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ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)《美しき水車小屋の娘》|藤堂清

ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)《美しき水車小屋の娘》
Dietrich Henschel Schubert: Die schöne Müllerin

2020年2月6日 東京文化会館小ホール
2020/2/6 Tokyo Bunka Kaikan Recital Hall
Reviewed by 藤堂 清 (Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林 喜代種 (Kiyotane Hayashi)

<出演者>        →foreign language
ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)
岡原慎也(ピアノ)

<曲目>
シューベルト:歌曲集《美しき水車小屋の娘》 Op.25、D795
—————-(アンコール)—————–
シューベルト:セレナーデ
       孤独な男
       ます
       菩提樹

ディートリヒ・ヘンシェルは1967年ベルリン生まれのバリトン。20代には岡原慎也のピアノで日本各地でリサイタルを数多く行い、シューベルトの《冬の旅》やR.シュトラウスの歌曲を聴かせた。後者はCDとして発売もされている。その後、オペラに歌曲にと活躍の場が拡がり、来日の頻度は少なくなっていた。今回、東京では3年ぶりのリサイタルが、二人による《美しき水車小屋の娘》のCDリリースを記念して行われた。ヘンシェルによるこの曲の録音はあるが、彼が30歳の録音で若々しい声が魅力。それから20年、どのような歌を聴かせてくれるか楽しみであった。

第1曲目<さすらい>の第1節、16分音符で歌われる”Müllers”という言葉でテンポが保てず、一瞬だがピアノとズレを生じた。その直後の”Das Wandern”も音が上がりきらない。ヘンシェル、実演では、音程が正確でないなどの不備はときどきはあるが、冒頭だけに気になった。第2節以降は安定したので一安心。
ヘンシェルの歌唱は旋律を重視しているといってよいだろう。〈知りたがりや〉のようなゆったりした曲では、単語一つ一つを与えられた音符に載せその母音をたっぷりと響かせる。一方で、”nicht”のように子音で終わる語の場合に、その子音がはっきり聞こえない傾向がある。少し前の世代の歌手には、最後に明確に子音を発する人が多かった。それと較べると彼のドイツ語は柔らかい印象になる。〈狩人〉のような早い、単語を次々とくりだしていく曲でも、その短い音符にきっちりと母音をのせていく。
テンポは遅めだが間延びすることはない。詩の中に強調したい言葉があれば、大胆にダイナミクスをつけたり、少し長めに歌ったりと変化をつけた。
岡原のピアノも長年の共演もあり、彼の歌の伸縮に対応。12曲目〈休息〉から13曲目〈リュートのみどりのリボンで〉へとつながるピアノ・パートの変化の絶妙さなど、前奏・後奏も多彩な表情でひきつける。

連作歌曲集の演奏では、個々の歌の表現も大切だが、歌と歌をどうつないでいくかで、印象が変わる。とくに曲と曲でガラッと状況が変わるところでは歌手もピアノも意識する。
この《美しき水車小屋の娘》でも何ヶ所かそういったポイントがある。4曲目の〈小川への感謝の言葉〉、11曲目の〈ぼくのもの!〉、14曲目の〈狩人〉、19曲目の〈粉職人と小川〉といったところ。これらの曲の前後にどのくらいの間をとるか、どういったテンポをとるか、入るときの音量はなど演奏者によって異なる。
この日はいささか残念なことがあった。11曲目と14曲目の後、拍手をした人がいたのである。次の曲に入ろうとしていたヘンシェル、音のした方をむき、困ったような顔をしたが、軽く頭を下げるとすぐに前を向いた。聴いている者も次の音を待つ緊張がやぶられ、音楽からいきなり現実に引き戻されてしまった。

ヘンシェルは今年12月にも来日し《冬の旅》を歌う予定。楽しみに待ちたい。それまでにはコロナウィルスとの戦いに目途が立っていることを期待して。

(2020/3/15)

 

 

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<Performers>
Dietrich Henschel, baritone
Shinya Okahara, piano

<Program>
F. Schubert : Die schöne Müllerin D795
————–(Encore)————-
F. Schubert : Ständchen D957-4
      Der Einsame D800
      Die Forelle D550
      Der Lindenbaum D911-5