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カデンツァ|優しい歌〜若林顕 ピアノ・リサイタルで|丘山万里子

優しい歌〜若林顕 ピアノ・リサイタルで

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 宮地 たか子(Takako Miyachi)/写真提供:ヤマハ・アーティストサービス東京

時折、目の端に滲むものをこぼすまい、と天を仰いだ。
ラフマニノフ、シューマン、ラヴェル、ショパンそれぞれに、そんな瞬間が幾度もあった、それはなんだったか。
若林顕4年ぶりのソロ・リサイタル、市松模様の大ホールはそれなりの集客であったと思う。私は若林がうんと若い頃に聴き、剛腕闊達の印象が強く、ベートーヴェン全曲やショパン全曲など気になりながらも正面から向き合わずに来た。
今55歳、その深化とは。

ラフマニノフの冒頭、キイの上で淡雪が溶けてゆく、そんなほのかな響きの一刷毛。こういうppは久しく聴かない、こういう音色がピアノにあったなんて。こういうピアニストが居たんだ、日本にも。胸に沁んでゆくその想いは、アンコールの最後まで尽きることなく湧き上がった。日本にも、という言い方は正しくない。思い浮かべ得たのは A・シフくらいだろうか。筆者はどんどん忘れてしまう質(たち)ではあるけれども。
ppとは音量では無論ない、魂の温熱のようなもので、つまり人間の優しさそのものなのだ。
この夜の若林は、どんな強打であれ轟音(ではないのだが。叩くのでなく響かせるから)であれ、すべて降りそそぐその優しさにくるみ、ひたひたと私たちを満たしてくれた。
そこで歌われる歌は、どうして人はこんなにうつくしい調べを歌うことができるのか、と、それを生み出し(作曲家)、弾いてくれる(演奏家)その人に、こうべを垂れる気持ちにさせる。第3番のつぶやき、低音の深度は人間の痛苦に寄り添うようであったし、第4番の収縮膨張、寄せては返す波の無限ループも決して無為に昂ぶらず節度を保持、それでいて心身に喰いこむ劇しさを残す。ラフマニノフはシェーンベルクら無調世代だが、ロシア19世紀末の香りを色濃く留め、センチメンタルと揶揄されるメロディを臆することなく紡いだ。その歌は、多く傷つき、故郷に戻ることなく終えた彼の人生そのままのある種のいたわりを含むのだ、とこの時、私は思った。
シューマン第1楽章中盤「昔語りの調子で」、その口ごもる様子はまるきりシューマンの躁と鬱、外から内へふいっと転ずる眼差しで、そこに彼の狂気の片鱗をわずか見る気がする。ベートーヴェン『遥かな恋人に寄せて』が潤むように姿を見せる終尾に映る幻視の残影。最後の清澄な高音和音連打を受ける低音の和らかな光。確たる響きの伽藍第2楽章をへて終章の歌は、ラインの畔ふわふわ漂う白い柳絮(りゅうじょ、柳の種)を思いおこさせ、左の波形に浮かびやがて天へと舞い昇って行く。
後半、ラヴェル『水の戯れ』はガラリ音色を変え、硬質な水晶の輝きと多彩。タッチとペダリングの妙、そのピアニズムの極致を耳の至福と聴く。
そうしてショパンの『前奏曲集』。全24曲、人生の心の旅路のようなものだ、と、そう若林は弾いた。そんな使い古された句しか浮かばない、いや、使い古された句とは今も生き、これからも生きてゆくであろう(その言葉を口にする人それぞれの胸にある様々なシーンをきっと映し出すから)そのようなもので、何か永遠とでもいうものと人を結ぶ。例えばあまりに親しい『雨だれ』のあの雨音に、幼な子の孤独(幼児にも孤独はある、ある時3歳の子がぽつり「さびしい」とつぶやいた、その眼差しを私は忘れない)とか、別れを予感した恋人たちとか、パワハラに苦しむバリバリキャリア組とか、コンビニ店員相手に話し込む老女とか、その誰もが自分の雨音「独りであること」を聴く、そういう雨音を彼は時間(とき)の中に滴らせ、落としていった。最後の楽句の下降を彼はゆっくり、ひとつひとつ噛みしめるように弾いた。4番の悲愁、6番やるせない左手の歌、8番吹きすさぶアジタート、12番嵐の半音階プレスト、悪魔的な14番の後に『雨だれ』、16番左の激越駆動、20番コラールのそくそくたる足取り、泡だつアルペッジョ23番から終曲Dの最低音を運命の鉄槌3打のごと轟然と響かせて締めくくった。ショパンにとって死とは短い生に打ち下ろされた最後の鉄槌であった、と言うように。

〜〜〜〜〜

 もう二十年前の昔の事を、どういふ風に思ひ出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道東堀をうろついてゐた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考へてゐたか忘れた、いづれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、さうゐふ自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬のようにうろついてゐたのだらう。(小林秀雄『モオツアルト』1946)

 あれは、今から二十年近くまえのことだ。僕は、さる外国のピアニストの演奏をきくために、日比谷の公会堂の席にすわっていた。
初夏だった。掌のなかで、会堂のまえでひろった小石がつめたかった。僕はそれを、この夜ここであうにちがいないある人にぶつけてやろう、と思っていた。僕には、Gegenliebeというものが、まるで信じられなくなっていた。人間と人間の関係を規定するものは、憎悪だけだ。一方から他方への愛はあり得るが、それは、もう一方にとっては耐え難い重荷であり、正直なところ人間には他の人間が存在することが許せないのだと思っていた。〜〜こういったやくざな考えが、そのほかにも頭のなかに、うようよしていたが、今は大部分忘れてしまった。」(吉田秀和『ローベルト・シューマン』1950)

上述の酷似する二文は、敗戦直後の作といってよかろう。吉田が小林の『モオツアルト』にショックを受け『モーツアルトー出現・成就・創造』を書いたのは翌1947年で、『ローベルト・シューマン』は次作になるが。
本稿を書き始めた時、そういえば、とふと思い出したのだ。
若林のリサイタルに向かう時、私も似たような「やくざ」な考えで頭がいっぱいだった、と(支離滅裂をそのまま並べる)。
コロナがあぶり出した諸問題は、例えば、間髪入れず刊行の岡田暁生『音楽の危機』2020/9)に端的に描かれているし、米国大統領選の結果が引きずる深い傷跡は、4年間の悪夢だったなどの了解で終わらぬことぐらい、誰もが察知している。
グローバル化が呼び込んだ能力主義とそれに付随する富の集中が生んだ格差と分断は、大戦で破壊された世界が新たに構築したデザインが抱える欠陥の証左だが、それは別段、今に始まった事ではない。いつの世も、どんな体制下でも、多かれ少なかれ人は常にそのように引き裂かれていたろう。これからも、だ。
「ポストなんとか」はやがて塗り替えられるヴィジョンでしかなく、それを具体化するシステムは必ず何事かを手のひらからこぼす。すべてを受け止め、みんな仲良く手をつなぎ一斉に上へと登る階段などない。なのに人はどうしてこうも「ポストなんとか」を言いたがり、その新しさ(?)をもてはやすのか。
先人によって語られなかったことなど何一つない。ただそれに時々の「世」が目を向けなかっただけだ。あるいは、気付いた人がその中身に別の衣装を着せてみせるだけだ(だからこそ古典は常に人智の星々なのだけれど)。「より良き」はきっと誰もが目指すが、誰も、どこも痛まない、傷まないことなど、人間社会には不可能なのだ。

にしても前述『音楽の危機』のサブタイトルは「《第九》が歌えなくなった日」だが、三密と消費社会と民主主義の象徴たる第九を論じつつ「音楽とは、人々が集まって一緒にやる。一緒に聴くものだ」と固く信じ、「一緒に集って聴く生の音楽」を愛しく思って欲しい岡田は「生きたものと空気だけは絶対にオンライン空間にはもっていけない」と言を強くする。
それなら、彼の待望する新たな音楽社会モデルに、人と音楽はどう立ち現れるのか。
<間奏>部では非常時下(第一次大戦)と終戦後の音楽のリアル「あれだけのことがあったのに、何も変わらなかった」というフリッツ・ブッシュ、パウル・ベッカーの無力感が示されるが(原爆を経験した第二次大戦のリアルにも触れて欲しいところだ)、コロナ後があったとして、私たちが知るのは再び「そして何も変わらなかった」?(そう、なんか、そんな感じだ)。
いやいや、新たなヴィジョンは必要だ。人間しか、そのような夢想は抱けないのだから。
そして私たち、言葉で語る人間こそが(学問と言論が特に)、「世」を深く見凝め深く読み、そこからの幻視(透視)の像の成形を果たさねばならないのでは?
《第九》が歌えなくなった日から数ヶ月で、この年末に《第九》はめでたく復活する。
そこに何が見えようか。

にしても、先日観劇した藤倉大オペラ『アルマゲドンの夢』に延々流れた映像のセックスと暴力、そこに響く音楽の空疎(映像の描写説明音響に近く)は、それが藤倉に見える「世界」なのであろうし、それらの編集手腕の巧みにつきると私には思え、すべてがただ通り過ぎて行った。
最後に響いた子供兵士の「アーメン」。「最終戦争」の背景たる宗教世界、あるいは物語にどこまで切実に彼は向き合ったのか。戦争殺戮シーンを流しながら、この夏、彼が手に触れたそのピアノ『Akiko’s Piano ピアノ協奏曲4番』での原爆という惨禍を「今、生きる自分」としてどこまで切実に受け止め得たか。
そこから発する声こそが、「今、ここ」を撃ち抜く創作というものではないのか。

にしても、3人寄れば文殊の知恵ではあるけれど人集まれば必ずそこに境界が引かれる、内・外を避けることなどできないし、断絶分裂亀裂は人間存在そのものに埋め込まれた必然。私は日々、それを痛感する、ならばどうしたら? 何ができる?
こんなことははるか昔のお釈迦様が悟り、語ったことであるよ(『犀の角』の「ただ独り歩め」)。ほぼ同時代の孔子の「仁」、続くキリスト「隣人愛」の底にあるのもこの人間認識ではないか。
そうか、内外両界を見渡せる、もしくは往還できる、それが神の眼、神の愛であるのか。人にはかつて第3の眼があった(養老孟司『唯脳論』)。脊椎動物の光受容細胞(松果体)は頭の皮膚を通して外界の明暗を感じるが、哺乳類のみこの細胞と脳を結ぶ神経細胞が退化消失、内分泌器官(体内時計、性的成熟)に変化した。つまりアポロ的世界が人間の眼となった。けれど、この第3の眼がまだ働く人はいるみたいで、脳の下部と深く繋がり、より動物・自然に近くなる・・・「闇と光」に直結する直覚直感そのものが、ひょっとしたら全能神(アポロン&ディオニソス)であるとか?梵我一如とか?

にしても、世はテクノとデジタル、これらが決して生み出せないものとは?
置換不能のものとは?
生命。
今のところは。
が、これもいつかは破壊されよう。アルマゲドンの映像のように。

などなど、これが私にうようよ飛び交う「やくざ」の一部、なのであった。

〜〜〜〜〜

岡田は問う。
「コロナ後に“勝利の歌”を歌えるか」。
若林のピアノは言った。
いつの時代も、優しい歌は歌える。
19世紀末から20世紀入り口に生きた人々の歌は、間違いなく今日も私たちの歌だ。
若林のピアノはそう言った。
その歌の「もと」は、人間存在そのものの「もと」から響くから、今も届く。
それは、民衆の勝利の歌でなく、ひとりぼっちの「私」の歌。
音楽は確かに人を「みんな」へと向かわせるが、「たった独り」へも静かに降りてゆく。だが「みんな」の地平は「たった独り」であることを深く強く知ることからしか生まれまい。
そういう人間の眼差しそのものを私は「浪漫」と呼びたい。
そして若林が音楽から汲み出した「浪漫」はそれだった、と。

小林と吉田の二文は、敗戦で打ち砕かれた心身からの復活の最初の一歩だったろう。
彼らは、その時モーツァルトに、シューマンに出逢った。
生きることと音楽は、そのように出逢うのだ、昔も今もこれからも。
音楽に向かう若林の深部の温熱が、じんわり滲みて、私を溶かした。
響きが生まれでるぎりぎりの、楽器と人の命のかすかな交感、楽譜の向こうのラフマニノフ、シューマン、ラヴェル、ショパンの命との確かな交感、そういう歌であり、響きであったと私は思う。

アンコール5曲のうち、アナトーリ・リャードフ『オルゴール』は、高音域だけで弾かれ、まるで音の不思議の国で遊ぶようだった。光の子供たちがきらきら辺り一面を舞うようだった。休日の午後、親子連れの多い客席、さしたる興味もなく連れてこられたであろう子供たちは、これを聴いたら、ピアノってなんて素敵!僕も私もこれ弾いてみたい!と身を乗り出し、胸躍らせたのではないか。
若林はピアノという楽器の持つあらゆる美と魅力を、惜しげもなくこの日、振りまいてくれた。
その優しい歌とともに。

(2020/12/15)

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若林顕 ピアノ・リサイタル2020
2020年11月23日@東京芸術劇場

<曲目>
ラフマニノフ:楽興の時 Op.16~第1番変ロ短調、第2番変ホ短調、第3番ロ短調、第4番ホ短調
シューマン:幻想曲ハ長調Op.17
ラヴェル:水の戯れ
ショパン:24のプレリュードOp.28(全曲)

アンコール
ピョートル・チャイコフスキー : ノクターン
モーリス・ラヴェル : ソナチネより第2楽章
アナトーリ・リャードフ : オルゴール
アブラハム・チェイシンズ : 香港のラッシュアワー
ヘンリー・マンシーニ〜服部隆之編 : ムーンリバー