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フランス・バロック・オペラの栄華|藤堂清

フランス・バロック・オペラの栄華
   ~オペラの楽しみ方・ヴェルサイユ編~

2020年11月22日 北とぴあさくらホール
2020/11/22 Sakura-Hall,Hokutopia
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

〈出演者〉
指揮・ヴァイオリン:寺神戸亮
コンサートソムリエ:浅岡聡
メゾソプラノ:波多野睦美
テノール:中島克彦
バリトン:山本悠尋
バロックダンス:松本更紗

アンサンブル・レ・ボレアード
(オリジナル楽器使用)

〈曲目〉
『寓意』
ジャン=バティスト・リュリ:音楽悲劇《アティス》プロローグより
序曲
〈今まで私は過去の英雄たちの記憶を無駄に尊重してきた〉(時の神)
〈花の女神のニンフたちのエール〉
〈時の神と花の女神の二重唱〉
〈春は時には思ったより優しくはない〉(西風)
メルポメーヌのプレリュード
〈下がりなさい、時の神に告げてはいけない〉(メルポメーヌ)
メルポメーヌの従者たちのエール

『異国趣味』
ジャン=バティスト・リュリ:コメディ=バレ《町人貴族》第4幕間劇より
トルコ人の儀式のための行進曲
第2エール
祈祷
〈こざかしいことを考えなさるな〉

ジャン=バティスト・リュリ:コメディ=バレ《町人貴族》〈諸国民のバレ〉より
イタリア人のリトルネッロ
〈わが胸は厳しく武装し〉(イタリア人の歌手)

マルカントワーヌ・シャルパンティエ:コメディ=バレ《病は気から》第1幕間劇より
昼も夜も(スバカモン)

アンドレ・カンプラ:コメディ=バレ《優雅なヨーロッパ》第3幕〈イタリア〉第2場より
マスクのためのエール

ジャン=バティスト・リュリ:コメディ=バレ《町人貴族》〈諸国民のバレ〉より
〈私は愛によって死にかけていることを知っている〉(スペイン人)

フランソワ・クープラン:《諸国の人々--トリオによるソナードとサンフォニー組曲集》〈スペイン人〉より
パッサカイユ

——————–(休憩)———————–

『眠り』
リュリ:音楽悲劇《アルミード》第2幕第3場より
〈この場所を見れば見るほど〉(ルノー)

『降霊』
リュリ:音楽悲劇《アルミード》第3幕第3場より
〈出てきなさい、執拗な『憎しみ』よ〉(アルミード)

『地獄』
リュリ:音楽悲劇《アルミード》第3幕第4場より
〈お前の望みを叶えてやろう〉(憎悪)
アントレ
エール

『悲劇~モノローグ』
リュリ:音楽悲劇《アルミード》第2幕第5場より
〈ついに彼は私の力の下に〉(アルミード)

『愛』
リュリ:音楽悲劇《アティス》第4幕第4場より
リトルネッロ
〈彼はその不幸について少しも知らない〉(アティス、サンガリード)

リュリ:音楽悲劇《アルミード》第5幕第1場より
〈アルミード、あなたは私から去るのか〉(ルノー、アルミード)

『宴』
リュリ:音楽悲劇《アルミード》第5幕第2場より
パッサカイユ
〈喜びは憩いの場を選んだ〉(幸運な恋人)

 

今年、この音楽祭ではジャン=バティスト・リュリの最後のオペラ《アルミード》の本邦初演が行われる予定であった。新型コロナの感染拡大により、海外から招聘予定であった歌手、ダンサーの来日が不可能となり、上演は来年に延期。それに代わるものとして開催されたのがこのコンサートである。

よく知られていることだが、イタリアで生まれたオペラは歌が中心、フランスではそれをそのまま受容せず、ダンスの要素を加えたオペラ・バレという形式を発達させた。
この日もバロックダンスの松本更紗が、歌手とともに、あるいは単独で踊りを披露。この時代に特徴的な所作を見せ、説明した。そういえば、もう15年前になるだろうか、演出家でもあったバンジャマン・ラザールが講演*)で、「率直」、「愛情」、「支配」、「驚き」などの所作には決まったものがあり、17世紀の舞台を再現するには、それをまもることが必要と強調していたことをかすかに思い出した。
来年の《アルミード》上演に際しては、歌手やダンサーに基本的な所作を徹底するだけでなく、聴衆にも知ってもらうようにすることが望ましい。

歌手の側も、松本の存在により自然に演技がつき、また彼女の手の動きや形についての説明を聞き、それを踏まえた体の動かし方をしようと努めていたのはほほえましかった。
音楽面では、寺神戸のもとで活動してきたアンサンブル・レ・ボレアードの丁寧な音の合わせは評価できる。一方で13人という小さな編成の中で、個々の奏者にもう一歩、自己主張を期待したいと感じた。録音で聴くフランスの楽団は、規模によらずダイナミクスが大きく、より濃厚な表情をつくりだしている。こちらは来年に期待しよう。

歌の点でも、波多野と中島はバロックを中心に活動している歌手であり、手慣れた歌い方といえるが、喜怒哀楽に応じもう一つ突っ込んだ表情を聴かせてほしい。「怒り」ということは分かったとしても、その程度がどのくらいか、歌の中でどのように変化するのかといった表現をもう少し考え、作り出してほしい。
一例をあげよう。《アルミード》第2幕第5場でのアルミードの歌〈ついに彼は私の力の下に〉は3つの部分で構成される。最初は宿敵ルノーを手中に収め復讐の刃をおろそうとする。しかし彼を見るとその怒りが消え、腕を振り下ろすことができなくなってしまう。最後の場面では彼女は彼を愛してしまったことを、そして彼に征服されたと歌う。ここでの波多野の歌には表情の変化はあるのだが、アルミードの気持ちの振幅の大きさを表すためには、さらに踏み込んだ表現が求められると感じた。

フランスのバロック・オペラ、国内ではまだ演奏者も多くなく、聴衆も限られている。演奏する側だけでなく、聴き手の側にもこの時代の音楽、そして舞台の在り方を知る努力が必要だろう。

(2020/12/15)

*) バンジャマン・ラザール氏講演会及び公演