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望月哲也 シューベルト三大歌曲シリーズ vol.3 《白鳥の歌》|藤堂清

望月哲也 シューベルト三大歌曲シリーズ vol.3 《白鳥の歌》
テノールとギターで辿る<歌曲の王>シューベルトの最高傑作

2019年4月6日 ハクジュホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演者>
望月哲也(テノール)
松尾俊介(ギター)

<曲目>
<ギター伴奏によるシューベルトの名曲>
月に寄せて D.296(松尾俊介編)(*)
羊飼いの嘆きの歌 D.121(ラゴスニック編)
のばら D.257(ラゴスニック編)
魔王 D.328(ディアベリ編)(**)
—————–(休憩)—————–
歌曲集《白鳥の歌》D.957(松尾俊介編 世界初演)
————–(アンコール)————–
セレナーデ D.957-4(《白鳥の歌》より、松尾俊介編)(***)

 

望月哲也が2017年よりハクジュホールを舞台に取り組んできたシューベルト三大歌曲シリーズの第3回、作曲家の死後にまとめられた最後の歌曲集《白鳥の歌》で完結。

三大歌曲集をギターとともに演奏するという試みはめずらしい。
シューベルトに限らず歌曲のピアノ・パートのギター用編曲は、19世紀前半ギターが流行していたという事情や、持ち運びが容易で演奏場所の自由度が高いということもあり、めずらしいものではなかった。家庭などで多くの人が演奏できるよう平易なものが多い。ペーター・シュライヤーがコンラート・ラゴスニックと組んで《美しい水車小屋の娘》全曲を録音、各地で演奏し、この時代の雰囲気を再現してみせた(日本公演は大ホール)。
望月は、2017年に歌曲集《冬の旅》D.911を福田進一のギターで、2018年に歌曲集《美しき水車小屋の娘》D.795を朴葵姫のギターで演奏。今回は松尾俊介が担当した。

《白鳥の歌》の前にシューベルトのゲーテの詩による歌曲が4曲。
始めの3曲では、望月の声がゆったりと伸びやかにホールを埋める。ギターのパートも、もともとのピアノがそれほど音が多いわけではないこともあり、ごく自然に聴ける。編曲が松尾自身とラゴスニックによるもので、現代ギターを想定して書かれているためであろう。
〈魔王〉はピアニストにとっても大変な曲。これだけは19世紀のディアベリによる編曲で演奏された。言い方は良くないが、原曲に近づけようということを放棄して、歌の表情付けの支援に徹している。当然のことながら、歌も通常よりダイナミクスを抑えたものとなり、詩を語る側面が強くなる。現代の編曲はピアノ・パートをできる限り活かそうとしているのに対し、大胆に刈り込んでおり、その点も興味深いものであった。

後半の《白鳥の歌》は14曲通して演奏された。
ギター用の編曲は、演奏者である松尾俊介によるもの。1台のギターでは音域が狭すぎて弾けない曲があるということで、別の調弦をした楽器を用意し持ち替えることで対応していた。
第1曲から第7曲までのレルシュタープの詩による歌曲では、伴奏にこまかな動きのある〈愛の使い〉や〈別れ〉のような場合でも、ギターが歌に寄り添い、ピアノとの場合とあまり変わらぬ効果を生んでいた。しかし、ハイネの詩に付けられた曲には〈アトラス〉のようにピアノの大きなダイナミクスを必要とするものもあり、前奏の部分など、ギターの音量では難しい。それでも歌が入れば、表情の幅を広くとり、全体としては表現に不足を感じさせなかった。一方、〈影法師〉のようにピアノが一小節に一つの和音といった曲では、ギターの残響の短さを補うことも必要となる。歌の表情付けが過剰に感じられたが、楽器の弱点をカバーするためだったのだろう。
望月は、オペラでもリサイタルでも、常に「端正」で、折り目正しい。美しい声、明確な言葉、的確なリズム。だが、それは踏み込んだ表現に欠けることにもつながっていた。ギターという制約の多い楽器と共演することで、彼はその殻をやぶり、より大きな歌の世界を作る可能性に気付いたように感じた。

三大歌曲集の演奏を完遂したことは、エルンスト・ヘフリガーの教えを受け、歌曲へ熱い思いを持って取り組んできた望月にとって大きなステップとなったことだろう。
これからも彼独自の歌曲の世界を拡げていくことを期待したい。

(*)
第1曲〈月に寄せて〉はプログラムではD.468と書かれていたが、演奏、歌詞対訳ともにD.296(前者はヘルティ、後者はゲーテの詩)。
(**)
ディアベリはオーストリアの作曲家で出版業者、ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》に名が残されているが、自身も多くのピアノ曲、歌曲の作曲・編曲、出版を行っている。
(***)
アンコールにこの曲を取り上げたのには理由がある。本番でこの曲の途中、二人が合わなくなった。そのリヴェンジということだったのだが、二度目も同様の状況に。この曲、楽譜によっては、繰り返しで表記しているものもあるので、そのあたりの思い違いかと感じた。二人で楽譜を確認し、三度目は無事、歌い終えた。望月の柔らかな美声が多く聴けたことで満足。

(2019/5/15)