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10月につける3つ目の日記|言水ヘリオ

10月につける3つ目の日記

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

「鑑賞」という語を辞書で調べた。展示を見る自分の行為は「鑑賞」なのだろうか。そこからは逃れたいと思っている。

2020年10月1日(木)くもり
浦和へは3月に来て以来。まず、あらかじめ調べてあった、いかにも町の食堂といった感じの店に入る。店内には他に客が一人。タレントの誰々が何々したみたいなテレビ番組を横目にカツカレーを食う。空いたテーブルで店の人が遅い昼食をとっている。
そこから歩いて数分、展覧会の会場である「楽風」(らふ)に着く。ここは、1階が日本茶の喫茶店、2階がギャラリーとなっている、築100年以上の古い建物。「石塚雅子 小島敏男 二人展」の会場へ。靴を脱いで入る。石塚雅子の油彩画と、小島敏男の木彫および素描が展示されている。梁に何度か頭をぶつけ、やがて床に腰をおろして作品を見る。石塚の絵は、光の柱か滝のようなほとばしりが中央に、そして渦やうねりのような形状が描かれている。あるいは、うねりのなかに発光する玉。表面の色の奥にはまた別の色が隠れているようである。躍動する光を強く感じ、しばらくのあいだ直視できない。床に設置されている小島の木の彫刻は、小枝の金木犀の葉の表面だろうか。何かを希求しているように、植物ではない生き物の雰囲気をまとって立っている。これらの彫刻を制作したアトリエのことを作者から聞いて、つくられた場所から運ばれて、展示する場所で見られる、ということについて考える。低い視線で作品との関係を持てるのはこのギャラリーの特質。しばらく作品の中で時を過ごしてから、1階の喫茶店でケーキを食べお茶を飲む。ガラス張りの扉の外には庭が広がっている。辺りが暗くなってきた。

10月2日(金)はれ
仕事を終えて急いで新江古田へ。nohakoにて「井川淳子|Junko IKAWA —いつか—」。会場は、むき出しのコンクリートと1階から2階へ吹き抜ける高い天井が特徴である。展示されているのは、ボッティチェッリが描いたダンテ『神曲』天国篇の画集のページを撮影した白黒の「いつか私は(天国篇)」という作品。素描の印刷面が向こう側からの外光で光って、白黒が反転したようである。2階には「その重荷を背負え」と題された、淡い白黒の写真作品も。作品に囲まれて、天国の光は、音は、空間は、どんなだろうと想像したり、「未来の自分」を思い浮かべたりしていた。『神曲』を読みたくなる。

10月4日(日)くもり

さとう陽子 「ドローイング」
オイルパステル、トレーシングペーパー、パネル
610×730mm

日曜日は何もなければ夕方まで寝ていることが多い。今日は昼過ぎに起きて出かける。六本木のs+artsで「さとう陽子 “愛でる”」。キャンバスに油彩などで描かれた作品と、板や紙にさまざまな手法で描かれたドローイングの作品。ドローイングのあるものは、周囲が額縁のようになっている木製パネルに、鉛筆で木の幹と枝が描かれている。木は緑色をまとっている。全面に夥しいつぶれた楕円、そして黄色の点描。作者からは、パネルの木目を生かして描いたと聞いた。またあるものは、やはり周囲が額縁のようになっている木製パネルに、小さくちぎったトレーシングペーパーが一面に貼られ、白かきわめて淡色の線が描かれている。このドローイングをずっと見ているうち、ふと、白や灰色の小さな円がこれも一面に描かれているのが現れた瞬間があった。この絵は、絵からどんどんはみ出ていきたがっているような感じがする。そしてまた、銀紙にボンドで描かれたドローイング、紙に描いたドローイングを破いて貼り合わせたもの、などなど。手を動かすこととそこから生じるものごとに驚き、心が開かれたような気分。堀尾貞治のことが頭に浮かぶ。
それから地下鉄に乗って三越前に移動。「中根秀夫展『木々と日々』」の会場、galerie Hへ。入って左の壁から時計回りに見る。自身の映像作品の一場面から切り取った写真。かつて行った展示の場面を撮った写真。その展示の際にどこからかまぎれこんできた死んだミツバチが中心にいるオブジェ。年月日時刻の記された花の写真。雪の中の5本の木の写真。いちょうの落ち葉で道路が覆われた写真。福島県双葉郡楢葉町の木戸駅付近で、2013年、2015年、2016年、2018年にそれぞれ撮影した写真。生命の営みの途中で、別の生命と関わりを持ち、共に時間を過ごしたりすれ違ったりする。関わりを持つことなく過ぎていく時間もある。ここに紡がれているものごとをのちに反芻したくて、何度も会場を行き来する。展示のテクストに書かれていた「他者(ひと)の悲しみに寄り添うことの『不可能性』」ということ。かつて中根の展示に見つけて、そのときからそのことばが心に刺さったままである。

10月9日(金)あめ
不動前のPermianで、秋山徹次と加藤裕士のギターによる即興演奏を聞く。加藤、秋山の順番でソロ、そしてデュオの演奏。秋山徹次のソロ演奏が圧巻で、演奏後の休憩時間もしばらくは誰も話をしようとしなかった。

10月10日(土)あめ

相田朋子展「たよせに」から

台風がそれた、という文字をネットで見て、確かめもせずに外出してしまった。新江古田駅で下車し、牛丼屋で食事をしてから、江古田駅を越えてしばらく歩いたところにある、ギャラリー水・土・木で「相田朋子展『たよせに』」。発泡スチロールの台と、羽のような芽のような横長のハートのようなもの。それらが、窓に、台座の上下に、あるいは天井からぶら下がったりしている。案内状に記されていた「選ばなかったものに思いを馳せる時間に寄せて」という言葉を胸に、奥の部屋へと移動する。すると、作品は異なる様相を呈したように感じられた。普段隠れている世界がここに開示されているようであった。作品は、ここにあり、しかし異世界にあり、到達することができない。棚の上には、発泡スチロールでできた小さな作品群が個々に静かに存在している。ギャラリーの方とお茶を飲んで話しながら、ずっとそれらの作品とそこに反射する光を眺めていた。

井川淳子 《いつか私は(天国篇6歌)》

新江古田駅に戻り、通過して、先週に引き続きもう一度nohakoにて「井川淳子|Junko IKAWA —いつか—」。黒い額縁の中の横長の写真を、写っている本のページの下部(地の部分)が横断している。地の上側にある紙面の白黒反転した素描に対して、地の下側は一面の漆黒。見えない光を探すようにその黒を見つめ続ける。そして、2階のスペースに展示されている、覆われている触感を撮ったような淡い写真の前で、自分にはどうしようもない、逃れられないことについて思う。それらは薄い灰色の額縁に収められている。階段を降りる前に、遠くからしか見ることのできない位置に展示されている1点の写真をしばらく眺める。この淵を越えることはできない。1階に降りようと階段の方を向く。するとその向こう側に、梯子なしではたどり着けないような、雲の上のような空間を発見する。そこには作品は展示されていなかったのに目が離せなくなり、降りるのをやめて見入ってしまった。

10月11日(日)あめ
初台の画廊・珈琲Zaroffで「心宮逍遥 Ink in the Well 菅野まり子・浅野信二」。菅野まり子の展示は2階の画廊スペースで行われ、十牛図を主題とした10点の絵が壁に並んでいる。神話に出てくるような登場人物と、意志を持った標本のような植物。物語を読むように見る。1階の喫茶スペースでは、ここにいつもあるであろう様々な作品とともに、瀟湘八景図を元にした浅野信二の絵が展示されている。時間の流れが急激に逆行した気持ちになる。その人のタイミングで、一点一点を仔細に観察することも、離れたところから他の作品とともに視界に入るという見え方の場合もあるだろう。十牛図も瀟湘八景図も知らず、あらかじめ簡単なことを調べてから展示に出かけた。帰宅して、それぞれに関する本を図書館のサイトで調べる。

10月13日(火)はれ
夜、両国で地下鉄を下車。「緑」という地名の、大通りから一本入ったところにあるART TRACE Galleryで「風の振る舞い」。上田和彦、民佐穂、向井哲による展示である。スペース内に入ると、「こんにちは」という声が聞こえたので、ギャラリーの方が声をかけてくれたのだと思い返答する。しかしその声は、私にむけられたものではなく、他の見ている方がギャラリーの方にかけた一言であった。にもかかわらず、勘違いした私の返答にはさらに返答がなされ、場の違和はおさまった。
絵と彫刻が展示されている。それらを前に、作品を見る、ということをずっと問われている。行きつ戻りつして一周する。別室では、資料にも見える作品が展示されていて、作品と風、大地およびそこに建つものと風、事象と風、だっただろうか、そのようなことが示されている。広い展示室に戻りもう一周する。
駅へ向かう途中にあった食堂でカツカレーを食う。みそ汁から湯気がたっている。帰りの電車で、ギャラリーで求めた上田和彦著『観念と抽象』を読む。そして今度は、自分の、言葉に対する態度を問われるのであった。

10月14日(水)はれ
ようやく『神曲』の本を買う。原基晶訳。学生のとき授業で一年かけて英語で地獄篇を読み、それ以来、寿岳文章訳で読もうと試みて挫折しそのままになっていた。この新しい訳で、地獄篇から読んで、天国篇まで辿り着くだろうか。学生時代の講読の思い出と、先日見た井川淳子の展示が、この読書を導くことになるだろう。

10月19日(月)あめ

「反故と日常 川﨑美智代展」から

道路を拡張するためこれらの商店がなくなり、街並みも変わってしまうとなれば今後この辺を歩くこともなくなるんだろう。雨の中、そんなふうに考えながら西荻窪駅から歩く。ギャラリーブリキ星にて「反故と日常 川﨑美智代展」。以前描いていた抽象的な絵から、関西へ転居し描き始めた山の絵、などが時間軸に沿って展示されている。2年前、同氏の個展を見に、作者の過ごす滋賀県の彦根へ出かけたことがある。そのとき、絵とわたしとの間の距離は何百キロあったのだろう。会場にたどり着き、この場所でしか見ることのできない展示、という気がした。それは、作者と絵との距離の近さを感じた、ということだったと思う。今回は東京の、12年ぶりにここで個展を行うという会場で、作者にとって馴染みのある懐かしい場所でもある。会場内では、描き損じたという紙をもとにした小さな作品がその場でつくられていた。つくる場所と展示する場所。作者は山を描く。自分は何を見ているのだろう。絵の片隅に日付が記されていることについて尋ねる。行いに日付を付すことって何だろうと、自分にも問いかける。

10月20日(火)はれ
仕事を終え、神保町から地下鉄で日比谷へ。地下道を歩いて銀座着。ギャラリーナユタで「吉川直哉展『Family Album』」。作者の幼少期が写っている家族写真のアルバム。そこに収められていた写真を撮影した、つまり写真として複写した作品が展示されている。他者の思い出としてこれらの写真と接し、自分にも家族写真のアルバムがあることを思い出す。10数年に1度くらいは開くのだろうか。記憶を確かめるというより、その写真が記憶のほぼすべてで、自分はこんなところに行ったりしていたんだな、ということをアルバムの写真で知り、そのことを自分の幼い頃の記憶であるかのように再構成している。そして、子どもの頃へと思いを巡らそうとする。だが、その思いはせき止められて力なく戻ってきてしまう。前を向いてだけ生きているつもりではなかったが、後ろを見ることもできていないのだ。
銀座駅を目指して歩く。途中、立ち食いそば屋でかき揚げそばとカレーライスを食う。

10月21日(水)くもり
上田閑照、柳田聖山の『十牛図 自己の現象学』を図書館で借りて読み始める。

10月25日(日)はれ
群馬県立近代美術館で開催中の「佐賀町エキジビット・スペース 1983–2000 現代美術の定点観測」へ。高崎駅に着いてまず、ホームにある立ち食いそば屋を探す。昔ながらの風情の、おばちゃんがつくってくれる店。そばとカレーライスをかっ込む。
それからバスで目的地へ。美術館は「群馬の森公園」という広い公園内にある。公園内は日曜日ということもあるのかにぎわっている。検温、連絡先提出ののち展示室に入る。まず、白黒写真による、佐賀町エキジビット・スペースで行われた106の催しの「定点観測」。自分はこのスペースへは行ったことがない。ここで、相当の熱量をもった展示が行われたのだろうと察するとともに、このようには回顧されることのないまた別のスペースもあったのだろう、と考える。次の展示会場へと進むと、同スペースで発表された作品から、25名による作品の一部が展示されている。作品の前で立ち止まり、次の作品の前に移動し、特別に大きな作品は歩きながら、というふうに、誰もがするように展示を見ていく。展示室からの出口近くで足が止まった。紅色の薄い方形のものが、枠におさまって、両手を広げたくらいのこれまた方形の黒いゴムシートに乗っている。そして近くの壁にその変種のようなものがかかっている。倉智久美子の《無題》という作品。この作品から離れることができない。どうしてかはわからない。ただそうなった。ふと、作品に添えられていたキャプションを読む。材質として、「木、油、紙、水彩、ゴムシート」と記されており、作品がところどころ濡れたように見えるのが油かな、と納得してみたりする。そしてなんとなく、その英語表記に目をやる。すると、「wood, oil, paper, water color on rubber sheet」となっている。「on」となっているのは何だろう?と不思議に思い、床のゴムシート上を角度を変えくまなく観察する。すると、気のせいなのだろうか、片隅に人影がうっすらと描かれているように見えた。そんなはずはないとも思い、見たものを見なかったことにする。展示室を出てからも、時折ガラス越しにその作品の紅色が目に入ってきて、別れを惜しむような気持ちでそのたびごとに振り返った。

(2020/11/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事をしている。