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ウィーン留学記|ウィーン国立歌劇場150周年(前編)――舞台リハーサル見学|蒲知代

《影のない女》初演時の楽譜

ウィーン国立歌劇場150周年(前編)――舞台リハーサル見学

text & photos by 蒲知代 (Tomoyo Kaba)

2019年5月15日は特別な日になった。
ウィーン国立歌劇場のオペラの舞台リハーサルを見学させてもらったのだ。一般公開の「ゲネプロ」ではなく、ほとんど関係者しかいないリハーサルである。

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時を遡ること、昨年の11月。ウィーン国立歌劇場が現在の建物で上演を初めて150周年を迎える今年5月25日に、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『影のない女』(1919年ウィーン初演)のプルミエ公演が行われるので、奮発して座席のチケットを予約した。いつもは当日券の立ち見で観るが、記念日の行列は大変なことになるだろうし、当日行って買えないリスクを冒したくなかったのである。
その話をたまたま知り合いのオーストリア人ジャーナリストに話したところ、今年初めに思いがけないメールが届いた。彼女の知り合いのカタリーナさんがウィーン国立歌劇場のアーカイブで働いていて、私がコラムを書いているのを知り、ぜひアーカイブにある貴重な楽譜を見せたいと言ってくれたのだ。そのうえもし興味があれば、舞台リハーサルも見学しないか、とのこと。椅子から飛び上がりそうになるほど驚いたあと、もちろん喜んで、という返信をした。
そして迎えたリハーサル当日。午前11時きっかりにリハーサルが始まるため、15分前にカタリーナさんと待ち合わせした。彼女はソリストに楽譜を届けに行くと言い、私を連れて「迷宮(ラビリンス)」のような建物の中を早足で歩いて行く。ただでさえ緊張していたが、階段をたくさん上ったので、心臓がバクバクしてしまった。
残念ながら控室にソリストはいなかったので、そのままリハーサルに向かった。舞台上では舞台装置の調整が行われ、オーケストラピットでは楽団員が楽器の準備をしていた。平土間に入るのは初めてだったので、それだけで新鮮だったが、彼女に案内されたのは前から2番目の席。席にはほとんど誰もおらず、焦ってしまった。他にも見学客は大勢いると思っていたのだ。ところが、続々と入ってくる人たちは劇場関係者。演出家のヴァンサン・ユゲ氏や声楽指導監督のトーマス・ラウスマン氏が目の前で話していると思ったら、ウィーン国立歌劇場総裁のドミニク・マイヤー氏も登場。私は邪魔にならないようじっとしていたが、マイヤー氏とは握手することができた。
そこにドイツ地図柄のポロシャツを着たクリスティアン・ティーレマン氏が姿を現すと、カタリーナさんは楽譜を渡しに行った。というのも、今回使用するのは、初演時のスコア。とても貴重な資料なので、練習の度にアーカイブから運んで来ないといけないらしい。私も後で持たせてもらったが、1幕分だけで相当の重さだ。5キロ近くあっただろう。しかし、ティーレマン氏はアーカイブで初めて初演時の楽譜を見せられたとき、たいそう感激していたそうで、カタリーナさんはその時の様子を嬉しそうに語ってくれた。
さて、この日は5回目のリハーサルで、舞台リハーサルとしては3回目とのことだった(同じ週の13日に第1幕、14日に第2幕、15日は第3幕の舞台リハーサルだった)。その後の予定は、16日(木)の修正と18日(土)の通し稽古を経て、21日(火)にゲネプロ。25日(土)に本番のプルミエ公演を迎えた。
リハーサルの最初の35分間はオーケストラのみ。ウォーミングアップがあるかと思いきや、ティーレマン氏は最初から小節番号の数字を読み上げ、オーケストラは指定された箇所を即座に演奏した。少しでも気を抜いたら、間違いなく置いて行かれるだろう。この練習では主に、リズムと強弱の確認が行われていた。問題がなければ先に進むが、指揮者がリズムを歌って聞かせ、オーケストラに繰り返させることもある。また、ティーレマン氏はイェンドリック・シュプリンガー氏に意見を求めることも多かった。シュプリンガー氏はウィーン国立歌劇場のコレペティートル(ピアノで伴奏を弾きながら、ソリストを指導する人)だが、ティーレマン氏の音楽アシスタントでもある。そのため、本来は最前列中央の大きな木製の譜面台がある席は声楽指導監督のラウスマン氏の席だが、今回はシュプリンガー氏が座っていた(ちなみに、シュプリンガー氏の隣にカタリーナさんが座り、私はその斜め後ろにいたので、練習の途中でティーレマン氏と目が合うことがあった)。
ラウスマン氏はシュプリンガー氏の真後ろの席(私の2つ隣の席)に立ったまま腰かけ、シュプリンガー氏の耳元で何やら囁いたかと思うと、どこかに走って行き、また戻って来る。リハーサルの間じゅう、その繰り返しだったので、ラウスマン氏はとても大変そうだった。
そして予定より10分早い11時35分から、舞台上のソリストとエキストラが練習に加わった。衣装を着ている人もいれば、着ていない人もいる。観客席の照明は消され、本番と同じ暗さでリハーサルは行われた。暫くすると、ホルンの音が違うと言って、練習はストップ。ティーレマン氏は2011年のザルツブルク音楽祭で同オペラを指揮しているため、自分の楽譜に間違いはないと主張するが、楽団員たちも意見を言ってホルン奏者を擁護する。結局、休憩時間にホルン奏者の楽譜だけに印刷ミスがあることが発覚し、事態は収束。とはいえ、場の雰囲気が悪くなりかけたのはこの時だけで、あとは和気あいあいと練習は進められた。全くピリピリすることもない。
12時30分から短い休憩がとられ、楽団員たちはどこかに散って行ったが、ティーレマン氏の周りは大忙し。まるで休憩の合図が「よーいドン!」であるかのように、責任者たちはそれぞれ話したい相手に向かって突進して行った。指揮者に用がある人が多かったが、とにかく勢いが凄い。とても印象的な光景だった。そして、彼らも話が終わると休憩に入り、姿を消した。
けれども、ティーレマン氏は少し早めに戻って来た。気が付いたら、オーケストラピットから初めて観客席の方に出てきて、再び責任者たちと話し合っている。私は自分が立っているのと同じ床の上に、ティーレマン氏が立っていることが何だか信じられなかった。とても近い。マエストロの姿をしかと目に焼き付けさせてもらった。
練習が再開し、続きから始まると思っていたら、ティーレマン氏は小節番号を指示。楽譜を見ていない舞台上の歌手も直ぐに対応したので再度驚かされた。リハーサルは基本的にオーケストラ中心にまわり、指揮者が気になった箇所で止めて、繰り返させる。その場合、ソリストは歌わないことが多いので、演技から素に戻って隣のソリストと談笑している姿を見ることができたのは新鮮だった。
それからリハーサル終盤には、大きな問題が発生した。スピーカーから聞こえて来るコーラスのボリュームが大きすぎたのだ。ティーレマン氏をはじめ関係者たちは思わず吹き出し、ラウスマン氏は慌ててどこかに飛んで行ったが、調整には時間がかかった。また、エキストラの子供たちが登場するタイミングが遅すぎて、演出家が舞台の方に走って行き、他のスタッフと共に指導する場面も。問題が解決し、ガッツポーズが出たところで、ティーレマン氏が終了宣言。時計を見ると、終了予定時刻の午後2時より少し前だった。絶対に時間オーバーはしないことになっているのだろう。責任者たちは上出来だと称え合い、去って行った。(続く)

(2019/6/15)

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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。