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アルディッティ弦楽四重奏団X小㞍健太|齋藤俊夫

アルディッティ弦楽四重奏団X小㞍健太
Arditti Quartet x Kenta Kojiri

2019年11月30日 神奈川県立音楽堂
2019/11/30 Kanagawa Prefectural Music Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 青柳聡/写真提供:神奈川県立音楽堂

<出演・スタッフ>        →foreign language
アルディッティ弦楽四重奏団
 第1ヴァイオリン:アーヴィン・アルディッティ
 第2ヴァイオリン:アショット・サルキシャン
 ヴィオラ:ラルフ・エーラース
 チェロ:ルーカス・フェルス

振付構成/ダンス:小㞍健太(*)

舞台監督:尾崎聡
照明:伊藤雅一(株式会社RYU)
プログラマー:堂園翔矢

<曲目>
西村朗:『弦楽四重奏曲第6番〈朱雀〉』
細川俊夫:『パッサージュ(通り路)』~弦楽四重奏のための

ヴォルフガング・リーム:『Geste zu Vedova~ヴェドヴァを讃えて』(*)
ヴォルフガング・リーム:『弦楽四重奏曲第3番〈胸裡〉』(*)

 

アルディッティSQ、西村朗、細川俊夫、と現代音楽界で確固たる地位を占めつつ最前線を切り拓いている音楽家たちが集い、そこに世界的に活躍中のダンサー・小㞍健太がW.リームの曲でアルディッティSQとコラボレーションするという企画、これに期待するなと言う方が無理であろう。

前半、西村、細川という対照的な作家の作品を並べて聴き、この2人とアルディッティSQに改めて敬意を抱いた。

西村『弦楽四重奏曲第6番〈朱雀〉』は、グリッサンドをずらして重ねるヘテロフォニー、奏者が4人ではなくもっと多人数のミクロポリフォニーにすら聴こえる謎の多声部書法、異常に複雑な拍節構造などを用いた、西村ならではの肉体的な熱い音楽であった。

細川『パッサージュ』は、枯れ錆びた弱音からさらに無音に至ることしばしば、だが時折聴いているこちらの皮も肉をも削ぐような強音が斬りつけてくる。内省的かつ強迫的ですらある厳しい精神性を感じさせる音楽。

しかし、音楽作品全体としては対照的である両作品の一瞬一瞬の音と技法を切り取って比較すると、フォルテシモでの太い音の線、弱音からディミヌエンドして消えゆく終曲部分、軋むような音を発する特殊奏法など、類似した多数の音素材が共通して用いられていることに気づいた。類似した音素材であっても、西村作品の中ではそれは燃え上がる炎となり、細川作品の中では氷の刃の一閃と化す。音楽とは音を構造化=コンポジションしたものであり、同じ音素材でも、異なる構造体の中では全く異なる表現になるというごくごく一般的な音楽的事実を再認識したのである。
アーヴィン・アルディッティとルーカス・フェルスのソロ部分も強い印象を残したが、アルディッティSQの団体としての本領は、音楽作品という構造体の全体像を捉えた上で、微視的な音1つ1つを選び、組み上げる構築力なのだろう。この構築力があればこそ、西村と細川の音楽が見事に対照をなして光ったのである。

後半、小㞍健太のダンスとアルディッティSQによるリーム作品のコラボレーション、これもまた一言で表現することを拒むほどの感銘を受けた。

『Geste zu Vedova』は、音の線が横に流れていく部分と、音が縦に刻まれ激しく叩きつけられる部分が組み合わされて構成され、全体としては非常に荒々しい音楽。小㞍のダンスは素早い動作で踊る箇所もあったが、筆者の目に焼き付いたのは、音楽とは反対にほとんど止まっているかのようでありながら、じわりじわりと体の形を変化させていく部分であった。音楽が運動体であるのに対してダンサーが静止したオブジェのように感じつつも、そのオブジェが〈生きている人間〉であるという逆説に逆説が重ねられていた。

恐怖、苦悩から、束の間の静寂を経てカタストロフに至り、荒れ地だけが遺るといった物語的構造を持った『弦楽四重奏曲第3番《胸裡》』でも、ぐねりぐねりと曲線的に蠢くダンスが音楽の動きと一致した箇所もあったが、筆者の目が釘付けになったのはむしろ音楽の物語・感情をダンサーが遠くから客観視しているような静的な部分、そして第5楽章の音楽的カタストロフの中で、小㞍が目をつぶり、口を大きく開けた苦悶か怒りの表情で身をゆっくりゆっくりと捻じり、うつ伏せに身を横たえる場面であった。ここで筆者は音楽を聴いている自分の姿を舞台上に見ているような感覚に陥った。観ている自分が、反対に観られているような怖さを味わったのである。
荒れ地の音楽のような最終楽章では、小㞍が自分が載っている敷物をめくってそれで全身をくるみ、弦楽四重奏団が駒の辺りを弾く特殊奏法で呻き声のような音を発し、溶暗。

両作品とも、音楽が動、ダンサーが静の時、音楽の外側に小㞍が抜け出て、舞台上で音楽を観察し、観客・聴衆である筆者が客席からその両者を観ている・聴いているという、入れ子構造のような複雑な関係が生じていたのである。さらに、舞台も客席も含めた会場全体の入れ子構造の外側に〈何か〉がいて自分たちを観ているのかもしれない――『胸裡』第5楽章で筆者が感じた怖さはここに由来すると言えよう。

音楽を視覚に変換するのでも、音楽の表現する感情や物語をダンスで表現するのでもない、実に複雑な関係――その中には観客・聴衆である自分も巻き込まれている――を創り出す音楽とダンスのコラボレーション、これは初めて体験する出会いであった。

最後に、今回、ダンサーの影を壁に大きく映し出すなど、照明が大変効果的に用いられていたことも記しておきたい。

(2019/12/15)

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<players&staff>
Arditti Quartet
 1st Violin: Irvine ARDITTI
 2nd Violin: Ashot SARKISSJAN
 Viola: Ralf EHLERS
 Violoncello: Lucas FELS

Choreography/Dance: Kenta KOJIRI (*)

Stage director: So Ozaki
Lighting: Masakazu Ito
Programmer: Shoya Dozono

<pieces>
Akira NISHIMURA: String Quartet No.6 “Suzaku-The Vermilion Bird”
Toshio HOSOKAWA: Passage for String Quartet

Wolfgang RIHM: Geste zu Vedova (*)
Wolfgang RIHM: String Quartet No.3 “Im innersten” (*)