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音楽にかまけている|アントワープの《ヘントの鍛冶屋》 |長木誠司

アントワープの《ヘントの鍛冶屋》
Der Schmied von Gent in Antwerpen

Text by 長木誠司 (Seiji Choki)

「シュレーカーの父親の職業ならば、彼が書いたことのないオペラの本当のタイトルになるだろう。それは“モンテカルロの写真屋”というものだ」

テーオドル・W.アドルノは、かつてシュレーカーのオペラ創作を皮肉って、このように書いた。確かにシュレーカーの父親はモンテカルロの宮廷写真家であった。また、この言は直接的にはシュレーカーのオペラ《ヘントの鍛冶屋》をもじったものでもある。

《ヘントの鍛冶屋》は1932年にベルリンの市立歌劇場で初演された、シュレーカー最後の完成されたオペラであり、このあとユダヤ人であった作曲者はナチ政権のもとで作品上演が禁止され、そのショックで34年に急逝してしまう。「大魔法オペラ」という副題を持つ《ヘントの鍛冶屋》が、ヨーロッパでも有数の正統ユダヤ人街を擁するベルギーのアントワープで上演されたことは、それなりに感慨深いものがある(もっとも、客席にはそうした正統ユダヤ人の姿は見えなかったが)。マンハイム国民劇場との共同制作として2月2日にフランドル歌劇場で初日を迎えた公演は、作品自体が珍しいことでも話題となったが、ドイツの新鋭演出家エルザン・モンタークによる初のオペラ演出としても注目すべきものであった。

© Opera Ballet Vlaanderen/Annemie Augustijns
《ヘントの鍛冶屋》第1幕より

馴染みがないだろうから、簡単にあらすじを紹介しておこう。フランドルがスペインの支配と戦っていた16世紀、フランドルのヘントの鍛冶屋スメーはフランドルの貴族たちを応援してスペインに抵抗していた。そんなさなか、ライヴァルともめて川に突き落とし、自分も死のうとしたスメーを、悪魔アスタルテがそそのかす。7年間の幸せを与えるが、そのあとは魂をもらうというもの。それを受け容れたスメーは7年間順調に大儲けをし、同時に得た富を貧しいひとびとと惜しげなく分かち合った。あるとき、赤子を抱いた貧しい夫婦が現れて物乞いしたので、ロバを無償で与えたスメーは、それが聖ヨーゼフと聖母マリアであることを知り、その功徳の返礼として3つの願いを叶えられることになった。スメーは奇妙な願いを乞う。家のシュロの木に登ったものは、彼の許しなくては降りてこられないこと、家の安楽椅子に座ったものは、彼の許しなくては立ち上がれなくなること、家の大きな粗布袋に入った者は、彼の許しなくては出られないこと。この3つの願いを約束されたスメーは、やがて現れたアスタルテとふたりの悪魔を、まんまと動けなくしてやっつけてしまう。スメーの大勝利である(ここまでが第2幕)。

© Opera Ballet Vlaanderen/Annemie Augustijns
《ヘントの鍛冶屋》第2幕より

第3幕は急に老け込んで亡くなってしまうスメーが、悪魔の仕切る地獄では怖がられて入れて貰えず、天国では地獄からの食料を持っているためやはり入れてもらえない。天国の入り口でしばらく厳しい門番とすったもんだしたあげく、弟子や愛する妻もとうとうそこにやってくる段になる。妻が問題なく入っていった天国の門から、やがて聖ヨーゼフと聖母マリアが現れ、彼らの計らいでスメーはみごと門をくぐれてめでたしめでたしという結末。

いかがだろうか。シュレーカー自身による台本は、伝説風とは言え、実に他愛もなく、むしろふざけてキッチュな物語である。《遙かな響き》から《烙印を押されたひとびと》、《宝探し人》までの実に暗くグロテスクでエロティックで、はかなくも切ない世界を知るひとは、なにごとが起こったのかと戸惑うかも知れない。音楽もシュレーカーの20年代までの表現主義的な毒と印象主義的な色彩を伴ったそれとは異なり、非常にポリフォニックで不協和な部分もあり、同時にジャズ影響下のリズム、あるいはオスティナート風の仕草もちらほらと聞こえてくる。全体は一種のパロディ的にバカバカしい喜劇なのであり、新たな領域にこの作曲家が踏み込んだことはすぐに分かる。しかしながら、その大仰な音楽の性格は残されており、大時代的なフィナーレ部分などを聴くと、それがけっしてナチ時代の旧弊で仰々しい芸術イメージと矛盾しないものであることも了解されるだろう。ユダヤ人でさえなかったら、シュレーカーもR.シュトラウス同様、ナチ時代の名士だったかも知れないとふと考えてしまう場面がいくつもあった(アドルノも、このキッチュさを認識して冒頭のような文章を書いたと思われる)。

© Opera Ballet Vlaanderen/Annemie Augustijns
《ヘントの鍛冶屋》第3幕より

さて、演出はこのキッチュな内容を、コンゴ支配時代のベルギーの姿、ベルギーの闇の歴史と重ねて描いていた。それがこの上演の大きな問題提起であった。さすがはフランク・カストルフやクラウス・パイマンのもとで修行を積んだ演出家モンタークだけのことはある。単に珍しい作品を蘇演するに留まらない。開演前から、会場内にはジャングルのなかのような鳥の声が始終流され、スペインに支配されるフランドルのひとびと、スメー下の職人たちはコンゴに支配される原住民たちとしてイメージされている。また、悪魔たちはすべて原住民たちの神のイメージ。要するに、作品はコンゴを私的に支配して残虐・残酷に搾取し続けたベルギー/コンゴ王レオポルト2世時代のメタファーになっているのである。第1幕、第3幕では、音楽を止めて抵抗するひとびとのことばやコンゴに自由を与えるという有名なレオポルト2世の欺瞞に満ちた演説が入り、映像も当時のものが多用されていた。こうした歴史の眼を与えることによって、この作品が単なるキッチュに終わることを防ごうとするアイディアは、成功しているか否かを別として重要なことだろう。珍しいからといって、まずは正統な方法で上演するということは端から考えられていない。オペラはいつなんどきでもアクチュアルな劇場芸術であるべきだ。それが近年果敢なことで知られるこのフランドル歌劇場の方針なのだろう。

第3幕で急に老け込んだスメーは、レオポルト2世そっくりの長い髭を生やしている。その彼が地獄と天国の入り口の前で右往左往する姿は、声望を地に落とした王の晩年を彷彿とさせる。門番はいかにも虐げられてきた黒人の老人のイメージもあるし。

© Opera Ballet Vlaanderen/Annemie Augustijns
《ヘントの鍛冶屋》回転装置の1場面

カラフルな衣装が一面を覆い、またスメーの仕事場と巨大な悪魔の口が開く装置などを回転させる舞台上で、スメー役のレイ・メルローズが、軽業師的な身のこなしもよく、一癖ある役柄をうまく演じ歌い通していた。その妻役のカイ・リューテルをはじめ、弟子のフリプケ役を髭の生えたスカート姿で演じたダニエル・アルナドス、そしてアスタルテ役の赤鬼のような姿で演じたヴヴ・ムポフたちも、みな歌唱巧みな熱演であり、それを芸術監督であるアレホ・ペレス指揮する歌劇場オーケストラがカラフルに支えていた。オーケストラはかなりの腕前で、シュレーカー独特の仰々しい大音響も、この作品特有のやや薄手で楽器同士が音色的にぶつかり合う場面も明るめの響きでみごとにクリアに聴かせていた。装飾過多の豪華な内装を持つ美しくも歴史ある歌劇場の空間のなかで鳴るのは、けっして古色蒼然とした響きではなかったのが羨ましい。

(2020/2/15)

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長木誠司(Seiji Choki)
1958年福岡県出身。東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論)。音楽学者・音楽評論家。オペラおよび現代の日本と西洋の音楽を多方面より研究。東京大学文学部、東京藝術大学大学院博士課程修了。著書に『前衛音楽の漂流者たち もうひとつの音楽的近代』、『戦後の音楽 芸術音楽のポリティクスとポエティクス』(作品社)、『オペラの20世紀 夢のまた夢へ』(平凡社)。共著に『日本戦後音楽史 上・下』(平凡社)など。