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カデンツァ|いわきの《ボクとわたしとオーケストラ》|丘山万里子

いわきの《ボクとわたしとオーケストラ》〜音の輪でつながろう〜

text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
写真提供:東京都交響楽団、いわき市民コミュニティ放送(SEA WAVE FM いわき)
2017年2月22日@いわき芸術文化交流館アリオス大ホール

2月21日午後、東京からいわきへ向かう列車の中。上野から楽器を持った楽員たちが続々乗ってくる。ここから、もう《ボクとわたしとオーケストラ》が始まっていた。
日立で、青い海が見える。久しぶりの海に、わあ、と思ったが、すぐにうつむく。2011年3月11日の海、福島原発事故。30キロ圏内から避難したいわきの子供たちに生のオーケストラ音楽を届けようと、東京都交響楽団が地元の人々とともに開催する《ボクと私とオーケストラ》の第6回。22日の午前は小学生(18校)、午後は中学生(16校)それぞれ1800人あまりが招待され、いわき駅近くのアリオス大ホールに集まるのだ。全校にそれぞれ用意されたバスで、1時間半くらいかけてくる子たちもいるという。

ドラムの音がホールに鳴り渡ると、客席の四方のドアからブラス・メンバーが颯爽とメロディーを吹きながら入場、通路を練り歩く。びっくり、の会場はすぐにしゃんしゃん手拍子。『ラデツキー行進曲』だ。
「こんにちは!」の司会者の呼びかけに「こんにちは!」と大声で答える子供たち。こうして始まった1時間のプログラムのクライマックスは杉本竜一『Believe』での全員合唱。

「さあ、ではまず立って、体をほぐして!手足ぶらぶら」「あーって声だしましょ。1階席!」 4階席までびっしり埋めた子供たちが、司会者の掛け声で順番に「あーっ!」。すごい。4階席の声も1階に負けじと、半端なくデカイ。
そうして。オーケストラが鳴り響く。1800余の声が一斉に歌い出す。
「たとえば君が 傷ついて くじけそうに なった時は かならずぼくが そばにいて
ささえてあげるよ その肩を」
全身全霊の音楽って、こういうのを言うんだ。湧き上がる声、降り注ぐ声、響きあう声、溶け合う声。オーケストラの渾身と子供たちの渾身が、いだき合って宙に舞い上がり、翔けめぐり、発光し、巨大な一つの生命体となってホールをジンジン震わせている。
私は長い批評家歴の中で、音楽の感動とか感銘とかはそれなりに経験してきたが、これは全く異次元の世界。
「いま未来の 扉を開けるとき 悲しみや 苦しみが いつの日か 喜びに変わるだろう
アイ ビリーブ イン フューチャー 信じてる」
だめだ、涙、こらえられない。近くの男の子が体揺らしながら歌ってる。前の女の子の小さな肩が息吸うたびに上がる。ああ、この歌声がいつまでも続くように、終わらぬように。私は心底、「今」の「永続」と「未来」への「希望」を願った。大仰?いや、そうとしかいいようのない、突き上げるような衝動だったんだ、それは。

プログラムは良く練られていて、楽器紹介からブラームス『ハンガリー舞曲』で元気溌溂、その後にマスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲でしっとり、『Believe』を挟んでハチャトリアン『仮面舞踏会』の<ワルツ>など4曲。曲に合わせて指揮する子供たちも。あちこちで手がひらひら揺れている。それって、すごくないですか?
そうそう、大受けしていたのがドラゴンクエストⅢ『冒険の旅』。

コンサート終了後、葛尾小学校の全生徒 8名(9名だが1人欠席。現在、三春町の仮校舎)が、指揮者梅田俊明の楽屋を訪問、質問タイムや記念撮影、それからリハ室で1月のクラスコンサート(子供たちを訪問、弦楽四重奏の出前をした)で出会った楽員4人と再会、ランチを共に。机囲んで楽しそうにおしゃべり、持参のお弁当をパクパク。終わったらみんなにCDプレゼント、それに演奏まで。セットされた椅子を、メンバーの手まねきで1mもズズッと近寄せ、ぐるり囲む。うん、近くで、できる限り近くで感じたいんだよね、音楽を、弾く人を。弾き終えて引き上げるメンバーに1人ずつ握手して、さよなら。
次はホールの見学が用意されているのだけど、その間のわずかの時間に子供たちにインタビューしていいと言われた。正直、ここまでの子供たちの歌や様子で頭も胸もいっぱいになっていた私は、のこのこ出て行き「どうだった?」なんてナンセンスだと思い、とっさに「今日の音楽の色って何色?一つの言葉にするとどんな?」(その時、チェルノブイリの子供たちが描いた絵と詩が思い浮かんだのだ)。色は「赤、黄色、オレンジ、白、緑、あったかい色」。言葉は「きれい、すばらしい、すごい、にぎやか」。子供たちの色は、光、輝き、希望、喜びであって、この日の選曲のメッセージをちゃんとまっすぐ受け取ってくれていたのだ。
もう一つ、一番大事で、この時、聞き落としてしまったことを、葛尾小の先生にお願いし、後から送っていただいた。質問は「歌っている時、どんな気持ちだった?」
すぐに届いた子供たちのコメント。そのままご紹介する(先生の手など入っていない。1名コメントなし)。

みんなでうたってきずながふかまった気がしました。(1年)
みんなでうたってたのしかった。(1年)
オーケストラのばんそうがはくりょくがあって、うたうのがたのしくなった。(1年)
今日は1800人で歌ったので、歌っているとき、うれしい気持ちになった。(2年)
いつもはCDに合わせて歌っていたけれど、今日はきれいな音楽に合わせて歌ったので、楽しかった。(4年)
生の演奏の中での初めての合唱だったので、迫力があって、とても楽しい時間でした。いつもは「CD」と「少人数」なので、「生の演奏」で「1800人」と合唱ができて、新鮮でした。(6年)
いつもは、CDの曲を流しているので、6割ぐらいの声でも大丈夫なのですが、オーケストラに演奏していただいたビリーブは、10割、お腹にいっぱい力を入れて歌いました。そして、とてもありがたかったです。(6年)

そっか、 CDで練習したんだね。みんなで歌う日を楽しみにしていたんだね。生の音楽の威力、ズンと来るんだね。生の演奏で歌う、みんなで歌う、嬉しくて、楽しかったんだね。みんなと一緒に音楽できたオケ・メンバーも嬉しくて楽しかったと思うよ。

私はここまでで子供たちと別れたが、帰り際、このコンサートを主催するいわき市民コミュニティ放送の渡辺弘氏に少しだけ話をうかがった。氏は、参加希望の子供たち500人以上がホールのキャパで招けなかったこと、この先20年、30年経った時に、今日のことが「思い出」として残ってくれればいい、と語った。
葛尾小の子たちのコメントを見てください。CDでなく「生音」の背後には人の顔が見える。弾く人、それを支える人(多数のボランティア)、歌う私たち。体温が伝わるから「あったかい」。たくさんのみんなの中にいる私は「楽しく、あったかい」。人と音楽が生み出すその圧倒的な体感。これは、残る。この先、何十年経っても、この子たちにはちゃんと残る。私は確信する。
来年も、次の年も、何十年先も、こういう時間を子供たちが持てるよう、私たちはそれぞれの場所で、様々な形で、努力しなければいけない。

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福島原発事故から避難した各地の子供たちへのいじめ報道が相次ぐ。いじめに走る子供らの背後には、放射能汚染がどんなものか、きちんとした認識のないままに風聞をたれ流す大人たちの無知と無責任がある。原発を黙認しその電力の恩恵を受けていた私自身も同類だ。
私は2000年、<チェルノブイリ子ども基金>が招いた子供たちの歌舞団<チェルボナ・カリーナ>の公演を何度か見て、話を聞いたことがある。アクロバティックなダンスを踊っていた金髪の青い瞳の愛らしい少年は「歌ってる時や、踊ってる時は楽しい。でも、いつか友達みたいに病気になるのかな。」とつぶやいた。10歳で被爆したナターシャ・グジーはバンドゥーラを弾き歌う20歳の美少女だったが、素晴らしい歌手になりたいという夢を語りつつ、チェルノブイリから逃げ出すことはできない、と言った。彼女は今、日本で歌手として活動している。
放射能は0 ~15歳の子供たちが一番影響を受けやすい。5年、10年後に様々な症状となって現れる。私たち大人は、福島ばかりでない、子供たちの未来に責任を持たねばならない。だのに、なんという無責任を、見て見ぬ振りを、知らん顔を続けていることか。目先の利に走り、現実を覆い隠し、原発再稼働の動きを他人事と眺めている。
私はみなさんに、チェルノブイリの子供たちを見守り続け、<未来の福島子ども基金>代表である小児科医黒部信一と原子物理学者小出裕章の書いた『原発・放射能 子どもが危ない』(2011/文藝春秋)と白石草『ルポ チェルノブイリ 28年目の子どもたち』(2014/岩波書店)を読んでほしいと思う(2015年ノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り』については本誌で藤堂清氏が紹介している)。
せめて、今の現実を少しでも知り、子供たちの未来について、どうしたら良いか、自分のできることを考えたい。

一時の音楽の喜び、なんて、大人の気休め、押し付け、自己満足、偽善だ、と、実は私にもそんな気持ちはあった。でも、それは違う。
喜びの「思い出」は未来の希望になる。人というもの、人生を信じる力になる。絶対、なるんだ。子供たちがはっきり、それを教えてくれた、いわきの《ボクとわたしとオーケストラ》。

(2017/3/15)

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追記)この稿を書き終えた後、私はたまたまE テレ/ハートネットTVで『原発被災地最小の村 葛尾村の記録』(3/8,9放送)があることに気づき、急いでチャンネルを回した。そうして、自分が葛尾村について何一つ知らずにいわきに行き、葛尾小の子供たちと出会い、原稿を書いたこと、書くにあたって、村についてきちんと調べる事もしなかったことを深く恥じた。が、原稿はそのままとした。再放送が3/15,16いずれも午後1時5分からある。ご覧いただければと思う。(3/9記)
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/program/index.html?id=201703082000