっていることにまず驚いた。これは明らかにハーディングが志向して創り上げた箇所であり、水彩画のように淡く溶け合った以降の響きを序盤で予告・宣言していたとも言える。このようなアプローチによるベルクは聴いたことが無かったので面食らったが、この尋常ならざる音の調和をこの水準で具現化出来てしまうという時点で、オーケストラと指揮者の意思疎通が相当な高レヴェルに達していることが容易に想像されるではないか。
続いて着目したのが、この水彩の背景を得たイザベル・ファウストの表現である。ファウストは背景から意図的に自らを浮き上がらせ、寧ろ抗うような素振りすら見せながら弾き進めていった。楽器の指板寄りではなく駒寄りのかなり汚い音を用いることも辞さず、弓を当てる位置を自在に使い分ける。特に第2楽章では「楽音」ではなく「音」に近い粗野な表情で音楽に緊張感を与える。だが終盤に差し掛かり、『大地の歌』終曲を思わせる余韻で演奏を包み込んだのは、冒頭と同じ円みを帯びたトゥッティの響きであった。
このベルク、もしドイツやイギリスの楽団であったらファウストの棘に嬉々として順応したのかもしれない。前プロの段階で既に、パリ管というオーケストラの強い個性を印象付けられた。

後半のマーラー第1番『巨人』。ここでまた驚きが待っていた。前半の水彩画とは別人のようにハーディングは各要素を明晰に分離、対照させてクリアな音響を導く。弦の筆致は力強いが、純朴な青春讃歌を奏でるのではなく、冷静に曲のグロテスクさをあぶり出す(特に中間楽章)のがハーディング流だ。どんなに熱狂しても常に手綱が握られており、醒めた目を感じるのだ。鶏が先か卵が先か、という話にはなるが、その冷静さゆえに細かな彫琢がより印象付けられる。例えば第2楽章の主部回帰における威勢の良さ、第3楽章の旋律同士の不自然なぶつかりの強調など、全曲通して抜け目が無い。終楽章も周到にクライマックスを積み上げた。ハーディングは直前の片足骨折もなんのその、器用かつ精力的に全身を動かして楽団を率いる。
パリ管は上述したようなハーディングの指示に精緻に反応しつつ、管楽器の自主性や音色の個性は失わない(第1楽章のトランペット・ソロであれだけ艶やかなヴィブラートを聴いたのは初めてだ)。前後半の音色の鮮やかな描き分けを含め、ハーディングとの呼吸の密なことには改めて驚く。どうやら両者は「円満離婚」となるようだ。

アンコールはハーディングのお国物であるエルガー『エニグマ変奏曲』から『ニムロッド』。ここでも滴り落ちるような味わいの弦に、パリ管の個性を聴く。解消されるのが惜しい名コンビである。

関連評:パリ管弦楽団 来日公演|藤原聡

(2019/1/15)