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Books|『〈無調〉の誕生』 |佐野旭司

〈無調〉の誕生―ドミナントなき時代の音楽のゆくえ 

柿沼敏江 著
音楽之友社
2020年2月
ISBN 978-4-276-13205-4 

Text by 佐野旭司(Akitsugu Sano) 

 

シェーンベルクらによる第2次ウィーン楽派や、第2次世界大戦後の西欧の音楽らに代表される前衛音楽、そして今日作られている作品。それらの多くには「無調」という言葉が当然のごとく当てはめられてきた。この言葉は、20世紀から今世紀に至る音楽を語るうえで欠かせない概念となっている。しかし「無調」とは何なのか、その定義は明確に規定されていない。にもかかわらず常識的な概念として定着して久しい。
柿沼氏はこの問題に真正面から向き合い、「無調」に対し疑義を呈している。本書の内容は20世紀から今日に至る、「無調」という概念の歴史と音楽作品の様式の考察を合わせたもので、多面的な視点から論じられているといえよう。

本書の目的は、20~21世紀の音楽史を「無調」という概念に焦点を当てて再検討するものである。10章からなるこの著書では、まず無調という語がどのように扱われてきたかという問題に関する歴史的な検討に始まる。そしてシェーンベルクをはじめとする多くの人々による「無調」にまつわる言説の検証、無調を巡る政治性、20世紀以降の調性音楽の在り方、20世紀の多様な作曲技法、そして調性の曖昧化に伴う音楽的時間の在り方の変化など、非常に幅広い問題に言及している。そしてその上で、「無調」という出所不明の(どこからともなく生まれた)言葉が、音楽界を2つの陣営に分けていることから、「20世紀以降の西洋音楽の歴史は「無調」に翻弄された歴史であった」と著者は指摘する。調性が崩壊して無調に至ったという従来の音楽史観は、もはや意味をなさないという。
この主張に至る論証過程では、当然ながら「無調」にまつわる言説および作品の様式に対する考察が中心となる。特に後者においては、12音技法をはじめオクタトニックや微分音、純正律を用いた手法など、20世紀以降の多様な手法に言及している。中でも12音技法について論じる際は、シェーンベルクやウェーベルンのみならず、マティアス・ハウアーやサミュエル・バーバー、エルンスト・クルシェネク、ハンス・アイスラーなど幅広く取り上げている。この技法は必ずしも調性を崩すとは限らず、無調を組織化する技法ではないというのが著者の見解だが、特にシェーンベルクに関する見方は興味深い。彼にとって12音技法は無調の組織化というよりむしろ新しい調性を作り出すための手法であり、そもそも彼の考えていた調性とは伝統的な調性とは異なるレベルで、音と音の関係性をすべて包み込む非常に広い概念だったのだという。無調音楽のいわば創始者として広く知られるシェーンベルクに対しこのような解釈を与えることで、「調性」と「無調」という二項対立的な音楽の見方がもはや成り立たない、という主張を際立たせているのだろう。

筆者は19世紀から20世紀への転換期におけるウィーンの音楽を研究しており、いわゆる後期ロマン派から近代への時代様式の変化がどのように起こったかという問題を、様々な側面から考察している。もちろんその中にはシェーンベルクの音楽も含まれ、彼の作品を扱う際には無調の問題にも言及してきた。世紀転換期(正確には1900年代(ゼロ年代)の10年間)には、シェーンベルクが従来の長/短音階および機能和声に基づく音楽とは異なる、新しい音楽のあり方を目指していたことは確かであろう。しかしその変化を「調性が崩壊し無調へ」と安易に規定することの危うさに、本書を通して改めて気づかされる。もちろん筆者自身も、「無調」という言葉は定義が曖昧であることは以前から理解しており、学術的な場でこの語を用いることの是非についても考えたことはあった。しかしそうでありながら「無調」という概念から脱却できていないことを反省させられると同時に、本書を通して、この概念の持つ根深さについても改めて考えさせられる。

(2021/2/15)