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松平敬×會田瑞樹 シュトックハウゼンとシューベルト 〜星と冬の旅〜|藤堂清

松平敬×會田瑞樹
シュトックハウゼンとシューベルト
〜星と冬の旅〜

2018年12月5日 近江楽堂
Reviewed by 藤堂清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi

<曲目>
シュトックハウゼン:《ティアクライス》(1974)より〈ふたご座〉
 (オルゴールによる演奏)
シューベルト:《冬の旅》(1827)より
 (声とヴィブラフォンのための版 編曲:松平敬、會田瑞樹(11))
   1.おやすみ
   2.風見の旗
   3.凍った涙
   5.菩提樹
   8.回顧
   11.春の夢
   15.からす
   16.最後の望み
   20.道標
   21.旅宿
   24.辻音楽師
——————-(休憩)——————-
シュトックハウゼン:《ヴィブラ=エルーファ》(2003)
 (ヴィブラフォン独奏)
シュトックハウゼン:《ティアクライス》(1974)
 (バリトン/トイ・ピアノとヴィブラフォン/グロッケンシュピールのための)

<演奏>
バリトン/トイ・ピアノ:松平敬
ヴィブラフォン/グロッケンシュピール:會田瑞樹

 

カールハインツ・シュトックハウゼンは2007年のこの日に亡くなった。それから11年目の命日、松平の主催で行われたコンサートは、シュトックハウゼンの《ティアクライス》をメインとするプログラム。前半には、シューベルトの《冬の旅》から11曲が、松平と會田の編曲によるヴィブラフォンのための版で歌われた。

《ティアクライス》はオルゴールのために作曲された曲、コンサートはシュトックハウゼンのサイン入りのオルゴール〈ふたご座〉の演奏から始まった(オルゴールをめぐる経緯はこちら)。近江楽堂という狭い空間に響く音は、サロンや居間といった日常の空間で鳴っている印象で、音楽と対峙するといったしゃちほこばった聴き方をしないでとでもいうよう。その耳にやさしい音は、筆者の持っているシュトックハウゼンのイメージを覆すものであった。

前半のメインはシューベルトの《冬の旅》。声のパートには変更がなく、ピアノ・パートを受け持つヴィブラフォンが通常とは異なる表情を描く。
この曲集、弦楽四重奏、アコーディオンと管楽器、オーケストラといったさまざまな編成とともに歌われてきている。音色が多様となり、音の重なりや減衰の仕方が変化に富むといった利点はあり面白く感じる曲もあるが、第2部の後半の数曲ではそれが余計なものに聴こえることが多い。
ヴィブラフォンの場合も、トレモロやヴィブラートといったこの楽器特有の音が効果的に響く曲もあれば、少し抵抗を感じる曲もあった。〈おやすみ〉のようにゆったりとしたテンポの場合はよいが、〈菩提樹〉のようにダイナミクスやテンポの変化のある曲ではすこし無理をしているように思えた。
松平の歌唱は、言葉や歌詞の抑揚をくっきりと浮かび上がらせる見事なもの。現代もののスペシャリストといったイメージが強かったが、彼がドイツ・リートを歌うのであれば、是非聴かねばという気持ちになった。
《冬の旅》からこの11曲を選び出して演奏した理由は、筆者には分からなかった。

後半は、會田の独奏による《ヴィブラ=エルーファ》から始まる。シュトックハウゼンの長大作オペラ《光》から《金曜日》の一部をヴィブラフォン用にアレンジした曲。會田も前半よりのびのびと叩き、擦っている。音量のコントロールなど技術的には《冬の旅》の方がむずかしいところもあったが、こちらでは楽器の音の多彩な響きをよりよく味わえた。

最後は《ティアクライス》。松平自身による楽曲説明が簡潔でわかりやすい。
黄道上の12星座にメロディーをつけた作品、それぞれに中心音とテンポが決められている。各メロディーを3~4回繰り返すが、その都度演奏法を変えなければならない。歌詞はシュトックハウゼンによるものだが、意味のある文章ではなく、星座の属性やキャラクターを列挙したもの。言語を変えることも推奨されている。実際、英語だけでなくドイツ語などの単語が耳にとびこんでくるのだが、つながりは掴めない。日本語で歌われた部分もあった。
會田はヴィブラフォンのほかグロッケンシュピールも使い、音色を多様なものとしていた。もともとがオルゴールのために書かれているということもあり、曲自体が打楽器との親和性が高い。器楽という点では、さらにトイピアノの木の乾いた音が加わる。こちらは歌いながら松平が担当。声と3種の打楽器という組み合わせ、松平の柔軟な声と響きの多彩さもあり、面白く聴いた。

音楽の創造という行為における作曲と演奏、両者をつなぐ「楽譜」の存在。演奏者による再創造をどこまでどのように必要とするのか、あるいは許容するのかということは、時代により幅があるだろう。シューベルトとシュトックハウゼンという二人を対象に、そういった問いを突き付けられた。
《ティアクライス》のように演奏者による創作を必要とする作品、この日のバージョンは再び演奏されることがあるのだろうか?楽譜の上に書き留めることはできるだろうが、作曲者はそれを望むであろうか?

(2019/1/15)