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ウィーン留学記|イースターと大火災|蒲知代

イースターと大火災

text & photos by 蒲知代(Tomoyo  Kaba)

またか、と思ったのは、先月21日のこと。イースターの日曜の昼下がりだった。洗濯機をまわそうと学生寮のエントランス付近を通りかかると、外に消防車が止まっていた。エレベーターが使えないので変だとは思っていたが、どうやらまた誰かが部屋の火災報知機を鳴らしてしまったらしい。理由はタバコの煙なのか何かを焦がしたのかは分からないが、学生寮に住んでいると、火災報知機がたびたび鳴る。一度は夜中に部屋にいられないほどの大きな音で起こされ、外に避難する羽目になったこともあった。しかし、万一に備えて駆け付けてくれる消防車の存在はありがたい。ウィーンの防火対策に感謝する日々である。

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聖アンナ・バウムガルテン教会

今年のイースター休暇(移動祝日)は、4月15日から28日までの2週間だった。私はキリスト教徒ではないので、イースターだからといって何か特別なことをする習慣はないが、思い返せば、ウィーンでは毎年色々な経験をさせてもらっている。
例えば、2年前の4月16日は、日曜ミサに参加した。イエス・キリストが復活した復活祭当日のミサである。ウィーンでオペラ演出の研究をしている友人に、日本人の友人が歌うからと誘われ、ウィーン西部の聖アンナ・バウムガルテン教会を訪れた(ウィーン留学中の石坂彩子さんがハイドンのオラトリオ『天地創造』より、アリア「鷲は力強い翼を広げて」を歌い、他にも4曲が演奏された)。
教会の中に入ると、すでに音楽が鳴っていた。初めてのミサだったので緊張していたが、地元の人たちが普段着で集まってきたのを見て、ひと安心。先入観を持って黒色の服装で行ったが、オレンジや赤のコートを羽織って来た老婦人もいた。午前10時にミサが始まると、参列者はただ座って見ているわけにはいかず、思いのほか忙しかった。立ったり座ったり、十字を切ったり、祈りを唱えたり聖歌を歌ったり。近所に座っている人たちと握手をしなければならない場面もあった。他にも、香炉の煙がまかれたり、水しぶきを受けたり、献金箱がまわってきたり。

ミサ後に司祭が配っていたイースターエッグ

信者以外がミサに来てはいけない、ということはないようだが、信者の邪魔になってはいけない。とりあえず見様見まねで動いたが、少し予習をしておけばよかった、と反省。しかし、帰り際に出口で司祭からイースターエッグをもらったさい、司祭から温かい言葉をかけられたのは、嬉しかった。

それから、昨年2018年4月1日には、ウィーン国立歌劇場でリヒャルト・ヴァーグナーの『パルジファル』(1882年)を観た。2017年新演出のオペラで、佐野旭司さんが本誌でコラム「ウィーン便り」の「ウィーンのイースター」に書かれているのと同じ演出である。今年のイースターはヴァレリー・ゲルギエフの指揮で上演されたそうだ。毎年ウィーンでイースターの時期に上演されている作品を観ることができたのは、感慨深かった。

そして先月9日は、楽友協会の大ホールでバッハの『マタイ受難曲』(1727年)を聴いた。指揮者はマルティン・ハーゼルベック。ウィーン・アカデミー管弦楽団とウィーン・アカデミー・コンソートによる演奏だった。教会のミサではないのに、イースターに宗教音楽を聴きに行くというだけで少し緊張した。きっと厳粛な雰囲気になるだろう。ところが、その予想は裏切られることになる。
今回は始まる前から気になることがあった。ジャージを履いている人がちらほらいたのだ。立ち見はジーパンなどカジュアルな格好の人が割と多いのだが、ジャージはウィーン国立歌劇場の方では入場を拒否されるため、追い出されないか少し心配になってしまった(国立歌劇場では、穴あきジーンズと脛が見える丈のメンズパンツも禁止されている)。とはいえ、入場できたのなら大丈夫だろう。演奏が始まった頃には、ジャージのことは頭から消え去っていた。
ところが、である。私語が多過ぎ、途中退場が多過ぎ。注意されても話を止めず、挙句の果てにスマホで記念撮影をして、係員に「退場」のジェスチャーをされても無視した人たちがいたのには驚かされた。また、演奏中に平気で出て行った人は、立ち見の半数以上。体調が悪くなったのならば問題ないが、どう考えても違う理由だ。『マタイ受難曲』はキリストの受難を描いたストーリーになっているので、歌の大まかな意味だけでも知っていれば、安易に出て行けるものではない。宗教曲だから難しいとか、私はキリスト教徒ではない、という気持ちがマナーの悪さを助長したようにも思えた。また、服装の自由さが行動も自由にして良いという勘違いに繋がった気がして、とても残念だった。

フォルクス劇場

さて、その翌々日には、イースターとは関係ないが、フォルクス劇場でスイスの劇作家マックス・フリッシュ(1911-1991)の『ビーダーマンと放火魔たち』(1958年)を観に行った。上演前にドラマトゥルクによる作品解説があり、上演後に俳優陣によるアフタートークが行われる特別な日だったためである。
主人公のビーダーマンは毛生え薬の会社を経営している社長である。町では放火が相次いでいるが、いつも同じ手口。新聞によれば、行商人が家の屋根裏部屋に上がり込み、放火するらしい。そんなある雨の日、ビーダーマンの家に元レスラーのシュミッツという男が訪ねて来る。二人は面識がないが、ビーダーマンは家無しのシュミッツを家に泊めてしまう。そこに、アイゼンリングという男と学者の男が加わり、せっせとガソリン入りの大きなタンクを部屋に運び入れ始める。どう考えても、放火魔だ。しかし、ビーダーマンは通報せず、彼らと「友達」になる道を探るが、あえなく失敗。ビーダーマンの家は放火されてしまう。
ブラックユーモア全開の話だが、ビーダーマンの不安は、私たち現代人にも当てはまる。いつの時代も、自分の家や財産を失う不安は付きものだろう(放火魔をナチス等とみなす解釈はある)。

この4日後の4月15日に、フランスのノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生した。
ウィーンのオーストリア国営放送(ORF)は、当日の夜のニュースで、スタジオに美術史家の若い女性とオーストリア消防局の男性を呼び、1992年のウィーンの王宮での大火災に触れながら、ウィーンの歴史的建造物の防火対策にまで話を進めた。また中継で、ウィーンの大司教は「都市の心臓部」であるノートルダム大聖堂に最悪の事態が起こったことを嘆き、第二次世界大戦で燃えて修復されたシュテファン大聖堂のように、ノートルダム大聖堂が再建されることを強く願っていた。
もうすぐイースター、という時に起こった大火災。大聖堂を見て涙を流すパリの人々の姿をテレビで見て、居た堪れない気持ちになった。宗教感情によるものが大きいかもしれないが、自分の家を失ったような悲しみにも似ているかもしれない。無宗教の人間が宗教を理解することは難しいが、理解しようと勉強したり、考えたりする時間は大切だと改めて感じた。

 (2019/5/15)

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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。