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カデンツァ|新型肺炎による自粛の中で|丘山万里子

新型肺炎による自粛の中で
『The Rose 』in the dark〜Coronavirus Disease 2019 /
 Japan

Text by 丘山万里子
Photos by 藤本史昭/写真提供:王子ホール

地下鉄を降り、そのまま銀座三越に入る。いつも海外観光客が群れている地下香水・化粧品コーナーはガラガラ、店員が手持ち無沙汰で立っている。エスカレーターで一階に上がっても人をよける必要がない。大きな買い物袋を両手に抱えた客もいないし、大型バスが止まる裏手口付近も人影はなく賑やかなおしゃべりも聞こえない。

波多野睦美《G-Lounge #25~歌い手たちへのオマージュ~》(2/25@王子ホール)に一抹の不安を抱きつつ出かけた。ホールスタッフは全員マスクであちこちに消毒液が置かれており、客もせっせと手を消毒。こちらもほぼマスクだ。
波多野は古楽で知られるがレパートリーは広い。当夜は『愛の小径』『ククルクク・パロマ』『サマータイム』『ナントに雨が降る』『黄昏のビギン』『卒業写真』など彼女の好きな歌を集め、大萩康司gt、山田武彦pfと語らいつつ聴かせる。
開口一番「どうなるかと気を揉みましたが・・・」と微笑。客席にも笑みが広がる。
淡々とした静かな語りと歌唱、押し付けがましさを排した清廉と品格そして熟成がホールを包む。両サイド男二人のエスコートぶりも素敵だ。
昔、パリはオペラ・コミック、オケ・ボックス近くのテーブル席でシャンパン飲みつつ観劇の老紳士が通路を挟んだ後列の私、じゃなく隣席の女性を振り向きウィンクで1杯プレゼント、なんて粋なの!とドキドキしたのだが、ああ、シャンパン飲みながらのこのひとときだったら最高の贅沢だったろうに・・・。
小鳩が喉を震わすみたいに優しい『ククルクク・パロマ』に、こういう歌だったのか、といたく納得。
雨の『ナント〜』はグランジュ・オ・ルー通り25番地の一室、息を引き取った父への語りかけーーバルバラより静謐を含むその透明な歌声、沁みる。バルバラ記事「バルバラはドイツで何を見たか」

Il pleut sur Nantes
Donne-moi la main
Le ciel de Nantes
Rend mon cœur chagrin

Au chemin qui longe la mer
Couché dans le jardin de pierres
Je veux que tranquille il repose
Je l’ai couché dessous les roses
Mon père, mon père

アンコールの最後は『The Rose』。

Some say love, it is a river
That drowns the tender reed
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed
Some say love, it is a hunger
An endless aching need
I say love, it is a flower
And you, it’s only seed

When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun’s love
In the spring becomes the rose

私は「音楽の力」とか「心の癒し」などといったのは好まない。いや、はっきり嫌いだ。
けれどこの夜、イルミネーション輝く夜の帳にしんと沈む銀座の通りを歩くと、胸にひたすら「I say love, it is a flower  And you, it’s only seed」が繰り返され、いつまでもその小々波の中にたゆたうようだった。

新型肺炎によるスポーツや文化イベントの中止が政府から要請されたのは翌26日。
その日はトッパンホールのランチタイム「佐山裕樹vc」に足を運んだ。新人若手登場のステージで無料、ご近所と見られる中高年層やこのシリーズのご贔屓筋で客席は埋まっており、45分の若々しい演奏にみんな拍手だ。もちろんマスクに消毒液配備。注意喚起のアナウンスもあった。けれど和やかな温かな空気に、外界での懸念もふっと忘れる。
昼間だから帰路もみんな足取りゆっくり、タクシー拾いに急ぐ人もいない。
前を歩くご夫婦がスーパーいなげやに入って行くのを横目で見つつ、どこかでランチしようかな、いやいや、外食は危険、と現実に引き戻される。
そして翌朝。
公演中止の報が続々、と思う間もなく、全国小中高休校の要請が出た。

私はこの時期花粉症で薬(マスク、ティッシュも)が欠かせない。
残り少なくなったので、近所の町医者に1ヶ月分の薬をもらいに行ったが、空いているかも、の予想は外れ、いつも通りの混雑、それにほぼみんな(大方高齢者)マスクをせずペチャクチャおしゃべり。先生も、マスクなし。
コンサート通いの電車・バス・会場と、自分も周りもマスクだらけの私は驚いた(私は花粉症用だが)。
だいじょぶかあ? 先生に聞いた。
いやあ、そんな不安はあまりないみたいですよ、とのんびりのお返事。
先生お気をつけて、と処方だけもらって早々に退散したのであった。
家への路地、全員大きな荷物袋を両手に抱え、うんこらしょ、とぞろぞろ帰宅途中の学童達と出会う。休校前に荷物を持ち帰らねばならぬのだ。

夕方、切らした洗剤を買おうと近くのドラッグストアに行き、いつもは外棚に山積みのティッシュだの何だのが消えているのに気づく。
朝のニュースで「トイレットペーパーが無くなるデマ」が流れていたけど、え、ほんとか?店に入ってさらに驚く。レジに長蛇の列に加え、紙製品、カップラーメン、袋菓子、飲料、缶詰類が全て消えている。
明日からの長い休みに備え、子供達の食を確保にママたちが動いたのだ。この時間帯ゆえ、列は仕事帰りで疲労気味のママ、ところどころパパたちばかり、専業軍はすでに備蓄を終えているわけ。
昨年の大型台風時もスーパーは物が消えた。が、台風は通過するし、流通の乱れもメドはなんとなく立つ。けれど、新型肺炎は先が見えない。
いつまで、どこまで、誰が、誰に。
その不安が、人を駆り立てる。

翌3月1日、楽しみにしていた公演中止で仕方なくお昼時、近くの原っぱを散歩。
梅がもう終わり近く、代わりに河津桜が満開で、その下にシートを敷いてお弁当を広げる親子連れがたくさん(三々五々散って互いの間隔を置いている)。
元気にラグビーする子供たち、それを見守る大人たち。
穏やかな風景だ。けれど。
胸にいっぱい原っぱの空気を吸い込んで家に戻る途中、例のドラッグストアの外にはいつもより半分であるもののトイレットペーパーとティッシュが積まれていた。一家族一点との張り紙があった。

政府がどんなに「大丈夫」と言おうと、人は危機に際しまず利己的に振る舞う。それは生物の生命維持欲求の本源の姿だ。後手後手の無責任政府(自政権延命欲望であれば)の言うことなど誰も信じないし。
そうしてそれを脅かすもの妨げるものを黴菌扱い排除差別に走る。福島原発事故の時のように(それは今も続いており、これからも続く)。
海外在住の知人たちから同様の苦境も届く。一方で、自制もあり冷静との感想も。
何が人のふるまいをそのように分けるのか。自分は。

続々舞い込む中止の報、いずれもギリギリまで検討したが断念、残念の言葉が並ぶ。
都響の大野和士のメッセージを紹介しておく。

「世界的な規模で拡大している人類に対する挑戦的な状況を前に、今は注意深くその経緯を見極め、皆さまと共に困難な時期を乗り越えていくことができればと思っております。その後、しかるべき時が戻ってきた際には、都響の紡ぎ上げる極上のサウンドを皆さまに再びお届けするべく、楽団全員が全力を挙げて臨む所存でございますので、しばしの間お待ちいただきますよう心よりお願い申し上げます。」

無観客で公演実施、ライブ無料配信、CD、DVD制作販売の措置をとるところ(東響、びわ湖など)、返金もしくは無観客公演録画配布の2択とするところ(東京オペラプロデュースなど)、予定出演者を集めたライブをyoutubeで配信したり、細心の注意の中での実施を決断するところ(KAJIMOTOなど)などなど、一律に中止だけでなく様々な対応がなされていること。小さなライブやホールでの自主公演には実施の判断が多いこと。
音楽界のこうした多様な動きと努力は、ここに書き留めておく(本誌は国立国会図書館 WARP収蔵ゆえ、後世に記録として残る)。
何が良いのかなんて、誰にもわからない。感染が起きてしまえば開催責任は必至、批判は免れない。労力と経費の巨額の損失を被る中、だが、みんな必死で知恵を絞っているのだ。(Pick Upに対応記録掲載)

いったい、何ができるだろうか。
波多野の公演の翌日、私は公式ツイッターに彼女のアンコール曲『The Rose』をコメントとともに投稿、ウェブ担当者がこれにハッシュタグを作ってくれ「一輪の花に代え楽曲を一曲」の呼びかけをしてみた(#fiori_musicali_mercure)。
次々と歌の花輪ができている。
私は本来、こういう行動は嫌いだ。
独りよがりな気持ちの押し付け、胡散臭い偽善顔、鬱陶しい綺麗事。
そんなこと、わかってる。
でも、寄せられる楽曲に込められた想いの様々を聴き、心が凪いでゆくのは確かだ。

誌面が更新される3月15日、どんな状況になっているのか全くわからない。
世界への感染は広がる一方、医療の脆弱な国々への危惧が膨らむ。

本誌執筆陣の一人、松浦茂長氏が送ってくださった記事「ドメニコ・スキラーチェ校長=ミラノのアレッサンドロ・ボルタ高校ホームページから」(朝日新聞2020/3/1 ローマ=河原田慎一)を最後にご紹介しておく。

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スキラーチェ校長が生徒にあてたメッセージ(要旨)
ボルタ高校の生徒へ

「ドイツからミラノに来るのではと恐れられていたペストが、本当に入ってきた。それはとどまることなくイタリアの大半を侵略し、人口は減った……」
 引用したのはマンゾーニの小説「いいなづけ」の第31章で、1630年にミラノを襲ったペストの感染について書かれています。このころ起きている混乱を、並外れた新しさと鮮やかな文章で描いており、注意して読んでみることをお勧めします。そこには外国人への恐怖、感染源のヒステリックな捜索、専門家への軽蔑、デマ、ばかげた治療法、必需品の盗難……すべてのことがあります。これらはマンゾーニの小説からではなく、今日の新聞から出てきたかのようです。
 みなさん、学校は休校になりましたがお話ししておくことがあります。我が校のような教育機関は規則正しく動いており、当局が強制的に休校とするのはきわめてまれな場合です。私はこうした対策を評価する立場にありませんし、専門家でもありません。当局の慎重な判断を尊重しますが、皆さんには、冷静に、集団の妄想にとらわれることなく、必要な予防をした上でいつもの生活を送ってください、と言いたいです。こんな時だからこそ、散歩をしたり、良い本を読んだりしてください。元気であれば家に閉じこもっている必要はありません。スーパーや薬局に駆け込むのはやめましょう。マスクは病気の人のためのものです。
 病気が急速に世界に広がっているのは、私たちの時代が残した結果で、何世紀も前には速度は少しだけ遅かったですが、同じように広がりました。それを止めることができる壁は存在しません。このような出来事での最大のリスクの一つは、マンゾーニが私たちに教えてくれているように、社会生活や人間関係に「毒を盛ること」と、市民生活を野蛮にすることです。目に見えない敵によって脅かされていると感じる時には、私たちは同じなのに、他人を脅威や潜在的な侵略者のように見たりする危険があるというのが、先祖から受け継いだ本能なのです。17世紀と比べ、私たちには近代的な医学があり、進歩し、正確になりました。私たちは社会組織と人間性という貴重な財産を守るべく、合理的な考えを持つようにしましょう。もしそれができなければ、ペストが本当に勝ってしまうかもしれません。
 
 学校で待っています。
 ドメニコ・スキラーチェ

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2020/3/7記      (2020/3/15)