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チェコ・フィルハーモニー管弦楽団|谷口昭弘

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Czech Philharmonic Orchestra

2019年10月20日 横浜みなとみらいホール
2019/10/20 Yokohama Minatomirai Hall
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 藤本史昭/写真提供:横浜みなとみらいホール

<演奏>        →foreign language
セミヨン・ビシュコフ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

<演目>
スメタナ:連作交響詩《わが祖国》より
  <ヴィシェフラド(高い城)><モルダウ><シャールカ>
(休憩)
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
(アンコール)
ドヴォルザーク:スラブ舞曲集第2番、第1番

 

舞台の上手・下手に配置されたハープの呼び交わしから《わが祖国》の<ヴィシェフラド>は始まる。オーケストラの響きはすっきりと軽く、見通しがよい。中間の対位法的な部分においては、そのストレートでシャープな音は、モダンなオーケストラの出で立ちの中に、古典的な均整美を表出することになる。
<ヴルダヴァ (モルダウ)>は、フルートの味のあるニュアンスから繊細にまとめられ、霧のようなロングトーンが、それを覆う。それにつづくモルダウの主題のニュアンスが、もう言葉では言い表せない素晴らしさ。こんなに心にぐっと響く旋律だったとは。
もちろん彼らの弾き方だけが唯一のやり方ではないと頭の中では分かっていても、どうしても心の中では「コレこそが本物だ」という誘惑に勝てない。そしてこの河の流れを後押しするホルンのはっきりとしたアーティキュレーションも情景をいきいきと描く絶妙のバックであり、自然に涙腺が緩んできた。生命力溢れるリズムとアクセントに乗った「婚礼の場」につづき、ピュアな音で始まり「月光・妖精の踊り」では、伸びやかな光が続くなか、終盤に向けてのスケールの大きな盛り上がりがあった。
<シャールカ>は、スメタナがメンデルスゾーンやシューマン的な作風を身につけながらも、進歩的なオーケストレーションなど、作曲技法的にはロシア五人組の世界観を生み出す原動力を持っていることを示していた(ずっと座って演奏していたトライアングルは、この曲だけ立奏した)。これは後半のチャイコフスキーにもつながる音響だと思わされた。

チャイコフスキーの5番は立ち上がりの良い音が、敏感に独奏クラリネットに反応する。スメタナ作品に聴かれた伸縮性のダイナミズムは味わえなかったが、旋律のうねり方、音色の変化が聴衆をリードしていく。第2楽章は、あちこちに配置される静寂の時をうまく使いつつ、全体のペースの掴みどころをおさえ、この楽章がシンプルな緩徐楽章でないことを示していた。ティンパニーの思い切った強奏は、これまで聴かれなかったものだった。
旋律の細やかで独特の歌わせ方が興味深い第3楽章に続き、第4楽章は、むしろ率直な「運命の主題」の提示から始まった。ソナタ主部に入ってからも、いわゆる「ロシアもの」のステレオタイプとなるクドさはなく、ストレートな鳴りっぷり。一方で、逸る気持ちをどう抑えていくのか苦心しているようにも見受けられ、スリリングな展開もあった。
ただ長調のコーダに入ってからは弦楽器によって紡ぎだされる旋律の気持ち良さに圧倒されたし、興奮冷めぬようにしつつもシンフォニックな響きのフォルムも残すという不思議なバランス感で終結し、満足感が得られた。これはビシュコフの賜物なのかどうか筆者には判断できないところだが、互いによい信頼感を持ちつつも果敢に音楽に立ち向かう演奏者たちの音楽作りは、やはり指揮者なしではできないものだろう。
アンコールのドヴォルザークは「いかにも」な選曲ではあったものの、やはり「ワン・アンド・オンリー」のニュアンスとバランスで圧巻。最後にこの宝物に出会えたのは、本当に嬉しかった。

(2019/11/15)


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<Artists>
Semyon Bychkov, Conductor
Czech Philharmonic Orchestra

<Program>
Smetana: “Vyšehrad”, “Vltava”, “Šárka” from “Má Vlast”
Tchaikovsky: Symphony No.5 in E minor, Op.64
(Encore)
Dvořák: Slavonic Dances, No.2, No.1