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漢語文献学夜話| How they behave? |橋本秀美

How they behave?

Text by 橋本秀美(Hidemi Hashimoto)

米國國務卿

台湾では、アメリカの対中政策の大転換が話題になっている。台湾の将来を直接左右する問題だから、関心が持たれるのは当然だが、実際問題は全てアメリカ次第で、台湾が参与できる余地も無いから、見ているしかない。
アメリカは、高官が入れ替わり対中政策について多くの発言をしているが、象徴的意味が有るのは、2020年7月23日Pompeoがニクソン図書館で行ったスピーチだ。

アメリカと中国の関係には、長い歴史が有る。十九世紀から二十世紀にかけて、アメリカから大量の宣教師が中国に入っている。十七世紀はマテオリッチに続く形でヨーロッパからカトリックの宣教師が中国に来ていたが、近代はアメリカのプロテスタントの宣教師が多かったようだ。私が現在住んでいる花蓮は、昔は交通の便が非常に悪い田舎で、漢族ではない原住民族の人が多かった土地だが、そんな所にも宣教師は入り込んで、病院や教会を作っている。中国大陸でも同様に、様々な僻地に宣教師が根を下ろしていた。数年前に新しい日本語訳が出た『中国人的性格』の著者Arthur H. Smithもその一人。
義和団事変の手打ちで、中国は毎年莫大な賠償金を列強に支払うことになった。さすがにえげつなさすぎる、というわけで、後に列強は、賠償金を中国関係事業に充てることになった。その金で、アメリカは、アメリカに留学する人材を育てる学校を作った。後の清華大学で、清華大学からは多くの重要な人材がアメリカに留学している。
抗日戦争では、中国とアメリカが同じ側に立ち、日本と戦ったが、この時の中国は国民党政権。抗日戦の過程で、共産党が勢力を蓄え、日本降伏後、国共内戦が続く。アメリカは、国民党統治の腐敗無能もよく理解していたから、内戦に積極的に参与しなかった。結局国民党は破れて、台湾に拠点を移し、大陸では共産党政権が成立する。アメリカは反共の立場なので、共産党政権は認めず、台湾の国民党と国交を保っていた。その状況を一変させ、共産党との国交に道を開いたのがニクソンだった。
アメリカが中国共産党(CCP)政権と国交を結んだのは1979年だが、1971年7月15日にニクソンが翌年の中国訪問を発表したことが大きな転機だったので、それを「ニクソンショック」と言う。約五十年後の現在、アメリカは、この数十年来の対中政策は失敗だった、として再転換を始めた。

正史宋元版之研究

「ニクソンショック」の頃、私は幼かったので何の印象も残っていない。それが大変大きな事件だったということは、数年前に版本学者の尾崎康先生からも聞いている。
尾崎先生は、阿部隆一と並んで日本と世界の宋元版本研究をリードした。その主著『正史宋元版の研究』は、中国の文献学研究に欠かせない重要な業績であるので、ご本人の指導を受けつつ中国語版を作成した。翻訳・出版の過程は十年を超え、その間尾崎先生から色々なお話を伺うことができた。
宋元版本の研究で優れた業績を挙げることができた原因として、尾崎先生は、歴史の幸運を挙げられた。宋元版の現存するものは、中国大陸・台湾・日本にその多くが集中している。七十年代には、日本の宋元版はかなり自由に調査・研究ができたので、阿部隆一をリーダーとする調査グループは、日本に現存する殆ど全ての宋元版に詳細な調査を行うことができた。七十年代には、台湾所蔵宋元版の全面調査も許された。当時は、中国大陸でも台湾でも、政治・経済ともに極めて困難な状況が続いており、版本研究どころではなかった。こうして、日本・台湾現蔵の殆ど全ての宋元版の調査が実現した結果、彼らの研究は空前の精度を得ることができた。そこに、「ニクソンショック」で、大陸の扉が開かれることとなり、八十年代からは上海・北京などの宋元版も調査が可能となり、喜ぶべき成果が得られることとなった。
二十一世紀に入り、中国大陸の文献研究は質量ともに進化が目覚ましく、特に2010年ぐらい以降は、電子書影の入手が容易になり、格段の進化が進んでいる。その一方で、原本調査は以前にも増して困難になっているから、阿部・尾崎のような全面的な原本調査は、正に空前絶後のものと言わなければならない。それが可能となった歴史的背景として、国際政治は直接的影響を持っていたということだ。


対中方針の歴史的大転換ではあるが、今回は「ニクソンショック」ほど大きな意味は持たないようだ。経済的には中国の強みは変わらないし、政治体制もそう簡単に変わるものではないだろう。
Pompeoは、中国共産党はマルクス=レーニン主義政権であり、習近平は全体主義を本気で信奉している、としたが、それは本人たちも異存がないはずだ。しかし、現在の共産党は「中国的特色の有る」社会主義と言って特権資本主義に邁進しているから、それをマルクス=レーニン主義政権だと捉えるのは適切ではない。アメリカでは、マルクス=レーニン主義というレッテル貼りが一種の攻撃となるのだろうが、私などには、むしろ中国の伝統的政治文化の特徴が強く感じられる。
中国の王朝は、皇帝を中心とする特権集団が、官僚・役人を使って統治する。この体制に属する人間は、何よりもこの体制下における平和維持を第一に考える。皇帝・政府の権威が脅かされれば、秩序が崩壊し、社会が混乱し、生活が破壊される。だから、皇帝及び政府の権威は絶対であり、失政も批判できない一方、そこさえ押さえておけば、虚偽でも汚職でも問題にされない。この辺は、現在の日本も同じだ。こうして、社会は欺瞞に満ち溢れ、人は信用できないことになる。
中国伝統社会においては、長老の権威が守らねばならないから、欺瞞が不可避となる、とは、『郷土中国』も指摘していた所だ。Pompeoは、中国の指導者が何を言おうが信用できない、必ず行為を確認する、と言ったが、これは、孔子が「始めは、私は人の話を聞いて、本当にそのように行動するものだと思っていたが、今では、人の話を聞いても、その行為を確認しなければならなくなった。(始吾於人也,聽其言而信其行。今吾於人也,聽其言而觀其行。)」と言ったのが丁度当てはまる。マルクス=レーニン主義の問題ではなく、中国伝統文化の構造的特徴ではないか、ということだ。

孝経述議復原研究

中国の政治は、法律制度に依るものではなく、全ては朝廷の判断次第である。法律は朝廷の命令に過ぎない。関係する官員が制度の趣旨を理解して、制度の求める動きをするのではなく、全ての個人が、上の人間の顔色を窺って、上の人間が喜ぶような動きをする。『郷土中国』の言い方なら、法治ではなく礼治だ。だから、政敵は徹底的に排除しなければならない。そうでないと、統治秩序が破綻してしまう。宋の太祖の言葉として有名な一句は「自分のベッドの隣で大鼾をかいているような奴を放っておけるか(臥榻之側、豈容他人鼾睡)」。この言葉を知らない中国人は稀であろう。だから、政権内部では粛清が横行し、巨万の富を築けば成敗され、政権批判も弾圧しないでは居られない。不安で仕方ないのである。
「高處不勝寒」と言って、最高権力者の孤独は、中国歴代の皇帝につきものであった。一人では何も出来ないが、大臣たちには何時寝首を掻かれるか分からない。粛清を繰り返して自分の地位を固めた皇帝ならば、周りは全て潜在的な敵である。皇帝の信頼を得た宦官や外戚が威勢を振るうという現象もよく見られた。隋の文帝も、自分の地位の高さに怯える人だった。その文帝の時代に、偽書『孝経』孔安国伝が出現している。林秀一先生の『孝経述議復原研究』を翻訳出版するに当たって、私と葉純芳が書いた編集後記では、この偽書孔安国伝は正に隋の文帝のような人の孤独な恐怖を解消しようとするものだったのではないか、という推測をしておいた。


このような政治文化において、対話や議論は成立しない。例として、BBCが中国駐英大使に対して行ったインタビューをご覧頂きたい。少しだけ見てもらえば分かるが、大使はインタビュアーの問題には答えず、常に自分の主張だけを語り続ける。
これを共産党の人間が見れば、BBCは共産党に批判的だ、ということにされてしまうかもしれないから、もう一つご覧頂きたい。こちらは香港の若い活動家のインタビュー
政治的立場としては、BBCはこの若者に同情的なのかもしれないが、インタビューではやはり厳しい所を突く問題を投げかけている。それに対する香港の若者の対応は、どうしても論点のスリカエを起こしがちで、未熟という印象を免れない。欧米のエリートならば、普段からこのような議論の訓練をしておくべきなのだろう。
批評や議論によって問題を発見し、新たなヒントを得て、よりよい考えを導きだす、ということが考えられない。問題そのものは問題にされず、相手が自分を支持してくれるのか、自分を否定しているのか、だけが問題にされてしまう。だから、言論の自由が許されなくなってしまうのだ。


阿部隆一は、戦中は日本の中国侵略を支持する論客だったが、戦後は「若気の至り」を恥じていたらしい。台湾所蔵宋元版の調査研究をまとめた主著の書名を『中国訪書志』としたのは、台湾は中国の一部分だという中国共産党政権の主張と、それを支持した国交回復後の日本政府の立場に従ったものだろう。『阿部隆一遺稿集』に付された論著目録には、少なからぬ「若気の至り」の文章が挙げられている。言論は言論であり、しかも歴史的背景のある「若気の至り」だと考えれば、これらの文章の存在によって、阿部隆一の業績の価値が下がることは有り得ない。
一方で、戦中の自らの侵略者的発言を、戦後になってから当たり障りのない表現に修正し、「すべてを収め、逃げ隠れしたくない」と称した自編『全集』に修正版だけを収録した吉川幸次郎は、言論は政治から逃れられないと深く信じて、自らの社会的権威を保とうと努力していた点で、中国文化を深く身に付けていたということか。
現状では、中国においても日本においても、言論は独立できず、従って言論の自由も得られない。私は、中国や日本の文化に適応しているが、言論の自由はやはり必要だろうと考える。その為には、言論の人格からの独立が必要である。そのような文化・社会変革は、果たして可能であろうか?

(2020/8/15)

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橋本秀美(Hidemi Hashimoto)
1966年福島県生まれ。東京大学中国哲学専攻卒、北京大学古典文献専攻博士。東京大学東洋文化研究所助教授、北京大学歴史学系副教授、教授を経て、現在青山学院大学国際政治経済学部教授。著書は『学術史読書記』『文献学読書記』(三聯書店)、編書は『影印越刊八行本礼記正義』(北京大出版社)、訳書は『正史宋元版之研究』(中華書局)など。