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評論|西村朗 考・覚書 (6) 西村と朔太郎〜『「青猫」の五つの詩』|丘山万里子

西村朗 考・覚書 (6) 西村と朔太郎 (前編)〜『「青猫」の五つの詩』
Notes on Akira Nishimura (6)
Akira Nishimura & Sakutaro Hagiwara (1)

Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)

「宇宙は意志の現れであり、意志の本質は惱みである〜シヨウペンハウエル
『青猫』ほどにも、私にとつて懷しく悲しい詩集はない。これらの詩篇に於けるイメーヂとヴイジヨンとは、涙の網膜に映じた幻燈の繪で、雨の日の硝子窓にかかる曇りのやうに、拭けども拭けども後から後から現れて來る悲しみの表象だつた。」
(定本『青猫』1936/自序)         萩原朔太郎(1886-1942)

初版『青猫』の挿画「青猫之圖」

『青猫』は三善晃作品で筆者に親しいものであったが三善は歌曲『三つの沿海の歌』(1955/alt,pf)として《波止場の烟》《寄生蟹のうた》《沿海地方》の3篇を選んでいる。西村の『「青猫」の五つの詩』(1996/女声合唱,cl,vn,vc,pf)は5編《猫柳》《寄生蟹のうた》《鶏》《鴉》《緑色の笛》。両者が重なるのは《寄生蟹のうた》だ。
三善の3篇はいずれもピアノのアルペッジョがきららに溢れ波打ち、そこに言葉が載ってゆくもので、その抒情の色は朔太郎の特異な言語世界を淡く縁取り、決して詩句の持つ強迫的な像は結ばない。それを三善は「例えばルナールのフランス語とラヴェルの書法の関係で音解きしようとした」と述べている。
三善もまた朔太郎とはこの『青猫』が初対面だが、その後の朔太郎との路程は二手に分かれる。
『三つの沿海の歌』はほぼ20年後の『抒情小曲集』(1976/ten,pf)に至る繊細、敏感な情感の一つの流れたる歌曲世界だが、一方、『トルスⅡ』(1961/混声,エレクトーン,pf,perc)から『決闘』(1964/sop,orch)までは自己内部を切り刻む青ざめた血の滲む合唱と器楽世界だ。この2つの流れの果てに『レクエイム』(1972/混声合唱,orch)が来るのは、ある意味、三善の自己意識(西欧的近代と言っておく)の大きな転回の証左で、その転回は彼の戦時体験の噴出によってなされたものと、筆者はずっと考えていた。戦争三部作の第2作『詩篇』(1979)の間に置かれた『抒情小曲集』(習作期『愛憐詩篇ノート』より)で、朔太郎少年期の情感へと遡ったのち、三善は彼から離れ、戻ることはなかった。
ただ、今の筆者は、転回は転回であっても、三善は自身の中の「西欧的近代性」をとどのつまり超えることはなかった、という気がしている。彼は西欧でない「こちら」(西欧を「向こう」とするなら)を遠望し、歩を踏み出してはいたが、ついに届くことはなかったのではないか。パリ留学から帰国、飛行機の窓から見た日本の「墨絵世界」は、オペラ『遠い帆』(1999)が子らの合唱「一つとや」と「さんたまりあ」の混淆によって閉じられるように、そこへと帰るものではなく、帰ろうとする憧憬に留まろう。『ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し』(『純情小曲集』より《旅上》)と歌った朔太郎と同じ焦がれを抱いて三善はその地に立った。が、ただそう歌えた朔太郎と、その地で2年暮らした三善とは位置が異なる(先行する遠山一行が渡仏生活で何より衝撃を受けたのは街中の「教会」の姿、その存在感だったとの言を筆者は思い出す)。向こうの「近代的自我」(とその背後にあるもの)にも馴染めず、こちらの墨絵世界にも戻れない自分の「寄る辺なさ」は、『遠い帆』での支倉常長に似る。月の浦から出帆、長い航路の途にあってキリシタンとなった支倉常長がようやく戻った祖国はキリシタン禁制の世であった、その「宙吊り」状態。日本から西欧へ、西欧から日本へ、だがそのどちらもに居どころを見出せなかった三善の「近代性」。それが朔太郎、三善と続く明治〜大正〜昭和という「時代」の力ではなかったか。
朔太郎は大正期、北原白秋、室生犀星、芥川龍之介ら「近代詩」の新たな波の中に立った人だが、三善はある意味、その近代の残月の浜に立ち続ける人だった(筆者がこういう言い方をするのは、三善の最晩年、筆者との対話の折、「そろそろ海に入ろうかな、と思っていたら呼び止められた」との言葉を聞いたからだろう)。彼は朔太郎に戻らなかったが、では、「波の“あわい”」に何を見ていたのか。
朔太郎はやがて日本主義に転向し批判を浴びるが、「パリに学ぶべきものはない」(1951)と1年で立ち去った黛敏郎の「現代性」とのちの日本主義を思うなら、三善の「近現代」を戦時体験に引き寄せてのみ語ること、それでわかった気になる浅薄を、今にして筆者は感じるようになった、とここで言っておく。あるいは、戦時を含めた日本の近現代を彼ほど誠実に受け止め、引き受けた作曲家はいなかったのではないか、とも。
戦時に少年時代を過ごした三善世代の作曲家たちは、ことごとく、この戻らないブーメランを手に音を探り、あるいは放擲していたのではあるまいか(についてはいずれ)。

「幽霊 ですよ」部分

戦後世代の西村の位置ははっきり違う。
三善から40年近い開きで手に取った『青猫』は、一見『トルス』に似るが、西村の《寄生蟹のうた》冒頭のピアノsff、切り裂くような高音打音と震えるトリル(cl,vn,vcも並走)にかぶってくる「潮みづのつめたくながれて」の3連符斉唱フレーズのはっきりした口調は、すでに西村の特異を示す。押し寄せる波となって繰り返される音形。その不安と焦燥に楔を打ち込むピアノ。最後の「さびしい寄生蟹の」のp<fの斉唱からヴォカリーズ(aアー)のむらむら伸び縮みする音形のさまと不気味な下降上行、ポルタメントの果てに、合唱のみff「幽靈(ゆう・れい)」8分音符2音で落ち、わずかの4分休符、pp( m)ハミングAccel.でずり上げff、一瞬のち「ですよ」がpfのsfffクラスター炸裂に怯みつつ囁かれる。裸形の朔太郎の詩魂がはあはあと吐く息。それは「涙の網膜に映じた幻燈の繪で、雨の日の硝子窓にかかる曇りのやうに、拭けども拭けども後から後から現れて來る悲しみの表象」などでなく、また、三善の抒情など高嗤うような相貌だ。筆者がぎょっとしたのもこれ。西村はこの詩に器楽のトリル(顫音)が聞こえ、それを多用したと記している(スコア西村解説)。

《鶏》《鴉》の2篇はその上を行く。

誌面では音も聴けず、スコアもめくれずなので、詩の言葉を味わうほかなく、長いが引いておく。

《鷄》

しののめきたるまへ
家家の戸の外で鳴いてゐるのは鷄(にはとり)です。
聲をばながくふるはして
さむしい田舍の自然から呼びあげる母の聲です
とをてくう とをるもう とをるもう。

朝のつめたい臥床(ふしど)の中で
私のたましひは羽ばたきする。
この雨戸の隙間からみれば
よもの景色はあかるくかがやいてゐるやうです。
されどもしののめきたるまへ
私の臥床にしのびこむひとつの憂愁。
けぶれる木木の梢をこえ
遠い田舍の自然から呼びあげる鷄とりのこゑです
とをてくう とをるもう とをるもう。

戀びとよ
戀びとよ
有明のつめたい障子のかげに
私はかぐ ほのかなる菊のにほひを
病みたる心靈のにほひのやうに
かすかにくされゆく白菊のはなのにほひを。
戀びとよ
戀びとよ。

しののめきたるまへ
私の心は墓場のかげをさまよひあるく。
ああ なにものか私をよぶ苦しきひとつの焦燥
このうすい紅(べに)いろの空氣にはたへられない
戀びとよ
母上よ
早くきてともしびの光を消してよ
私はきく 遠い地角のはてを吹く大風(たいふう)のひびきを。
とをてくう とをるもう とをるもう。

器楽スタッカートの変拍子Presto (♩=ca.184)とともにザクザク斉唱で突き進む合唱は、当然ff母の声「とおーてくう とおーるもおー とおーるもおー」で全き西村顔を突き出す。歌曲『輪廻』での「あとからあとから」「べらべら」「くるくる」に反応、執拗な畳み掛けを見せたように、ここでもこの異様句にかぶりつくのである。絡むcl.の横笛のような響きの不気味。「私の臥床にしのびこむひとつの憂愁」のffアクセントつき「ひとつの」から「ゆうーしゅうー」e~eオクターブ跳躍しe~zisに落とすそのグリッサンドの微妙。次の「とおーてくう とおーるもおー とおーるもおー」の「おー」、器楽の震え(トリル)の上で引き延ばされてのas~h~es~f上行グリッサンドも同じ色。そして3小節の無言の後、p( marcato)で小声の「こいびとよ こいびとよ」の呼びかけが来る。2度目の「こいびとよ こいびとよ」は6小節に及ぶdis~d半音下降。思わず襲う眩暈。と、cl.がppで「くされゆく白菊のはなのにほひ」を漂わせるようにソロで流れ、器楽のみの21小節の刻みが続く。3度目の「こいびとよ こいびとよ」は「ははうえよ はやくきて」の呼びかけを伴い、「わたしはきく」の「きく」が8回に増殖、「とおいちかくのはてをふく」の「ふく」がこれも8回。で、最後の「とおーてくう とおーるもおー とおーるもおー」の叫びにcl.が最高音域へ駆け上りヒリヒリと神経を引っ掻きつつfff、最後pfクラスターsfの一打。

 明け方近く、まだ暗い寝床の中で、詩人の魂はほとんど発狂している。「とをてくう とをるもう とをるもう」と鶏がなく。なんという異様な声であろうか。
(スコア西村解説より)

続く『鴉』。

『鴉』

青や黄色のペンキに塗られて
まづしい出窓がならんでゐる。
むやみにごてごてと屋根を張り出し
道路いちめん 積み重なつたガタ馬車なり。
どこにも人間の屑がむらがり
そいつが空腹の草履(ざうり)をひきずりあるいて
やたらにゴミダメの葱を喰ふではないか。
なんたる絶望の光景だらう!
わたしは魚のやうにつめたくなつて
目からさうめんの涙をたらし
情慾のみたされない いつでも陰氣な悶えをかんずる
ああこの噛みついてくる蠍(さそり)のやうに
どこをまたどこへと暗愁はのたくり行くか。
みれば兩替店の赤い窓から
病氣のふくれあがつた顏がのぞいて
大きなパイプのやうに叫んでゐた。
「きたない鴉め! あつちへ行け!」

確かに高速連射砲の言葉と音。Prestissimoずんずんずんずんp<fへと不穏を高めてゆく器楽gの総奏の刻みに「青や黄色の」と合唱が飛びかかる冒頭から「そいつが そいつが そいつが そいつが」と各声部で追いかけて行くその飛行旋回はほぼミステリーの背景音楽くらいの煽り。適宜入る器楽刻みの変化がさらに、だ。最後の「きたない鴉め!」は4回繰り返され「きたない鴉め!あっち行け!」の叫びでとどめを刺す。
この2曲、ふと筆者、どこかで聴いたな、似たようなのを、と振り返った。三善の合唱組曲『のら犬ドジ』(1982/童声合唱、pf/蓬莱泰三詩)だ。リズムの刻み、テンポ、音楽の持って行き方が似るではないか。第1曲《ドジがくるぞ》第2曲《あっちへいけ》。
そうだ、『鴉』の最後「きたない鴉め! あつちへ行け!」が間違いなく筆者を『ドジ』に呼び込んだのだ。三善の「あっちへいけ」はここまで突き放しはしないけれども(むろん、大嫌いな鴉と可哀想な野良犬では話が違うが)。
西村解説(スコアより)はこうだ。

 私は鴉が嫌いである。鴉も私を嫌っている。路上で突然、上空より襲いかかられたこと がある。“するどく、ヒステリックに嫌悪して”という指示を記した。テンポはプレスティッシモ(極限的に速く)である。

ふと、八村義夫初期作『しがらみ第一』(1959/sop,fl,vn,pf)が頭をよぎる。そういえば『ピアノ曲『INTIMATE PIECES』(1974)の1番で、彼はポーの『鴉』の詩の最終章を低声で呟いてからのち、演奏するよう指示していたっけ。

この3曲を挟む第1曲《猫柳》、第5曲《緑色の笛》は、言うまでもなく異なる音調ではある。
《猫柳》は、スコアでの指示と若干の聴取のみご紹介しておく。

 Molto espressivo e tempo rubato
(孤独に、官能的な神秘の中で妖しく、陶酔的に)

葉っぱがくるくる小さく旋回するようなpf音形、声の膨張収縮、ポルタメントなどの書法がうねうねと続く。

終曲《緑色の笛》は以下の指示、詩も挙げておく。

悩ましく陰うつな幻想の中に、のがれるすべなく身をひたし、重く息苦しく。

《緑色の笛》

この黄昏の野原のなかを
耳のながい象たちがぞろりぞろりと歩いてゐる。
黄色い夕月が風にゆらいで
あちこちに帽子のやうな草つぱがひらひらする。
さびしいですか お孃さん!
ここに小さな笛があつて その音色は澄んだ緑です。
やさしく歌口うたぐちをお吹きなさい
とうめいなる空にふるへて
あなたの蜃氣樓をよびよせなさい。
思慕のはるかな海の方から
ひとつの幻像いめぢがしだいにちかづいてくるやうだ。
それは首のない猫のやうで 墓場の草影にふらふらする。
いつそこんな悲しい景色の中で 私は死んでしまひたいのよう! お孃さん!

「ぞろりぞろり」「ひらひらひらひら」の増殖。「さびしいですか お嬢さん!」は不気味に耳元で囁かれ、最後「いつそこんな悲しい景色の中で 私は死んでしまいたひたいのよう!」は「死んでしまいたいの」の繰り返し、その語尾「よー」が長く引き伸ばされたあと、低く呟かれる「お嬢さん!」(低くするどく、の指示あり)。
とまあ、両端2曲は何やら細く青白い長い髪の女がまとわりついてくるようだ。それが妖しいか、悩ましいか、筆者には不明。

朔太郎の幻視にべったりひっつき音を鳴らすのは明らかに西村であり、三善の朔太郎とは当たり前だが全く異なる。西村を聴いていると、その嗜好の異常さがこちらの身体を侵してきて、底なし沼に引き摺り込まれるような暗黒感覚に襲われる。朔太郎の持つ病理と彼の生理が2体の蛇のように言葉と音で絡み合う、誇張するならそんな感じだ。
ここで思わず筆者はヘテロフォニストたる彼の名を決定的に知らしめた『2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー』(1987)がヨーロッパ初演(1990)1) のおり、壮絶なフィニッシュ後の沈黙5秒のち騒然、かつ、通路に吐瀉物が何箇所か、というエピソードを想起してしまう。つまり、それが西欧の聴衆の生理反応で、宜なるかな、と思うのだ(いずれ器楽領域探求路でこの作品には触れるが)。
もっとも、筆者が体験した実演『「青猫」の五つの詩』(2018/Tokyo Cantat/2018)2) はそこまでの迫力というか、異様さはなく非常に美しくもインパクトあるものであったから怯える必要はない。
ただ、この稿執筆前に筆者、『炎(かぎろい)の孤悲歌〜柿本人麿の歌に依る』(1990/無伴奏混声合唱のための)の実演を聴いた(2020/東京混声合唱団)3) 。本作より6年前の作品だが、ドローン、ヘテロフォニー、ガムラン、ケチャにホケットと西村技法満載。複数テクスト同時進行の《挽歌》、《相聞歌》でのコーダ部分クラスターなど、開演前に頂いた自筆譜を見る暇もなく「歌えるマスク」4)  装着合唱団の酸欠昏倒しそうな壮絶歌唱に唖然としたのであった。比すれば『青猫』はまだ大人しい(女声ということもあろう)。

自筆譜 炎の孤悲歌 挽歌Ⅱ

西村はもう1つ柿本人麿で『炎の挽歌』(2000/無伴奏女声組曲)を書いていて、この2つはペアと言える。『挽歌』は前稿(5)で取り上げた『寂光哀歌』(1992)の流れを汲み、まさに挽歌の哀感溢れる美しく波打つヘテロフォニー。これとはまるきり異相の『孤悲歌』の同一線上に『青猫』があろうか。
さらに言うなら、ケチャだのヘテロフォニーだのが出てくる以前の大学院生25歳作『汨羅の淵より』(1978/混声合唱)がすでに抑えがたい西村生理そのままの大渦であることを指摘しておく(いずれまた)。
ともあれ、この二面相に何を読むかは一旦おき、朔太郎と西村をもう少し追う。
つまり、朔太郎の日本主義と西村の汎アジア主義(主義という言葉が適切かどうかはおく)、すなわちそれぞれの輪廻、涅槃。そこから日本の自己意識、「近現代」が見通せるかどうか。

(次回に続く)

註)
1) 1990/9@ノルウェー P・エトヴェシュ指揮/オスロフィルハーモニー
2) 2020/5/3 @すみだトリフォニー 栗山文昭指揮/栗友会女声合唱団 cl齋藤雄介、vn篠原智子、vc門脇大樹、pf浅井道子
3) 2020/10/24@東京文化会館 三ツ橋敬子指揮/東京混声合唱団第253回定期演奏会
4) 歌えるマスク

参考資料)
◆CD:
『「青猫」の五つの詩』(西村朗作品集 第1巻)
『無伴奏女声合唱のための「炎の挽歌」』
『2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー』〈西村朗 作品集 1〉蓮華化生~西村朗 管弦楽作品集

◆動画:
『のら犬ドジ』(三善晃)
『無伴奏女声合唱のための「炎の挽歌」』
 2.「石の中に死れる人への挽歌」
 3.「妻への挽歌」
『2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー』
(残念ながら『炎の孤悲歌』の音源は見つからない)

◆楽譜:全音
『「青猫」の五つの詩』
『無伴奏女声合唱のための「炎の挽歌」』

◆書籍:
『萩原朔太郎 ちくま日本文学全集』筑摩書房
『波のあわいに』春秋社 三善晃/丘山万里子

『西村朗 考・覚書』 (1)  (2)  (3)  (4)  (5)

(2020/12/15)