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忘れられた音楽 –禁じられた作曲家たち|大田美佐子 

忘れられた音楽 –禁じられた作曲家たち 
 –Cultural Exodus》証言としての音楽 

2017年3月20日 上野学園 メモリアルホール
Reviewed by 大田美佐子(Misako Ohta
Photos by 飯田耕治/写真提供:東京・春・音楽祭

<演奏・出演>
フルート:ウルリケ・アントン
弦楽四重奏: プレシャス・カルテット
  ヴァイオリン: 加藤えりな、古川仁菜
  ヴィオラ: 岡さおり
  チェロ: 小川和久
ピアノ: 川崎翔子

企画・構成: ゲロルド・グルーバー、ウルリケ・アントン

〈曲目〉
M.フロトホイス: オーバードOp.19a
H.ツィッパー: 弦楽四重奏のための幻想曲《経験》
バルトーク(P.アルマ編): ハンガリー農民組曲
(休憩)
M.ヴァインベルク: フルートとピアノのための12の小品Op.29より
H.ガル: フルートと弦楽四重奏のためのコンチェルティーノOp.82

 

音楽は深く記憶に関係する。聴衆の前で演奏されなければ作品はこの世に問われず、忘れ去られていく。それ故に、演奏会の曲目構成は「この音楽を聴いて」と、世に問う強いメッセージなのである。

不条理な歴史から禁じられ、忘れられてしまった音楽がある。その音楽を深い闇から光にさらす時、音楽は何を「証言」するのだろう。

東京・春・音楽祭の演奏会「忘れられた音楽 -禁じられた作曲家たち – 《Cultural Exodus》証言としての音楽」は、音楽学と演奏家の協働という視点からも、示唆に富んだ企画だった。同時期に東京で開催された国際音楽学会(IMS)のシンポジウム「亡命の音楽」と関連し、音楽の背景が語られ、歴史が音として響き、現在の聴衆に繋がった。
プロジェクトの中心はウィーン芸術大学の中にあるExil.arte Center。演奏会のナビゲーター役であったゲロルド・グルーバー教授が運営し、ウィーンに集う豊かな演奏家のリソースと研究をダイレクトにつないでいる。

取り上げられた作曲家の人生は様々である。アムステルダム出身で、モーツァルト研究の世界的な権威となったマリウス・フロトホイス(1914-2001)。ウィーン近郊に生まれ、作曲家としての輝かしいキャリアを築きながら、亡命先エジンバラの大学で音楽家として活躍したハンス・ガル(1919-1996)。ウィーン出身で、ダッハウ強制収容所から奇跡的に助かり、その後フィリピンでマニラのオーケストラ活動にも尽力したヘルベルト・ツィッパー (1904 -1997)。ユダヤ系ポーランドの作曲家としてスターリン時代を生き延びたミュチスワフ・ヴァインベルク(1919-1996)。そして、亡命後はけして恵まれた環境とはいえなかったベーラ・バルトーク(1881-1945)。

今回、特に印象的だったのは、第三帝国下の想像を絶するような過酷な時代を生き延び、 20世紀の世紀末まで作品を生み出し続けた強靭な精神の「証言」でもあったという点である。
なかでも象徴的で衝撃的な一曲は、強制収容所からの生還者でもあるツィッパーの弦楽四重奏のための幻想曲《経験》であった。グラーベン31番地という極めてローカルな出発点、ウィーンの子ども時代から、新しい時代の息吹が高揚するストラヴィンスキーの響き、輪舞する20年代の諧謔的なパロディー、軍靴の行進の不穏な足音と二度の世界大戦の悲惨な経験。私小説的な作品のなかに、ツィッパーの経験した「過去」と我々の「今」の交差点が出現した。
これこそ時間芸術の音楽だからこそできる過去との対話である。プロジェクターにごくシンプルに映し出された西暦と弦楽四重奏(プレシャス・カルテット)の響きによって描かれる時代が、ドキュメンタリー映画のように見事にシンクロする。語り部としてのチェロ(小川和久)の「声」の雄弁さが特に心に響いた。

そして何といっても、フロトホイス、ヴァインベルク、ガルの作品でフルートを演奏したウルリケ・アントンの熱演が素晴らしかった。故郷を追われ、亡命した音楽家たちの音楽は、歴史から二度葬られたといえるかもしれない。一度目は圧政によって。二度目は歴史と聴衆の無関心によって。
インパクトのある悲劇的な作曲家の人生は往々にして、読まれはするが、聴かれることは稀だ。過酷な時代に抗うかのように、それぞれの自由な精神が紡いだ多様な音の響きに、まさに生命を吹き込む彼女のフルートの情熱的な「語り」の存在感は、このプロジェクト全体を象徴するアクトのようにも感じられた。
これらの作品が世界中でレパートリーになるように、しっかりバトンを渡し、文化的記憶を次の世代に繋げることの意義は大きい。失われた遺産の輝きにあらためて気づいた希有な音楽会だった。