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ウィーン留学記|ノーベル賞作家ペーター・ハントケの無言劇|蒲知代

ノーベル賞作家ペーター・ハントケの無言劇
Das stumme Spiel des Nobelpreisträgers Peter Handke

Text & Photos by 蒲知代 (Tomoyo Kaba)

2019年はどんな年だっただろう?
私にとっては試練の年だった。良いこともあったが、辛いことも沢山あったからだ。例えば、指導教授が年金生活に入ることになり、指導教授を変更せざるを得なくなったこと。とにかく厳しい先生だったから、先生を変えたいと思ったことは正直何度もあるのだが、いざ告げられると涙が止まらなくなった。
そんな私に
「元気出せよ!」
と書いて送ってくれたのは、新しい指導教授。またまた涙が止まらなかった。

*****

昨年といえば、オーストリアの作家ペーター・ハントケ(1942-)がノーベル文学賞を受賞した。オーストリア人の作家がノーベル文学賞を受賞するのは、2004年のエルフリーデ・イェリネク(1946-)以来、2人目である。
ハントケの受賞が発表されたのは10月10日。いつか取れるとは思っていたものの、今年だったことに驚き、歓喜した。実はその1ヶ月前に偶然、クラーゲンフルトで上演されるハントケの劇のチケットを買っていたからである。
翌週、オーストリア人のタンデムパートナーに「おめでとう!」と言ったら、受賞するとは思わなかったという返事が返ってきた。ハントケが旧ユーゴスラビア紛争においてセルビアを支持する発言をしたことが理由らしい。しかしながら、彼女は高校生のときにハントケを読んだことがあり、どちらかと言うとイェリネクの方が難解だと話していた。
そして迎えた11月13日。電車に4時間揺られて、ウィーンから南へと移動した。車窓からは雪景色が見えることもあったが、クラーゲンフルトに着いてみると、ありがたいことに雨(寒いのは苦手だ)。まず駅前のムージル文学館に入り、オーストリアの作家ローベルト・ムージル(1880-1942)、インゲボルク・バッハマン(1926-1973)、クリスティーネ・ラヴァント(1915-1973)に関する常設展を見学した。そして、徒歩で「ノイアー広場」へ向かうと、本来であれば町のシンボル「竜の噴水」が見えるはずだったが、広場は3日後に始まるクリスマスマーケットの屋台で埋め尽くされている。どうせならクリスマスマーケットが始まってから来ればよかったと思いながらホテルにチェックインし、夜に備えて仮眠を取った。

アルタ-広場のクリスマスイルミネーション

目が覚めると外はもう薄暗い。お腹も空いたので、夕食に出掛けた。ペスト記念塔が立つ「アルタ-広場」はクリスマス仕様になっていて、イルミネーションの下で人々が温かい飲み物を飲んでいる。外は寒いのにみんな平気そう。写真を撮っていたらポーズをとってくれる男性もいた。
町を歩いているとパブが多い印象を受けたが、向かった先はビアハウス。別にビールが飲みたかったわけではなく、店のホームページの料理写真が美味しそうだったからだ。
オーストリアでは11月11日の聖マルティンの日を中心にガチョウ料理を食べる習慣があり、「ガチョウを食べるぞ!」と意気込んで行ったが、まだ夕方5時15分だというのに、店内は満席。ウェーターにも無視される。しょんぼりして外に出たが、近所に良い店が見つからず、結局ぐるっと回って同じ店に戻ってきてしまった。ところが今度はさっきとは違う入り口を発見し、愛想の良い別のウェーターに声をかけられ、ガラス張りの厨房が見える素敵な席に案内してもらった。

ガチョウ料理

ほっと一息。ようやくガチョウにありつけると思いきや、メニュー表に「ガチョウ」がない。勇気を出してウェーターに聞いてみると、別のメニュー表が出てきた。無事に注文して、厨房でシュニッツェル(薄いカツレツ)が油から引き揚げられる様子を眺めながら、ガチョウ待ち。すると、こんがり焼けた骨付きのガチョウに秋の味覚の焼き林檎と焼き栗とクネーデル(団子)、そして紫キャベツが添えられて運ばれてきた。林檎と栗が甘いので、紫キャベツの甘酸っぱさが丁度良い。ガチョウは本来脂っぽいが、今回のガチョウはカリッとしていて美味しかった。
そろそろハントケの話へ戻ろう。
クラーゲンフルト市立劇場で鑑賞したのは、ハントケの戯曲『私たちがたがいをなにも知らなかった時』(1992年)。ハントケがノーベル文学賞を受賞したちょうどその日にプルミエ公演が行われ、テレビのニュースでも映像が流された。ノーベル賞を取ったのだから満員御礼にちがいないと思って行ったが、かなり空いていてびっくり。そんな中、ウィーンからクラーゲンフルトまで、はるばる泊まりがけで観に行った私はかなりのミーハーに見えたかもしれない。チケットを買ったのは受賞前なので、たぶんミーハーではないのだが。

クラーゲンフルト市立劇場

ではどうしてこの作品を観たかったかというと、それが無言劇だったからである。原作にはト書きしか書かれておらず、これと言ったストーリーもない。「広場」をただ人々が通り過ぎていくだけの話。正直、ちょっと退屈だ。しかしながらテキストを読むと、よくもまあ、これだけ人間の動作を多種多様に細かく描き分けられるものだ、とハントケには感心させられた。そして、この極めて複雑な指示を舞台上で再現したらどうなるだろう、と大いに興味が沸いたのだ。
しかしいくら興味がある舞台とはいえ、ストーリーがない、誰も喋らない劇では、寝落ちしかねない。それが心配で仮眠して行ったわけだが、その必要はなかった。というのも、無言劇だが舞台は全く静まりかえってはいなかったからだ。音楽と効果音が絶妙に使用され、ときには演者が言葉にはならない声を発する。そのうえ照明も細かく変化し、「あ、今、朝になった」ということなどが自然に伝わってきて非常に面白かった。
ところで、私の前列には高校生の団体が座っていたので、私は舞台に集中しながら、彼らのリアクションも気になっていた。今回は無言劇なので、母国語話者ではない私にもハンディはない。年齢、国籍、バックグラウンドが違うだけで、舞台で表現されたことをそっくりそのまま吸収できる。それが嬉しくてたまらなかったのだが、高校生の彼らはクラスメートたちと一緒に観劇に来たことの方が嬉しいらしく、舞台にそこまで集中していなかった。舞台で何か面白い動きがあったときだけ大爆笑。ちょっと残念な気もしたが、それも素直な反応なのかもしれない。
さて今回のプロダクションでは、何百人もの登場人物を12人の男女が演じ分けていた。台詞がないのでキャストの国籍はさまざま。クラーゲンフルトはイタリアに近いし、そうでなくてもヨーロッパでは色々な国の人が行き交っているので、その方が自然な「広場」になる。それは、例えばクラーゲンフルトの広場にも似ているが、色々な広場の複合体で、実在はしない。ハントケが脚本で協力した映画『ベルリン・天使の詩』(1987年)に「私たちは広場にいる/無数の人々が広場にいる」という台詞があるように、単なる広場以上の意味も持っているようだった。
解釈は人それぞれだが、私はこの作品を観て元気をもらった。誰一人として同じ動きをしていない登場人物を眺めていると、私は私なりの生き方でいいのだという気がしたのだ。もう少しあがこう。自分が納得できる日まで。

(2020/1/15)

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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。