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マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル|藤原聡

マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル

2018年4月17日(火) サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス

<曲目>
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第12番 へ長調 K.332
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K.333
シューベルト:4つの即興曲 Op.142,D935
(アンコール)
シューベルト:3つのピアノ曲 D946~第2曲 変ホ長調

 

偉大な音楽家の引退公演ともなれば、その人の音楽を愛してきた聴き手であればあるほどにそこにその音楽家の来し方と聴き手自らがその音楽から与えられてきた「力」を重ね合わせ、さらに目前でこれから否応なく訪れてしまう「別れ」を想像しつつそれらを脳内で攪拌させ多かれ少なかれ感傷的あるいは感情的になるというものだろう(弦楽四重奏曲を好む筆者など、幸運にも聴くことの出来たアルバン・ベルクSQと東京SQの解散前における日本最終公演では開演前ももちろん終演後も曰く言い難い感慨に耽ったものだ。あるいは昨年10月、エリシュカ最後の来日も誠に感銘深いコンサートだった)。

ピリスの大ファン! と声を大にして言える訳でもないけれど、しかしモーツァルトのソナタ全集やショパンの夜想曲全集、シューベルトの即興曲集などの録音にはどれだけ心に潤いをもらったことか。また、ピリスと同じポルトガルの大監督マノエル・ド・オリヴェイラの傑作『神曲』に「狂女役」で出演してベートーヴェンを弾いたり、同じくオリヴェイラの『家路』や『アンジェリカの微笑み』で用いられるピアノ演奏はピリスのショパンだったなあ、などとこの監督のファンである筆者は思い出したりもして、かのオリヴェイラもピリスが好きだったのだろうと改めて回想し、まあそんなこんなでピリス引退、に対しての物思いに耽っていたのが他ならぬわたくしである。

本年で齢74になろうかという小柄なピリスがサントリーホールのステージに小股で軽快に現れ、ピアノの前に座るや否や即座に軽快にモーツァルトの第12番のソナタを弾き始めるのを目にすると、しかし先に記したようなこちらのいささか湿っぽい感慨は消え去る。なんという瑞々しく軽やかなピアノだろうか。衒いのない早めのテンポで一見さりげなく、しかしそのタッチは楽想に応じて微妙にその色と表情を変えて行く。それでいてその音楽はあくまで自然で、聴いているうちにモーツァルトもピリスも消え去って、ただただ美しい音楽が前の前にある、そのような印象を持つに至る。「我」というものが全くないのだ、この演奏には。もっと言えば「個性的」ですらない。こういう音楽を前にして聴き手に出来ることはひたすら虚心に繊細なそれらの音の連なりに耳を澄ますことだけだ。幸福な時間だけが流れて行く、その時間はもちろん戻らないが。「音楽は空中に放たれると、2度とそれを取り戻すことはできない」(エリック・ドルフィー)。

後半のシューベルトもまたしかり。ここには「音楽」しかない。人はともするとシューベルトの音楽の人懐っこさ暖かさ、その裏返しであるどん底の寂寥感などをシューベルトその人の人生の反映だと見做す。しかし、ピリスの演奏にはその様な音楽外的な想像を誘うような(こう書いてよければ)思わせぶりな身振りが微塵もない。モーツァルトで自然に現れ即座に弾き始めたピリスと同様、ここでもそこにあるのは「楽譜を前にした虚心なピリスによる、等身大のシューベルト」。しかし、その等身大の姿勢だからこそ逆にシューベルトの音楽の持つ巧まざる味わいがそのまま焙り出される。その転調の効果に人生観照を見出すのは聴き手の自由だが、それはピリスが意識的に表出しようとしているものではない。再びこの言葉を用いば、「巧まずして」シューベルトの音楽の味わいが最大化されているということだろう。ERATO時代の若かりし日の録音を聴いてもピリスは昔からこういう音楽をやっていたのだけれど、しかしその作為のなさはともすれば「味わいの欠如」と感じられる瞬間なしとは言えない。だから、ここ最近のピリスはまさに最上の円熟(との言葉すらピリス的ではないかも知れないが)の状態にあると言える。その今、ピアニスト活動から身を引くというのもまたいかにもピリスらしいではないか。アンコールもまたシューベルトなのは当然という気がするが、3つのピアノ曲の第2曲、A-B-A-C-Aという構成におけるBとCの2つの短調のエピソード、ここから主部のAに回帰する際の絶妙な自然さと呼吸には思わず落涙。

ピリスの音楽はあくまで「音楽」なのだが、そこには音楽だけでない何物かが立ち現れている。さて、この人の音楽を聴き終わった後、聴き手は泣くべきなのか笑うべきなのか。いずれにせよ平静ではいられまい。そう言えば終演後多数の聴衆による暖かいスタンディング・オヴェイションの中でピリスは泣いていた。

(2018/5/15)