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江崎昌子ピアノ・リサイタル|大河内文恵

江崎昌子ピアノ・リサイタル

2019年5月1日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)

<演奏>
江崎昌子(ピアノ)

<曲目>
J. ザレンプスキ:バラと棘~ピアノのための5つの即興曲~ 作品13
M. マギン:3つのポーランド舞曲
F. ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 作品60

~休憩~

F. ショパン:24の前奏曲 作品28

~アンコール~
F. ショパン:マズルカ No. 27 Op. 41-2
F. ショパン(A. ミハロフスキ編):子犬のワルツ
ザレンプスキ:子守歌

 

2019年は、日本・ポーランド国交樹立100周年にあたり、その記念事業の1つとしてこの演奏会はおこなわれた。後援に駐日ポーランド共和国大使館が入っているためか、会場のあちらこちらからポーランド語が聴こえる。日本の演奏会では珍しい光景がひろがっていた。

ポーランドの作曲家ということで、ショパンがメインになるのは当然として、前半に取り上げられたザレンプスキとマギンはどちらも耳新しい。ザレンプスキは1854年生まれとショパンよりも1世代ほど後に生まれ、リストの弟子である。会場で先行発売された、江崎校訂の楽譜『ザレンプスキピアノ曲集』にも所収されている、『バラと棘』が最初に演奏された。

音の響きの印象は、ショパンというよりドビュッシーに近い。江崎のピアノの魅力は弱音の圧倒的美しさだ。第1曲の冒頭や終曲の終わりなど、聴こえるか聴こえないかのギリギリの音量、なのにしっかりこちらの耳には届く。ザレンプスキの和音の使いかたはドビュッシーに近いのだが、ところどころにポーランドらしさが顔だす。ドビュッシーに包まれたショパンといった具合に。

つづくマギンは、ショパンとザレンプスキのちょうど間の世代で、彼の『3つのポーランド舞曲集』は、鋭いリズムと強い打鍵が特徴的なマズル、緩やかな3拍子のクヤヴィアク、ポーランド語で回転させるという意味のobracaćという動詞に由来するオベレクの3曲からなる。いずれの曲名もなじみが薄いが、ショパンのマズルカにはこれらの舞曲が入っている。マズルカとして一括りにされているものが、じつは多様な民俗舞曲の集合体であるということがまざまざと感じられる。

マギンの曲は、作曲者自身がピアニストだったこともあり、非常にピアニスティックに書かれている。江崎の演奏では、2曲めのクヤヴィアクと3曲目のオベレクが秀逸であった。

前半の最後は、ショパンの『舟歌作品60』。よく演奏される曲ではあるが、江崎の手にかかるとまったく異なる様相をみせる。ザレンプスキの曲同様、弱音が素晴らしいのは当然として、「舟歌」という言葉から連想されるヴェネツィアのゴンドラの舟歌ではなく、まぎれもなくポーランドの舟歌なのだ。聴きながら、この曲ってこんなにいい曲だったっけ?と何度も首を捻った。後半の盛り上がっていく有名な箇所よりも、そうでないところにじつはこの曲の本当の魅力があったのだと思い知った。

後半は『24の前奏曲』全曲。印象に残ったのは、北の海の光景が眼前に広がった第4番、テレビCMで有名になった第7番は、長年こびりついた手垢を拭い去った好演。第12番は右手の旋律が注目されがちだが、左手のリズムがこの曲の本質を支えていることを知った。第15番『雨だれ』では、クラクフの石畳に雨粒が落ちる様子が見えるよう、そしてその陰鬱な雰囲気を支えているのはやはり左手。第17番では最後に11回響くAs音の上で奏でられている右手の音が、目の前で弾いているはずなのに、どこか遠くから聞こえてきているような不思議な感覚を味わった。第20番では下降するバスがバロック音楽を思い起こさせる。終曲への橋渡しのように扱われがちな第23番も江崎の音色で聴くと格別の味わいがある。

ショパンの曲は、誰が弾いても「ショパン以上でも以下でもない」ということになりがちだが、江崎がやってみせたように、「ポーランド文脈」に一度戻してみることで、別の可能性がひらかれる。それは、ピリオド楽器ではなくモダンの楽器で弾いたとしても可能な新しい可能性である。

アンコール2曲めは、子犬のワルツのようなのに子犬のワルツでない、と思うとやっぱり子犬のワルツというミハロフスキ編曲によるもの。子犬のワルツらしきものとそうでないものを行ったり来たりするさまが非常に楽しかった。クラシック音楽の演奏会では、「楽譜に忠実」であることが大前提のように思われているが、こんな遊び心があってもよいのではないか。そして、アンコール最後に演奏されたザレンプスキの『子守歌』も絶品。終了後、先行販売されたCDや楽譜を買い求め、サインに並ぶ列が長く伸びていたのは、コンサートの充実ぶりの証左であろう。

(2019/6/15)