Menu

特別寄稿|マーガレット・レン・タンと再会して|須藤英子

マーガレット・レン・タンと再会して

text & photos by 須藤英子(Eiko Sudoh)
写真提供:マーガレット・レン・タン

世界屈指のアヴァンギャルド・ピアニスト、マーガレット・レン・タン。シンガポール生まれの彼女は、16歳の時に奨学金を得てニューヨークのジュリアード音楽院に入学。その後、同院にて女性で初めて博士号を取った。1981年に世紀の大作曲家ジョン・ケージと出会い、以降、彼の作品を世界各国で演奏。アメリカ実験音楽の発展に、演奏家として重要な役割を担った。ケージとの協働からトイピアノの魅力にも覚醒した彼女は、1997年にCD「アート・オブ・トイ・ピアノ」をリリース。“トイピアノの女王”と呼ばれ、世界初のトイピアノヴィルティオーソとしても、ユニークな活動を展開している。

私がマーガレットと初めて会ったのは、2007年春。彼女が渋谷の映画館アップリンクにて、ドキュメンタリー映画『アート・オブ・トイピアノ/マーガレット・レン・タンの世界』(エヴァンス・チャン監督)の公開を記念して、ライブを開催した時だった。兼ねてから私は、アジア人ピアニストとして、クラシックから現代音楽の世界へ飛び込んだ彼女の生き方に深い共感を抱いていたので、彼女に出会えて感激であった。その後2008年秋に、私はアジアン・カルチュラル・カウンシルの奨学生としてニューヨークに渡り、ケージの作品を中心に度々マーガレットのレッスンを受けた。ブルックリンの素敵なお宅で、立派なスタインウェイと数々のトイピアノに囲まれながらケージの音楽観を学んだ日々は、私にとって何にも代えがたい宝物である。その後なかなか会う機会がなく10年が経ってしまったが、今回ようやくそのチャンスが巡ってきた。「Coming to LA!」という、マーガレットからの嬉しいメール。昨年春から暮らしているここロサンゼルスに、彼女が演奏で来ることになったのだ。私は、彼女が常に気遣ってくれる私の子供達も連れて、家族で公演を聴きに行くことにした。

常夏のカリフォルニアにも秋の気配が漂い始めた11月1日、待ちに待ったその日がやって来た。斬新な建築デザインでロサンゼルスの観光名所にもなっているウォルト・ディズニー・コンサートホール。その一角に、カリフォルニア芸術大学(CAL Arts)が運営する学際的な現代芸術センター、レッドキャットがある。ビジュアル、パフォーミング、そしてメディアアートなど、あらゆる分野の野心的なイベントを盛んに企画しているこのセンターが、今回マーガレットを招聘した。世界中で演奏している彼女だが、西海岸での演奏は今回が初めてという。この日は、平日の夜8時30分開演という遅い時間帯の公演にも関わらず、東海岸の世界的アヴァンギャルド・ピアニストの西海岸デビュー公演に、多くの人々が集まっていた。

プログラム前半の《Curious》は、トイピアノとおもちゃ楽器を用い、ビデオ映像と共に上演されるマルチメディア作品。ニューヨークの若手トイピアニスト、フィリス・チェンにより作曲され、2015年にシンガポールの国際フェスティバルにてマーガレットにより初演された。全6場面から構成されるこの作品は、お面を付けたマーガレットが、レゴで出来た奇妙な世界を映し出す映像の前で、ゼンマイ仕掛けの人形を次々と動かす場面から始まる。その後彼女はお面をマジックランタンやピエロの鼻に変えながら、おもちゃの打楽器やトイピアノ、ミニ弦楽器、そしてオルゴールやトイオルガン、鳥の笛などを使い、奇妙で魅惑的な「驚異の部屋(Cabinet of Curiosities)」へと次々に聴衆を誘っていく。私は、特に第4場面にて、ふいに醸し出されたトイピアノの無垢な音色につい涙しながら、チープなものからディープな美しさを生み出すマーガレットの腕前に、改めて感嘆した。会場には我が子達の他にも子供の姿がチラホラ見られたが、彼らもステージ上のマーガレットの一挙一動に釘付けになりながら、彼女の持ち前のユーモラスな魅力に時折ニヤリと目くばせをしていた。

プログラム後半は、ジョージ・クラム作曲《Metamorphoses(book I)》。2015年から2年間に渡って書かれたこの曲集は、アメリカ現代音楽の重鎮クラムが、1970年代に作曲した《Makrokosmos》シリーズ以来久しぶりに書いたピアノ曲集である。10曲から構成されるこの曲集は、パウル・クレー、ゴッホ、シャガール、ウィスラー、ジャスパー・ジョーンズ、ゴーギャン、ダリ、カンディンスキー等による10枚の絵画にインスピレーションを受けて、各曲が作曲された。この日も、各々の絵画が背後のスクリーンに映し出される中での演奏であった。マーガレットのために作曲されたこの曲集では、彼女のアヴァンギャルド性が存分に発揮される。ピアノの鍵盤のみならず、その内部の弦を指で、マレットで、ワイヤーブラシでかき鳴らすマーガレット。時にピアノの下に潜り込んでペダルの特殊効果の仕込みをし、声を用いて様々な音を発し、右手でトイピアノを弾きながら左手でグランドピアノを弾く。一人のピアニストによって生み出されているとはとても信じがたい、10枚の音響世界。特に最後から2番目の「The Persistence of Memory」にて、柔らかく溶けた時計が砂漠に横たわるダリの絵画を見ながら、彼女から発される風の音や静寂の響きに一心に耳を傾けた時間は、私にとって格別のひと時であった。子供達にとっても、視聴覚を研ぎ澄ませながら初めて体験したその特別な空間は、強烈な印象となって脳裏に焼き付いたようだ。

翌日、私は彼女の楽器搬出の手伝いをしに、再びレッドキャットを訪れた。憔悴しきったマーガレットと共に、大量のおもちゃをくまなく梱包し、漏れなくスーツケースに詰め込んでいく。作業をしながら彼女は、それらを本番でミスなく配置し使いこなす大変さや、以前スーツケースが輸送中に行方不明になった時のショックなど、様々な苦労話を聞かせてくれた。「でもそれは、お客さんには全く関係ないことでね。演奏者がどんなに大変であろうと、本番で出てくる音だけが全てなのよ」とキッパリと言い切る。その後ようやく搬出を終え、昼食を取りに近くのカフェへ。10年ぶりの近況報告に始まり、話題は子供達の教育や現代社会への危惧へと至る。「私の住むニューヨークでも、最近はどこへ行っても皆スマートフォンばかりを見ているわ。そんなにネット上の世界が大事かしら?なんでもっと、今自分が生きているこの世界を感じようとしないのかしら…」とマーガレット。そんな話から、10年前に彼女から学んだケージの思想 “Life=Art=Theatre” について、同じ奨学生として同時期にニューヨークに滞在した親友が先日メールで語っていたことを思い出す。そう、今この瞬間を自分自身が感じること…、それこそが、生きることであり、音楽することである。マーガレットと再会して、私自身久しぶりに、生きる意味、音楽する意味を見出せた気がし、底抜けに青いカリフォルニアの空を、いつになくすがすがしい思いで見上げた。

 (2018/12/15)

This Article in English: Special contribution | Reuniting with Margaret Leng Tan | Eiko Sudoh

——————————————————–
須藤英子(Eiko Sudoh)
東京芸術大学楽理科、同大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメントや普及活動等について広く学ぶ。04年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。06年よりPTNAホームページにて、音源付連載「ピアノ曲 MADE IN JAPAN」を執筆。08年、野村国際文化財団の助成を受けボストン、Asian Cultural Councilの助成を受けニューヨークに滞在、最先端の現代音楽を学ぶ。09年、YouTube Symphony Orchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。12年、日本コロムビアよりCD「おもちゃピアノを弾いてみよう♪」をリリース。洗足学園高校音楽科、和洋女子大学、東京都市大学非常勤講師を経て、2017年よりロサンゼルス在住。