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MARO WORLD VOL.35|藤原聡

MARO WORLD VOL.35

2019年4月12日 王子ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
篠崎“まろ”史紀
伝田正秀
水谷晃(以上ヴァイオリン)
鈴木康浩(ヴィオラ)
中木健二(チェロ)
入江一雄(ピアノ)

<曲目>
ショーソン
ピアノ三重奏曲 ト短調 Op..3
(前半のアンコール)
小品 Op.39
ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏曲のための協奏曲 ニ長調 Op.21
(後半のアンコール)
夜 Op.11-1

 

MAROワールドも回を重ねて今回で何と35回目、これは期待していたコンサートである。なぜならほとんど実演で聴く機会のないショーソンの代表的な室内楽曲が2曲まとめて聴けるから。
この作曲家で有名な作品と言えば、まずは交響曲、もしくは詩曲、少し通向けということで言えば歌曲『愛と海の詩』辺りを挙げる方も多いだろう。この3曲はまだたまに演奏されることもあるが(特に前二者)、当夜の室内楽曲2曲はこれより演奏頻度が遥かに少ない。恐らく技巧的に相当高度なものが求められる割には華やかな演奏効果が上がりにくい曲だからであろう。重厚な和声、いささか晦渋な旋律、憂鬱な情感は師匠フランクと若い頃に影響を受けたワーグナーの影が色濃い。
とは言えこれらの曲のファンもまた確実に存在する訳で、筆者などもそのうちの1人だと思っているのだけれど、意外にもかなりの人数存在した曲の隠れ(?)ファンのためか、はたまたまろさんの人気ゆえか、この日のチケットは完売であった。理由はどうあれ少し嬉しい気が。

開演。まずはまろさんの「小噺」(超概要:ショーソンはフランス語で「スリッパ」)があってからのピアノ三重奏曲だが、冒頭からその旋律はとりとめなく多彩、激高する箇所と内面的に鬱屈していく箇所のコントラストが実に激しい。和音は重々しくスマートとは言い難く、全体に各楽器は低音や重音、重い和音を多用するために音楽は飛翔ではなく常に地面を這いつくばるかのように進行する。
しかしこれは喩えようもなく美しい音楽で、この音楽を聴いていると憧れに悶えながらもそれに手が届かぬゆえに苦悩するショーソンの姿がありありと思い浮かぶ。一般にフランス音楽、と言うと洒脱で軽妙、洗練を身上とするイメージがあるが、ショーソンのこの濃厚なロマンティシズムと情念はそれからすれば異質の感があり、まさに孤高という形容が相応しい。

演奏は相当に優れていたように思う。まろさん、中木、入江(まろだけなぜか「さん」を付けたくなるのだが‐笑)のアンサンブルのバランスは絶妙で、まろさんのやや線は細いながらもしなやかで美しく、そして決して単調に陥らない歌い回し。低音域が頻出し重厚さが際立つチェロ・パートを――それゆえ精一杯弾いても全体に融合したりあるいは沈滞して決して華麗には響かない――力むことなくいかにも自然体で弾き切った中木、そしてショーソンの鬱屈を伝えんと磐石の技巧で「暑苦しく」(苦笑)支えた入江のピアノ。まさに三者三様で不思議かつ絶妙なトライアングルを形成していた。今回がこの難曲の初演奏とは思えない完成度を誇る演奏だったのではないか。
そして前半のアンコールは鈴木のヴィオラとピアノのため「小品」Op.39。このようなタイトルでありながらそこはショーソン、文字通りの小品ではない。7~8分の演奏時間の中でヴィオラとピアノが単なる主従関係に堕することなく両者が有機的に絡み合い緻密に進行して行く。鈴木の雄弁極まりない演奏は実に堂に入ったものだ。

後半はヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏曲のための協奏曲 ニ長調、いわゆる「コンセール」。弦楽四重奏にヴァイオリンとピアノが加わった特異な編成の曲だが、26歳時の作品である先のピアノ三重奏曲より10年後、作曲者の充実期に書かれた傑作。弦楽四重奏は大概背後に回りソロ・ヴァイオリンとピアノがしばしば前面に出るので、ヴァイオリン・ソナタに弦楽四重奏の伴奏が付いた、とでも言えるか。息の長い旋律に多用される転調。熱に浮かされたかのように終わりの見えない楽曲展開。とは言え何度か曲を聴きこんでみれば全曲を通して確固たる形式感が支配していることに気付かされるのだが、それは師匠フランク譲りの巧みな循環形式の使用や変奏的な展開ゆえだろう。

今回このコンセールを実演で初めて聴いたのだが、315席の王子ホールゆえ6人編成のこの曲はなかなかの音量である。いささか飽和気味に響いた感もあるが、そのためか和声的な移ろいの妙を慈しむ、というよりは全体的な迫力が勝った感がなくもない。
とは言えあのシシリエンヌ(第2楽章)は曲調ゆえかピアノと弦楽四重奏の融和と分離の音色的な対比は明瞭に感知できたし、反面第3楽章の激情は王子ホールだからこそ真に迫って伝わって来たと思える(下手に大きなホールであったらその印象は紗幕越しに見る景色の如く効果が薄れてしまっただろう)。これもまた大変質の高い演奏ではなかっただろうか。

実演でこの2曲を続けて聴いて、これが想像以上にヘヴィであってもたれなかったと言えば嘘になるが、しかしそれゆえ非常に中身の濃い充実した2時間だったと言える。無理を承知で個人的な希望をここに記せば、このMAROワールド、今後ダンディやマニャールの室内楽なんぞ取り上げて頂きたいのだが、さすがにマニアック過ぎるだろうか?

(2019/5/15)