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だからどうしたクラシック|ロシア・ロマンスの歴史Vol.1|松本大輔

ロシア・ロマンスの歴史Vol.1

text by松本大輔(Daisuke Matsumoto)

レーベル/商品番号:PROFIL PH 19009

<演奏>
ダーシコワ・アンサンブル

<曲目>
グリリョフ:乙女の悲しみ/
ダルゴムィシスキー:シェラ・ネヴァダは霧に包まれて/
アリャビエフ(シフラ編):ワルツ*/
アリャビエフ(シフラ&ヴィソツキー編):ナイチンゲール*/
ワルラモフ:赤いサラファン/ワルラモフ:彼女を起こさないで/
バフメチェフ(シフラ編):小さな指輪*/チトーフ:護符*/
ダルゴムィシスキー:グラナダは霧に包まれて/
チマローザ:カヴァティーナ/シフラ:スペインのボレロ /
コンデンコ:夕暮れ/ワルラモフ:天使/
グリリョフ:内なる音楽/サレンコ:時は‛&*/
不詳:フランスのロマンス/グリンカ:夜のそよ風/
マスロフスキー:でもシルヴィアはここにいない/
不詳:出掛けましょうか/マラホフスキー:陽は山なみに輝き/
グリリョフ:ワルラモフの思い出(無伴奏)
*ギター独奏

録音:2017年9月

アリアCDでの掲載URL
http://www.aria-cd.com/arianew/shopping.php?pg=100/100new11#14

私はアリアCDというクラシック専門のCDショップをやっている。
ネット通販の店なので、ふらりと遊びに来られても店頭在庫はない。事情を知らない方がときどき「アリアCDさんですかあ?」と訪ねてこられるのだが、「在庫おいてないんですよ」とスタッフに言われて残念そうに引き上げることがままある。

その日もそんな感じだった。

一人事務所でメーカーから送られてきた新譜を試聴していた夜の8時過ぎ。コンコンとノックの音がした。こんな時間に配送か?私はハンコをもってドアを開けた。
するとそこに立っていたのは黒いコートに白マスクの初老の男だった。男は頭は少し薄いが、眉はキリリ、そしてちょっと碧眼っぽい眼光はギラリ鋭く、若いころは結構もてたのではないか・・・いや、いまでも場末のバーでママさんとデュエットして街では人気者だったりするかもしれない。
ぽかんとしていた間抜けなアリアCDの店主に、男が口を開いた。
「探している CDがあるんです」
淡々としたはっきりした口調。
私は「あ、えっと、そうなんですか・・・ただうちはネット通販の店なので在庫は置いてないんですよ」と紋切り型の返事をした。すると意外なことを言ってきた。
「置いてなくてもいいんです、出ているかどうかだけでも知りたいんです」
男のなんというか有無を言わせぬ「圧」に、「あ、はい、じゃあ、どうぞ」と言って、事務所の中に引き入れてしまった。
でもまあ、曲名を聴けば CDが出てるかどうかはすぐに分かるだろう。
「何の曲ですか?」
さくっと調べて、CDが出ているようなら注文するかどうか聞いて、今日はお引き取りいただく、という流れだ。
そうしたらまた意外なことを言ってきた。
「グリリョフという人の『乙女の嘆き』という曲です」
「へ?」
誰?グリリョフ?
知らんぞ。
ロシアのピアニストか誰かのアンコール曲か?
「グ?グリ?グリグリ?グリリョフ?」
「はい、グリリョフです。アレクサンドル・グリリョフ」
男は淡々と、しかしはっきりと答える。
「乙女の・・・??」
「嘆き、『乙女の嘆き』です」
「ピアノ曲か何かですかね」
う〜ん、これは調べないとわからんな。パソコンの前に座る。
「いえ、歌です」
歌ものは、CD出てないかもしれん。埋もれた名歌曲というのは山のようにある。
まずはグリリョフを調べてみるか・・・
アレクサンドル・グリリョフ・・・、検索。
あ、出てきた。
1803年生まれのロシアの作曲家。
ん?
1803年生まれ?
グリンカと同世代?
グリンカというのは、1804年生まれ、世界的名声を得た最初のロシア人作曲家。いまでは『ルスランとリュドミラ』序曲以外はそれほど聴かれないが、この人の愛弟子のバラキレフが「ロシア五人組」のリーダー的存在となった。だからグリンカは「近代ロシア音楽の父」と呼ばれている。それ以前にもボルトニャンスキーやアリャビエフがいたりするが、やはりクラシック・ファンの頭の中には「ロシア人のロシアらしい最初の作曲家はグリンカ」と認知されている。
そのグリンカとほぼ同い年の作曲家だったのだ、アレクサンドル・グリリョフ。
どうやら愛の歌などを書いていたらしい。
そんな人がいたんだなあ。
詳細なプロフィールは分からないが、肖像画で見る限りなかなかの色男。200年前にはそういう愛の歌を作って、結構もてたかもしれない。

「えっと、『乙女の嘆き』でしたかね・・・」とひとりつぶやき、検索。
あ、出てきた。
CDもある!おー。
「あ、CD出てます。しかも最近の新譜ですよ。えっと・・・PROFIL PH 19009・・・」
パソコン画面上に映し出されたCDジャケットを見てはっとした。
ちょうど今週メーカーから送られてきた試聴盤になかったか、このCD!?・・・そんな偶然が!?
たたずむ男に「このCDあるかもしれません」と伝えると、足元の2箱のダンボールに入っている山のような試聴盤を漁った。

あった・・・。
PROFIL PH 19009。
PROFILレーベルらしい、原色系の素朴なあしらいのジャケット。
PROFILお抱えの名ギタリスト、チモフェーエフが伴奏するロシアの古い歌曲集。
その1曲目がグリリョフという人の『乙女の嘆き』という曲らしい。
「ありましたよ!聴いてみましょう!」
私はそう言って CDをプレーヤーに入れた。

始まった曲は、ノスタルジックで切ない、甘いロマンス。
チモフェーエフの泣き泣きのギターに合わせて、可憐で、美しい、そして悲しい歌が流れる。
なんて素敵な曲!
こんな素敵な曲がこの当時あったのか。いや、グリリョフはこういう曲を当時たくさん作っていたんだろう。
当時のロシア貴族はロシア人作曲家を認めず、イタリアやドイツ音楽家ばかりを重用していたが、こんな素敵な曲を書くロシア人作曲家が当時にもいたのだ。そしておそらくグリリョフ以外にもいたはずである、こういう人たちが。
で、こういう人たちがいたから、後にロシア五人組が現れ、チャイコフスキーが現れラフマニノフが現れたのだ。
熱く美しく切ないロシア音楽の伝統は、こんな無名の人たちも一緒になって築き上げたものだったのだ。
知らなかった。

あんまりいい曲だったのでもう1回かける。
2回目の『乙女の嘆き』は1回目よりももっともっとしみじみといとおしく切なかった。
「素敵な曲じゃないですか!」
感極まって男にそう声をかけようとしたら・・・

誰もいなかった。

なんだかよく分からない不思議な感じのまま、また『乙女の嘆き』をかけた。
そしてパソコンの画面に映るグリリョフの肖像画に目をやった。

ははーん。
そういうことか。

その美青年グリリョフの眼光鋭い眼は・・・さっきの男と同じ眼だった。
淡々と、しっかりとした。

(2019/3/15)

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松本大輔(Daisuke Matsumoto)
1965年、松山市生まれ。
24歳でCDショップ店員に。1998年に独立、まだ全国でも珍しかったネット通販型クラシックCDショップ「アリアCD」を春日井にて開業。
クラシック専門CDショップとしては国内最大の規模を誇る。
http://www.aria-cd.com/
「クラシックは死なない!」シリーズなど7冊の著書を刊行。
愛知大学、岡崎市シビック・センター、東京のフルトヴェングラー・センター、名古屋宗次ホール、長久手、一宮、春日井などで定期的にクラシックの講座を開講。