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緊急特別企画|びわ湖ホールプロデュースオペラ「ニーベルングの指環」第3日《神々の黄昏》|能登原由美

びわ湖ホールプロデュースオペラ「ニーベルングの指環」第3日《神々の黄昏》
Biwako Hall Produce Opera Wagner Der Ring des Nibelungen “Götterdämmerung“

2020年3月7日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
2020/3/7 BIWAKO HALL, CENTER FOR THE PERFORMING ARTS, SHIGA

2020年3月8日 You Tubeでの無料ライブ・ストリーミング視聴
2020/3/8 Live Streaming on You Tube

Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:びわ湖ホール

全3幕 ドイツ語上演 日本語字幕付
作曲・台本/リヒャルト・ワーグナー

指揮/沼尻竜典
演出/ミヒャエル・ハンペ
美術・衣裳/ヘニング・フォン・ギールケ
照明/齋藤茂男
音響/小野隆浩(びわ湖ホール)
演出補/伊香修吾
舞台監督/幸泉浩司

〈キャスト〉
《3月7日》
  ジークフリート/クリスティアン・フランツ
  ブリュンヒルデ/ステファニー・ミュター
  アルベリヒ/志村文彦
  グンター/石野繁生
  ハーゲン/妻屋秀和
  グートルーネ/安藤赴美子
  ワルトラウテ/谷口睦美
  ヴォークリンデ/吉川日奈子
  ヴェルグンデ/杉山由紀
  フロスヒルデ/小林紗季子
  第一のノルン/竹本節子
  第二のノルン/金子美香
  第三のノルン/高橋絵理

《3月8日》
  ジークフリート/エリン・ケイヴス
  ブリュンヒルデ/池田香織
  アルベリヒ/大山大輔
  グンター/髙田智宏
  ハーゲン/斉木健詞
  グートルーネ/森谷真理
  ワルトラウテ/中島郁子
  ヴォークリンデ/砂川涼子
  ヴェルグンデ/向野由美子
  フロスヒルデ/松浦麗
  第一のノルン/八木寿子
  第二のノルン/齊藤純子
  第三のノルン/田崎尚美

管弦楽/京都市交響楽団(コンサートマスター/ハルトムート・シル)
合唱/びわホール声楽アンサンブル
   新国立劇場合唱団

 

びわ湖ホールが開催してきた通称「びわ湖リング」。序夜に続いて3日間、計4日にわたって上演されるワーグナーのオペラ《ニーベルングの指環》全編を、一つのホールが単独で制作、上演する例は、国内はもちろん、海外でもそう多くはないだろう。2017年より毎年3月に1作ずつ上演し、4年目の今年は最終章〈神々の黄昏〉によって完結する予定であった。ドイツの巨匠、ミヒャエル・ハンぺが、最新の映像技術を駆使して演出することでも話題を集めたが、何よりも高水準の歌唱と演技が評判を呼び、年を追うごとに人気も増大。チケットが売り切れるスピードも少しずつ早くなり、最後の年となる今年は、2日公演の両日ともすぐに完売となった。誰もが待ち望み、今年最大行事の一つと位置付けていたはずだ。

けれども、コロナウィルスの感染拡大とともに多くの公演がキャンセル。2月28日、ついにびわ湖ホールも上演中止を発表した。筆者の落胆も非常に大きかったが、その数日後にはメディア関係者向けに最初の連絡が入った。つまり、無観客での開催とDVD化の告知だ。さらに3月4日には、それに加えて両日共に無料ライブストリーミングを行うことが正式に発表された。オペラの無料ライブストリーミングなど、日本はもちろん、海外でもあまり見られないのではないか。メディア関係者はホール内での取材可との連絡もあり、筆者はすぐに初日の取材を申請した。もちろん、当初から最も期待していた公演の一つではあったが、無観客での上演に無料ライブストリーミングと、日本のオペラ史に残る出来事になるのは間違いないのだから。

そして迎えた公演初日。関係者入り口から入るとまずは手の消毒。もちろん、マスクも必須だ。ホール関係者も取材する側も、どの表情にもいつもとは違う緊張感が漂う。客席3階に案内されるが、ここでは他者と距離を保つこと、つまり、前後左右に誰もいない状態で着席するようにとの指示がある。1、2階席はホール内もロビーも、撮影関係者の姿がチラホラ見える程度でガランとしたままだ。3階の最後尾に席を取る。

開演直前、主催者から取材関係者に向け、挨拶とともに感染予防対策のお願い、「無観客公演」を映像収録しライブストリーミングを行なうことから拍手やブラボーなどを控えてほしいとの要請。その瞬間、パソコンやスマホ画面を前に「ライブストリーミング」の始まりを待ち構える多くの顔が頭に浮かんだ。空の客席という目の前の光景と、頭の中に浮かべる光景との違いに少し戸惑った。開演とともに、指揮者の沼尻竜典がオケピットの指揮台に立ち、客席に向かってお辞儀をするが、もちろん反応はなく、異様な静けさに包まれる。

翌日は自宅でライブストリーミングを視聴した。パソコンを居間のテレビに繋ぎ、テレビ画面とその内蔵スピーカーを通しての視聴。画面の大きさは32インチで、それほど大きいわけではない。とはいえ、映像については昨日に比べ、細部を含めてより鮮明に見えた。特に、照明や映像によって繰り出される微妙な色合いは、画面で見た方がはっきりとわかる。もちろん、会場の場合は席の位置にもよるのであろうが。音声については…書くまでもないだろう。

その音声以上に前日からの落差を感じたのは、第1幕が終わり最初の休憩に入った時だ。2時間あまりどっぷりと浸かっていた世界が、ふと目に飛び込んだキッチンや食器棚の光景とともに一挙に瓦解したのである。今しがた抱えていた余韻はもうどこにもない。体も頭も一気に日常へ引き戻される。以後は、体の中に入り込んだ日常を引きずりながらの鑑賞となった。ジークフリートの葬送の場面に涙するも、通りを歩く人々の会話や遊び声に現実が甦る。体の半分が画面の中に、残りの半分は、日常の中。

こうして、2日に及んだ《神々の黄昏》の無観客公演が終わった。内容について言えば、ブリュンヒルデを演じた2人の歌手が、相反すると言ってもいいようなヒロイン像を作り上げ、それが周囲の役者や管弦楽にも影響を与える形でそれぞれのオペラが構築されていたように思う。初日はステファニー・ミュター。彼女の演じるブリュンヒルデは、静かな水面にゆったりと漂う一枚の蓮の葉のよう。クリスティアン・フランツが抜群の歌唱力でジークフリートの無垢な愚かさを巧みに表現するが、ミュター=ブリュンヒルデはそれに翻弄されながらもどこか達観しているようにも見えた。彼亡き後は徐々に聖性を帯びつつ大輪の花となり、やがて赦しの世界へと到達するが、彼女の演技には、当初からその結末が予示されていたとも言えよう。

それに対し、2日目の池田香織の演じるブリュンヒルデは、女戦士ワルキューレの頃の面影そのままに、冒頭から喜怒哀楽の炎を激しく燃えたぎらせる。その火は周囲にも絶えず飛び火し、ゆえにこの日のキャストは誰もが相当な熱を帯びた激烈な歌唱を繰り広げた。管弦楽も、緩慢さが気になった初日とは打って変わり、池田=ブリュンヒルデにつられるようにメリハリを効かせたダイナミックな音楽を形成する。奏者たちのいずれもが放つエネルギーは、画面から飛び出さんばかりだ。それにしても、池田は2年目の《ワルキューレ》からブリュンヒルデとして登場するが、年を追うごとに声にも表情にもパワーが加わり、最終回にしてこの圧倒的な存在感。「びわ湖リング」成功の一役を彼女が担ったことは間違いないだろう。

さて、どちらも引けを取らない内容であったが、もし双方とも同じ条件で聴いたなら、やはり2日目の圧倒的な熱量に深く心が焼かれたであろう。それがホールであったなら、その場から当分動けなかったに違いない。

けれども実際には、初日のような体全体で感じた放心状態や感動は、2日目にはほとんど得られなかった。もちろん、テレビのスピーカーという薄っぺらな音質の問題もあるだろう。が、それをどんなに優れたものにしたからといって、さほど変わらなかったに違いない。問題は、受け手である私自身の「構え」にあったのだから。つまり、オペラは日常や生活の場とは異なる世界を形成するところに醍醐味があり、受け手はその非日常の空間に引きずり込まれるところに喜びを見いだすのではないか。そのためには、日常を完全に切り離す「構え」が受け手の側にも求められるはずだ。2日間の異なる視聴体験を通して、そのことをはっきりと感じ取れたことも大きな収穫であった。

コロナによる劇場封鎖により、オペラの無料動画配信もすっかりおなじみとなった。音楽動画配信については、筆者は別稿でも書いたように、むしろ肯定的に捉えている。けれども、日常に入り込むことは「馴れ合い」へと堕していくことでもある。ネットによる音楽配信には、その危険性が大いにあるように思う。

(2020/4/15)

Opera in 3 Acts in German with Japanese supertitles
Music & Libretto:Richard WAGNER

Conductor:Ryusuke NUMAJIRI
Stage Director:Michael HAMPE
Stage & Costume Designer:Henning von GIRKE
Lighting Designer:Shigeo SAITO
Sound Designer:Takahiro ONO (Biwako Hall)
Associate Stage Director:Shugo IKOH
Stage Manager:Hiroshi KOIZUMI

〈cast〉

–March 7–
    Siegfried:Christian FRANZ
    Brünnhilde:Sétphanie MÜTHER
    Alberich:Fumihiko SHIMURA
    Gunther:Shigeo ISHINO
    Hagen:Hidekazu TUMAYA
    Gutrune:Fumiko ANDO
    Waltraude:Mutsumi TANIGUCHI
    Woglinde:Ina YOSHIKAWA
    Wellgunde:Yuki SUGIYAMA
    Floßhilde:Sakiko KOBAYASHI
    Erste Norn:Setsuko TAKEMOTO
    Zweite Norn:Mika KANEKO
    Dritte Norn:Eri TAKAHASHI

–March 8–
    Siegfried:Erin CAVES
    Brünnhilde:Kaori IKEDA
    Alberich:Daisuke OHYAMA
    Gunther:Tomohiro TAKADA
    Hagen:Kenji SAIKI
    Gutrune:Mari MORIYA
    Waltraude:Ikuko NAKAJIMA
    Woglinde:Ryoko SUNAKAWA
    Wellgunde:Yumiko KONO
    Floßhilde:Rei MATSUURA
    Erste Norn:Hisako YAGI
    Zweite Norn:Junko SAITO
    Dritte Norn:Naomi TASAKI

Orchestra:Kyoto Symphony Orchestra (Concertmaster Hartmut SCHILL)
Chorus:BIWAKO HALL Vocal Ensemble
New National Theatre Chorus