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小人閑居為不善日記|鬼と魔女と妖精の旅――《鬼滅の刃》、《魔女見習いをさがして》、《羅小黒戦記》| noirse

鬼と魔女と妖精の旅――《鬼滅の刃》、《魔女見習いをさがして》、《羅小黒戦記》
The Journey of Ogre, Witch and Fairy

Text by noirse

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今年の本欄はCOVID-19やアメリカ大統領選など時事ネタばかりだったので、最終月くらいはまったく関係ないものにしたい。《劇場版 鬼滅の刃 無限列車編》についてだ。ベストセラーコミックの映画化として大ヒット中、先日《アナと雪の女王》(1997)を下して現在日本歴代興行成績2位を記録。1位の《千と千尋の神隠し》(2001)を追い抜くのも時間の問題と噂されている。

この快進撃に関して、少し前からヒットの理由を探る記事が多く発表されている。しかしどれも決定的とは思えず、隔靴掻痒の感が拭えない。他のマンガやアニメと比べて突出した要素があるかと問われても何とも言い難い。これがおおよその意見だ。

《鬼滅》のどこに、国民作家・宮崎駿の作品を越える力があるのか。その答えはわたしも分からないが、同じく上映中のアニメ映画2本、《魔女見習いをさがして》、《羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~》と並べることで、多少の補足はできるかもしれない。

《魔女見習いをさがして》は、およそ20年前のキッズアニメ《おジャ魔女どれみ》(1999-2003)のスピンオフ。かつて《おジャ魔女》に夢中になったこと以外に共通点のない3人が大人になって偶然出会い、様々な問題に直面しながら乗り越えていく。

《羅小黒戦記》は中国のアニメ。もともとは2011年にWEB上にアップされた小品だったが、その後人気に火が点き、2019年には劇場版が完成。子猫の姿をした妖精、小黒(シャオヘイ)の成長を描いたこの作品、日本では小規模な上映しか行われなかったが口コミで噂が広がり、全国公開の運びとなった。

《鬼滅の刃》を加えて3本、共通点はほとんどなさそうだが、ひとつだけ挙げることができる。3本とも旅を描いた、いわゆる「ロードムービー」なのだ。

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《魔女見習いをさがして》は、鎌倉に飛騨高山、奈良に京都と、主人公3人が旅を重ねていく。《羅小黒戦記》は、「最強の執行人」無限に捕まった小黒が、妖精が集う「館」への旅を余儀なくされるという話だ。この2本はロードムービーと見做していい。

けれど《鬼滅の刃》に関しては首をかしげる人もいそうだ。《無限列車編》は、その名の通り列車の内外で話が完結していく。主人公・炭治郎たちが旅をしているのは間違いない。しかしその内訳はほとんど敵との対決に費やされている。旅先の人との交流や旅情など、ロードムービーという名前から想像するような展開はほとんどない。

そこで《鬼滅の刃》自体に立ち返ってみたい。炭治郎たち鬼殺隊は、鬼を倒すため浅草や那田蜘蛛山(架空の地名)など、各地に派遣される。方々を旅しながら敵と対決するという設定は《眠狂四郎》や《座頭市》、《子連れ狼》などの時代劇でお馴染みだ。《座頭市》や《子連れ狼》にもロードムービーの側面がある。《無限列車編》もそのバリエーションと考えられる。

もうひとつロードムービーで重要なのは、主人公が旅の過程で何を得たかにある。旅を共にする仲間や旅先の人々との交流を通して主人公が成長するというのがこのジャンルの常套で、《魔女見習い》や《羅小黒戦記》もそれを踏襲している。

炭治郎もまた「無限列車」での体験を通して成長していくが、そこで注目したいのは「夢」だ。列車に乗り込んだ炭治郎たちは眠り鬼・魘夢の攻撃で深い眠りに落ち、夢の中から出られなくなってしまう。

旅と同じように、夢も人生のメタファーとなりやすい。旅と夢といえばフェデリコ・フェリーニで、《道》や《フェリーニの道化師》、《そして船は行く》などでは旅によって、《8 1/2》、《魂のジュリエッタ》などでは夢を通して人生が結晶化されていく。フェリーニにとって人生とは旅であり、夢だ。

《無限列車編》もまた、旅と夢と人生とが三題噺のように結束されている。炭治郎は失った家族と過ごした、幸福な日々に迷い込む。魘夢を倒すには夢から醒めなくてはならないが、それには(夢の中とはいえ)家族を見捨てなくてはならない。それは親からの独立を意味する。少年誌のマンガらしい、ベタだが共感しやすい設定だ。

一方で炭治郎の夢には、べったりと死の予感が張り付いている。夢と死が最も近接するのは映画の最後だ。ある人物が命を落とす間際、早逝した母親の幻を垣間見る。その人物は、優しかった母親のイメージに包まれながら死んでいく。

死の淵に見る家族の夢。これは魘夢の仕業ではなく、《鬼滅の刃》の形式に起因する。炭治郎たちの敵となる鬼たちも、もともとは人間だ。炭治郎は情が深く、残虐な鬼たちにも共感を持って接していく。死闘を繰り広げた鬼たちは家族の幻影を見つつ死んでいき、炭治郎はそれを看取る。つまり炭治郎の道行きは、特異な境遇に身を落とした人間たちの家族の記憶を訪ねていく旅でもあるのだ。

《鬼滅の刃》を家族という主題から分析したり、他のジャンプ作品などと比較するというのはよくあるが、上記のような視点に立てば、筒井康隆の小説《家族八景》(1971)や、今ではロードムービーの古典とも目される《東京物語》(1953)とも比べることができる。《鬼滅の刃》とはもともと家族と夢と旅とを縫合した作品であり、《無限列車編》はその凝縮体だ。その背景には数十年以上前の時代劇の伝統や、そこからジャンプが築き上げたバトルものメソッドがあり、それを視聴者が自然に消化できるリテラシーを備えている。それは一朝一夕に出来上がったものではなく、《鬼滅の刃》が誕生する遥か以前から、マンガ/アニメの文化圏が時間をかけて積み重ねたものなのだ。

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残りの2本にも同じことが言える。《魔女見習いをさがして》の旅は、いわゆる「聖地巡礼」だ。TVアニメ《らき☆すた》(2007)あたりから、舞台となった場所をファンが訪ねることが盛んとなった。それは「聖地巡礼」と呼ばれ、《おジャ魔女》の痕跡を探して旅する主人公たちはそうしたファンの似姿となっている。こうした企画が成立すること自体に、アニメというジャンルの成熟を見て取れる。

ロードムービーを代表する監督ヴィム・ヴェンダースの《パリ、テキサス》(1984)は、モニュメント・バレーをさまよう男のシーンから始まる。ここは巨匠ジョン・フォードが好んでロケに採用したことで有名で、ドイツ人ながらハリウッド映画の影響を受けたヴェンダースにとっては「聖地」だ。とすれば《パリ、テキサス》も「聖地巡礼映画」であって、カンヌ映画祭のパルムドールまで射止めた高評価は、そうした映画史への理解と敬意に裏打ちされている。この作品を推し量る際、それを育んだ土壌を度外視することはできない。《魔女見習いをさがして》も同様だ。

それは《羅小黒戦記》にも関係してくる。中国にも長いアニメの歴史があるが、この作品からは《ドラゴンボール》、《AKIRA》、《もののけ姫》、《平成狸合戦ぽんぽこ》など、日本のアニメやマンガの影響が色濃く見て取れる。作り手の日本文化へのリスペクトが感じられるからか、日本の観客も《羅小黒戦記》を好意的に受け止めているようだ。

けれどやや俯瞰してみると、見方が少し変わってくる。先に挙げた作品、たとえば《ドラゴンボール》は《西遊記》の本歌取りだ。《もののけ姫》は宮崎駿が照葉樹林文化論から多大な影響を受けて作った作品だが、これは西日本の文化が中国雲南省付近に求められるのではないかという学説。また、《羅小黒戦記》は一種の能力バトルものだが、この形式も《水滸伝》まで辿ることができる。要は《羅小黒戦記》をとりまく日本のコンテンツの大部分が、もともとは中国起源と考えられるのだ。

《羅小黒戦記》の感想には「中国のアニメだと思わなかった」、「日本のアニメも負けていられない」というような言説がよくある。そうした物言いにかえって多少の優位性を感じなくもないが、上のように考えるとそうした視座の立脚点があやしく思えてくる。

しかし、こうは言ってみたものの、もちろん作品の影響関係に国境線を設けること自体疑問視すべきであって、《羅小黒戦記》は汎アジア的な表現としてのマンガ/アニメ文化という視点を誘ってくれると考えるべきなのだ。小黒の旅は、それだけのスケールとポテンシャルを秘めている。

《鬼滅の刃》原作はとうに完結を迎えたものの、未アニメ化分はまだ多く、まだまだブームは続く。今の中国の成長速度を見るに、《鬼滅の刃》アニメ版が終わりを迎えた頃には、日中のアニメーション業界のパワーバランスも変わっていくだろう。《羅小黒戦記》を屈託なく肯定できるような空気にも変化が生じるかもしれない。

《鬼滅の刃》は、今でこそ爆発的な支持を得ているが、しばらく経ったら、何故ここまで人気があったのか分からないと目されるかもしれない。今でも判然としないのだから、十分に考えられることだ。

けれど個々の作品を大きな旅の過程と捉えていけば、そうした分析とはまた違う視座を得られるかもしれない。《鬼滅の刃》、《魔女見習いをさがして》、《羅小黒戦記》の3本は、およそ100年余の歴史を持つアニメ表現の「成長の旅の記録」が刻印されている。宮崎駿という圧倒的な才能を凌駕する魅力が《鬼滅の刃》にあるとすれば、それは作品のみに集約されるのではなく、大きな旅の流れの中に存在するのだろう。そうしたことを、この3本は示唆してくれるのだ。

(2020/12/15)

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noirse
佐々木友輔氏との共著《人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅》発売中