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落合陽一×日本フィル プロジェクトVOL. 4《__する音楽会》|能登原由美

落合陽一×日本フィル プロジェクトVOL. 4《__する音楽会》

2020年10月13日 オンライン視聴
2020/10/13 Live streaming
Reviewed&Photos by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団

<スタッフ&演奏者>        →foreign language
演出・監修:落合陽一
指揮:海老原光
ビジュアル演出:WOW
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:扇谷泰朋(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)

《兵士の物語》
ヴァイオリン:扇谷泰朋   コントラバス:高山智仁
クラリネット:伊藤寛隆   ファゴット:鈴木一志
トランペット:オッタビアーノ・クリストーフォリ  トロンボーン:岸良開城
打楽器:福島喜裕

〈曲目〉
ベートーヴェン:交響曲第7番第4楽章(1811)
ハイドン:交響曲第45番《告別》第4楽章(1772)
ガブリエリ:ダブル・エコー効果の12声のカンツォン(1615)
ペルト:フラトレス(1977/1991)
藤倉大:Longing from afar(2020)―世界のオーケストラ・プレーヤーとともに―
〜〜休憩〜〜
ストラヴィンスキー:組曲《兵士の物語》(1918)
〜〜アンコール〜〜
J.S.バッハ:《マタイ受難曲》挿入のコラール「血潮したたる主の御かしら」

「テクノロジーによってオーケストラを再構築する」というコンセプトのもと、日本フィルハーモニー交響楽団がメディアアーティスト、落合陽一とともに行なってきたプロジェクトの4回目の公演が行われた。今年は新型ウィルスの世界的流行で多くのコンサートが延期や中止に追い込まれるとともに、大勢が集まって一つの音楽を作るというオーケストラの前提自体が否定されるような状況にも見舞われた。本公演についても、当初の構想が白紙となり改めて企画されたという。歴史的な災禍により、聴衆からも、奏者相互においても分断されてしまったオーケストラを、落合自身の言葉によれば「新しいデジタルの地平から」捉え直す新たな試みとなった。

クレーンカメラⒸ山口敦

会場で生の演奏を聴くという従来のクラシック・コンサートのスタイルに加え、コロナ禍で俄かに注目されたインターネットによる中継・配信が取り入れられた(料金は会場での鑑賞と同じ)。なお、事前の触れ込みによれば、オンライン配信については単に会場の様子を映すだけではなく独自の仕掛けを作ることで、会場版とオンライン版の2種類の聴取が体験できるとのこと。実際、前者を体験した人が後者も体験できるよう、後日、再配信が1回限りで行われた。

関西在住の筆者は迷わず後者を選択した。よって、本稿で述べるのはオンライン視聴の体験に基づくものだが、ここで強調しておきたいのは、それが他の視聴者にも共通するとは言えない、という点だ。というのも、筆者は自宅のパソコンを使って鑑賞したが、冒頭から音楽と画像に僅かながらもズレが生じていた。それがパソコンやインターネット環境の悪さのためなのか(ただし、事前に推奨された視聴テストでは問題なしと判定)、あるいは他のリスナーにも同様に生じていた(つまり、その「ズレ」も演出の一部であった)ことなのかはわからない。もし演出とは関係ないものであったとしたら、そのズレは筆者だけが体験した特異なものということになる。とはいえ、通信状況により画像が遅れたりフリーズしたりといった障害の発生は決して稀なことではない。同様の体験をした人は少なからずいるであろう。いずれにしても、ネット環境の違いは聴取体験に差をもたらす。その差は会場内の座席の違い以上に大きい。それが、今回の視聴を通じて切実に感じたことだ。

開演とともに画面から流れてきたのは、ベートーヴェンの《交響曲第7番》の終楽章。すでに述べたように、始まるやいなや、音楽と映像に若干のズレがあることに気づく。演出なのか、自宅のネット環境に起因するのか…。どちらにせよ、目に入る情報と耳に入る情報との間に時差があるため、フワフワして現実感がなく、音楽に集中できない。そうこうしているうちに曲が終了。演奏自体については全く頭に残らなかった。(その後、複数のカメラのうち、指揮者の右側面を映した1台のカメラだけは画像と音声が合っていることに気づく)

その「時差」についてはひとまず置こう。続くハイドンの《交響曲第45番「告別」》終楽章は、曲の途中から奏者が少しずつ減っていくという遊び心溢れる作品。ここでオンラインならではの仕掛けが登場した。つまり、残っていた2名のヴァイオリン奏者が最後の一音を弾き終えた途端、画面から姿を消し、誰もいなくなった舞台で指揮者が人々を探し回る映像が流れたのである。客席に人がいないことから、事前に収録されたものであることはすぐに理解した。なるほど、さすがのハイドンも、「音」は消せても「姿」は消せない。

次のガブリエリ《ダブル・エコー効果の12声のカンツォン》でも同様に、事前収録の映像が挿入された。ここでは、ホールの中継映像を意図的に乱し、その後、空の客席が映し出されるというもの。ただし、それは視覚上の仕掛けに過ぎない。現代のような音響機材のない400年以上もの昔、作曲家が音楽的/聴覚的創意に基づき施した工夫は、オンライン聴者には提供できないということか。

続くペルト《フラトレス》では、舞台の上方に浮遊する物体の映像が現れた。植物の根のようなそれはやがて茎や葉へと成長し、そこから胞子らしきキラキラしたものが放出される。曲のイメージを反映させたのだろうか。だが、その発想や映像に新奇性は感じられない。むしろ、舞台上で鳴り響く音楽との関連性が感じられない我が身にとっては、全く異なる料理を一度に食するようなものに思えた。

コロナ禍で注目を集めたリモート合奏では奏者相互の音の「時差」が問題となったが、それを逆手にとって生み出されたというのが藤倉大の《Longing from afar》。「時差」をあらかじめ想定した上で作曲されたものという。会場のほか、世界各地から参加した10余名の奏者たちがスクリーン上に映し出され、舞台上の指揮に合わせて演奏をした。会場とリモート奏者の音のバランスが不安定に推移する上、空中で形を変えながら浮遊する幾何学模様にも気を取られるなど、画面越しに見えてくるのはカオスの世界。それが創作上の狙いなのだろうか。

休憩となり、今回の企画に至る制作の様子などが流される(同楽団HP「落合陽一×日本フィル プロジェクトVOL. 4《__する音楽会》」で公開されている「制作過程」の映像と同じとみられる)。これもオンライン版ならではなのだろう。

後半のストラヴィンスキー《兵士の物語》でも、具象/抽象的な映像が舞台上方に出現する点は変わらない。巨大なシャボン玉が浮き出て奏者を包み込むような場面もある。確かに、このようなコンサートは初めてであり、映像技術の進化を物語るものなのだろう。けれども、音楽との関連性で言えば、制作者が音楽から抱いた「イメージ」を映像化しただけという印象は拭えず、さらにそれらは、他の音楽・演奏への適用が可能なようにも見える。むしろ、オンライン版の特権であるはずのこうした映像は、筆者にとっては音楽から意識を遠ざけるものとなった。

最後に、謎かけのようなタイトル「_する音楽会」の空白部分に「双生」という文字が挿入され、公演が終了。「双生」とは、音楽と映像、生の視聴とオンライン視聴、などの意味合いがあるのだろう。が、敢えて厳しい言葉でいえば、筆者にとっては音楽の内容とは無関係に氾濫する映像に「辟易する音楽会」であった。

一方で、この体験を通じて、クラシック音楽のライブ配信のあり方について考えたことは間違いなく、その点において、この「実験的な試み」は成功したと言えるのかもしれない。つまり、結局最後まで続いた音楽と画像のズレ、さらに挿入された映像と音楽の乖離という2つの点は、音楽の聴取における視覚的要素の重要性を浮き彫りにしたのである。

もちろん、公演のレビューが目的である本稿においては、ここから音楽と視覚/聴覚の問題などに踏み込んでいく余裕はない。けれども、一言だけ付け加えるなら、奏者の身体も音楽の一部であり、その動き―息遣いなども含め―の情報が音の情報とともに音楽の伝達において欠かせないという点だ。というのも、音楽が放つ大小様々なエネルギーは、奏者の動きと連動しながら聴覚・視覚を通して聴き手に届けられる。たとえ奏者が見えなくても、音楽の発し手である彼らの動きを無意識のうちに頭に描いている。とりわけオーケストラのように、多数の人々による演奏であればそのエネルギーの推移は膨大だ。けれども、目に飛び込んでくるその動きがズレていたり、映像などで妨げられてしまえば逆にその熱量は失われてしまうのである。この点が見落とされるのであれば、オーケストラのコンサートなどもはや不要だろう。

とはいえ、それはクラシック音楽や従来のコンサートに慣れ過ぎた身であるからこそ抱いた印象なのかもしれない。こうした経験をほとんど持たない身であったなら、もっと別の見方をするのかもしれない。けれども、そこからこれまでにないオーケストラの形が現れ、かつ心を揺さぶってくれるのだろうか。今の私には想像できない。

(2020/11/15)

関連コラム:カデンツァ|音楽の未来って (6)オーケストラの未来〜落合陽一×日フィルプロジェクトVol.4に思う|丘山万里子

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<staff&performer>
Yoichi Ochiai (Director)
Hikaru Ebihara (Conductor)
WOW (Visual Performance)

Japan Philharmonic Orchestra

〈program〉
Ludwig van Beethoven: Symphony No. 7, 4th movement
Franz Joseph Haydn: Sinfonia No. 45, “Abschied” 4th movement
Giovanni Gabrieli: Canzon in Echo Duodecimi Toni a 12
Arvo Pärt: Fratres
Dai Fujikura: Longing from afar
Igor Stravinsky: L’Histoire du soldat