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ダン・タイ・ソン ピアノ・リサイタル|藤原聡

ダン・タイ・ソン ピアノ・リサイタル

2017年6月22日 紀尾井ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<曲目>
ショパン
  前奏曲 嬰ハ短調 op.45
  マズルカ 変ロ長調 op.17-1
  マズルカ へ短調 op.7-3
  マズルカ 嬰ハ短調 op.50-3
  スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39

リスト
  巡礼の年第1年『スイス』~ジュネーヴの鐘
  ベッリーニ『ノルマ』の回想

シューベルト
  ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960

(アンコール)
ショパン:ノクターン 嬰ハ短調(遺作)
シューベルト:即興曲 変ト長調 D899-3

 

多くの方が指摘していることだが、まずはあの音である。完全なる脱力から導き出されるあの柔和で温かみのある独特の音。一体どうやって生み出しているのか。ダン・タイ・ソンに「打」鍵、という言葉が似合わないとすら思え、むしろ「触」鍵、「撫」鍵、などと言いたくもなる。と言って力感がないという事ではない。強力なfでは音の美感と上品さを失わぬままに無理なく音楽は高揚する。こういったところは録音で体感することは難しいだろう。

当夜のプログラムではまずショパンが弾かれたが、その音楽は実に自然体である。ルバートも極めてさりげなく処理され非常に品格が高いが、曲調のためだが前奏曲では夢見るような儚さと美音を振りまいたダン・タイ・ソンも、スケルツォでは一転して荒々しく猛進する如く。しかし、ここでもまるで手が鍵盤に吸いつくかのような滑らかなタッチは保持され、その音楽は迫力がありながらも微塵の粗さもない。マズルカも一切のケレンと小細工を排したピュアな演奏。

リスト2曲において、一般的な意味でこのピアニストの美点が生きるのは<ジュネーヴの鐘>であろうが、「新しいレパートリーです」と自ら語った『ノルマ』の回想では一般的なダン・タイ・ソンのイメージを覆すかのごとく巨大な音響を伴ったヴィルトゥオジティを遺憾なく発揮。ショパンのスケルツォでも発揮された技巧の冴えはここに来てほとんど打ち上げ花火的な見世物的様相を呈し(それは勿論リストの音楽の本質と合致している)、会場はショパンとは別の意味でひたすら圧倒されたのが明らかである(ピアニストは、後半の内面的なシューベルトとよいコントラストだと語る)。

その後半のシューベルト、この作曲家の音楽はダン・タイ・ソンの音楽性と明らかな親和性があることがもう最初の音から明らかである。とは言いながら、個人的には楽曲に潜むデーモンをあと少しでも表出してもらった方が好みなのだが(シューベルトの音楽の中に近代的な自意識の分裂を聴こうとする後発的な意識、と言ってしまえばその通りだろう)、このひたすらに淡々と弾かれる『変ロ長調ソナタ』もまた尊い。

しかし、「Back to Chopin」「Back to Schubert」と自らがステージから告げて演奏されたアンコール2曲こそがこの日の白眉だったと思える。特にシューベルトの『即興曲』における繊細な色調の変化。左手のアルペッジョから匂い立つ馥郁たる香り。誰が弾いても多かれ少なかれ美しいD899-3だが、それでもこの日ほど夢見るように温かく美しく演奏されたのを聴いた記憶がない。ほとんど陶然する思いで耳を傾けていた。

1980年のショパン・コンクールで優勝したダン・タイ・ソンだが、この年には良くも悪くもあのポゴレリッチがスキャンダルを巻き起こしたこともあり、この鬼才との対比でダン・タイ・ソンを平凡と見る向きがなくもなかったように記憶する。ポゴレリッチは彼の特異な身体感覚から迸る極めて個人的なエモーションとマニエラを結び付けたが、ダン・タイ・ソンは一般から入ってそれが聴き手の内の「個」を照射する。タイプが違うので比較は出来ない。いずれにせよ、日本の聴衆は2017年の現在もポゴレリッチとこのダン・タイ・ソンの素晴らしい音楽を定期的に実演で触れられることに感謝せねばなるまい。