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音楽にかまけている|コロナのなかのマイアベーア、そしてドイツの文化的底力|長木誠司

コロナのなかのマイアベーア、そしてドイツの文化的底力
Mayerbeer beim Coronavirus und Kulturpotenzial von Deutschland

Text by 長木誠司 (Seiji Choki)

新型コロナウィルスの蔓延を受けて、スイスでは2月28日以降、1000人以上集まる集会の開催が禁じられた。同じような措置はドイツ語圏でも続いて執られ、3月10日にウィーン国立歌劇場は3月いっぱいの公演を中止することを宣言した。そしてドイツ国内でも、3月11日から4月19日まで、歌劇場や演奏会場が閉鎖されることになった。ただし、連邦制をとるドイツ国内での対応は、州や街によってもいくぶん異なっているようだ。ベルリン市では評議会によって500人以上の集会が禁じられ、そのため3つの歌劇場は否応なく閉鎖、同日中にシャルロッテンブルクのドイッチェ・オーパーと東のコーミッシェ・オーパーではそれがウェブサイト上に告知され、ウンター・デン・リンデンの州立歌劇場も翌日に告知が出た。フィルハーモニーホールも翌日ではあるが、告知を出して同様の閉鎖となった。もうひとつの主要な演奏会場であるコンツェルトハウスは、まず個々の演目が自主的に公演を中止したが、その後大ホールでの公演はすべて、やはり中止となった。小ホールでの催しがどうなるかは個別に決まっていくようだ。
自粛を求めるという、ある意味姑息な手段を用いて公演を中止に追い込んでいる日本とは異なり、はっきりと条件付けで禁止にしているヨーロッパの場合、その条件をクリアできれば自己判断で公演が継続できている。この辺り、責任を取らない日本政府と、責任の所在がはっきりしているヨーロッパとでは、だいぶ様子が異なっている。

ジュネーヴの《ユグノー教徒》
(c) Magali Dougados

例えば、スイスの場合、どうしても1000人以上集まりそうな、クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナの来訪公演は中止になったが、バーゼルやジュネーヴなどの歌劇場は、1000人を越えない入場者数に収めて、なんとか公演を続けている。例えば、ミンコフスキ指揮によるマイアベーアの《ユグノー教徒》の公演がはじまったばかりだったジュネーヴ大劇場では、ウェブ上での告知で公演を続ける旨を伝え、その代わり、熱のあるひと、中国、韓国、シンガポールなどに2週間以内に行ったことのあるひと、罹患者と接触した可能性のあるひと等は来場しないようにと呼びかけ、またそれ以外でもキャンセルしたいひとは手数料なしでチケット代を返却すると訴えて、劇場入り口で来場者全員の健康状態を確認しながらなかに入れ、毎回1000人を切る観客数で公演を続けた。実際には客席は半分に満たず、拍手も声援もまばらで寂しかったが、高水準の舞台を観ることができた。ヴィーラー/モラビトの演出によるこの公演は、今シーズンいちばんの売り物であったので、そうやすやすと中止にはできない。
ドイツも、ベルリン以外ではミュンヒェンのバイエルン州立歌劇場などは即座にすべての演目の中止をアナウンスしたが、フランクフルト市立歌劇場は、疫学上の可能な限りの方策を立てた上で公演を続けると宣言した。またシュトゥットガルト州立歌劇場は、スイスと同じく1000人を切る集客で公演を続ける旨を公表している。
4月19日まで閉鎖ということは、ちょうど復活祭が終わるまでということであり、復活祭で華麗な音楽祭を催しているベルリンをはじめとする多くの都市では、音楽のない生活が続くことになる。復活祭前の禁欲期間(四旬節)が復活祭全体を飲み込んでしまう感触だ。それに、その後のことも楽観視できない状況である。ドイツのメルケル首相は専門家の判断を拠り所にして(日本とは違う)、国民の7割は罹患するのではないかと言っているのだから。
日本では現政権の、先手先手と言いつつも、無策ですべて後手に回っているコロナ対策では、首相自身がアーティストや音楽家などの一般的な職業形態である「フリーランス」ということばすら知らないというお粗末さで、何もこれといった手を打っていないし、経済的な支援も薄いというか、ほとんど無意味に近いものしか出していないが(やる気のなさが見え見えな、単なる「やってる感」)、ドイツでは11日に歌劇場や演奏会場が閉鎖されると間髪を入れずに文化相モニカ・グリュッタースが、催しが次々と中止になる状況を見据えながら、文化的な企画と芸術家を援助するという声明を出した。以下、彼女の声明から。

「こうした状況が文化的・創造的営為にとって大きな障碍となること、そして、ことに小規模な経営者やフリーランスのアーティストたちをこの上なく圧迫するであろうことも、われわれは強く意識している。
 われわれの認識では、文化は喜ばしい時期の贅沢品ではないということだ。それを諦めざるを得ないというまさに今こそ、いかにそれがわれわれに不足しているかを知るのである。こうした状況で、しかし催しを中止することをあえて推奨するというのは、われわれが異常な緊急時にいるからにほかならない。
 自らの生活状況を見やり、文化や創作や、それらを伝えるメディア部門の制作に関する条件を考慮すると、アーティストや文化的施設に携わるひとびとはここで孤独を感じてしまうかも知れない。しかしながら、私は彼ら/彼女らをけっして見捨てはしない! われわれは彼ら/彼女らの不安に目を配り、もしも支援措置が必要となり、流動的な助成が求められるようであれば、文化的興行や事業、そして創造者たちの持つ特殊な要件を考慮することに身を投じる所存である。
 われわれは、受ける理由のない辛苦や苦境に対抗せねばならないし、それを取り除かねばならない。それはわれわれにとって、経済上ばかりではなく、公演が中止されることを通して重荷を課せられた文化的景観を回復させる上でも、価値あることに違いないのだ」

何と力強い、そして深く感銘を受ける認識とことばだろうか。どこぞの国の首相や文科相とは月とすっぽん、意識と使命感、そして知性の高さでは比べものにならない。格の差が歴然としている。こういう緊急時であればこそ、文化の、そして教養の底力が見える。

ベルリンの《預言者》
(c) Bettina Stöß

ジュネーヴ大劇場での《ユグノー教徒》に続き、ベルリンのドイッチェ・オーパーでもちょうどマイアベーアのオペラのツィクルス上演があった。《預言者》《ディノラー》《ユグノー教徒》を上演した直後に劇場は閉鎖された。近年のマイアベーア・ルネッサンスのなかでも、《ユグノー教徒》に比べて、大作《預言者》はさほど多く上演されてはいない。恋人や母を捨てて張りぼての預言者に祀り上げられ、宗教戦争と権力抗争に巻きこまれる主人公の物語である。実のない権力はひとびとを不幸にするばかりだ。しかし、民衆はなぜか騙され続ける。いつの世も同じ、そしてそれは常に個人と社会の取り返しのつかない悲劇に終わる。

補足:その後、フランクフルト市立歌劇場もシュトゥットガルト州立歌劇場も、それぞれ4月10日、4月19日までの公演をすべてキャンセルすることになった。

(2020/3/15)

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長木誠司(Seiji Choki)
1958年福岡県出身。東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論)。音楽学者・音楽評論家。オペラおよび現代の日本と西洋の音楽を多方面より研究。東京大学文学部、東京藝術大学大学院博士課程修了。著書に『前衛音楽の漂流者たち もうひとつの音楽的近代』、『戦後の音楽 芸術音楽のポリティクスとポエティクス』(作品社)、『オペラの20世紀 夢のまた夢へ』(平凡社)。共著に『日本戦後音楽史 上・下』(平凡社)など。