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21世紀音楽の会 第16回演奏会|齋藤俊夫

21世紀音楽の会 第16回演奏会

2019年5月8日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

〈曲目・演奏〉
岡島礼:『デュプルム第2番』~2本のヴァイオリンのための
  ヴァイオリン:佐藤まどか・花田和加子
渋谷由香:『潮汐』
  ソプラノ:松井亜希、篳篥:三浦元則、
  ヴァイオリン:ヨハナン・ケンドラー、チェロ:多井智紀
田上英江:『アウリガ』
  フルート:多久潤一朗、トランペット/フリューゲルホルン:星野朱音、
  ギター:山田岳、ヴァイオリン:花田和加子、コントラバス:木村将之、指揮:安良岡章夫
高畠亜生:『楊貴妃と玄宗皇帝』~謡、カウンターテナー、フラウト・トラヴェルソ、チェロのための
  謡:藤井雅之・藤井秋雅、カウンターテナー:上杉清仁
  フラウト・トラヴェルソ/フルート:丁仁愛、チェロ:松本卓以、指揮:高畠亜生
国枝春恵:『花をII』~4本のフルートのための
  フルート:多久潤一朗・満丸彬人・窪田恵美・丁仁愛
南聡:『工房より/頭部と第1胴体塑像(番舞)』Op.63-2
  クラリネット:佐藤芳恵、ホルン:庄司雄大、ピアノ:秋山友貴、ヴァイオリン:佐藤まどか
  チェロ:松本卓以、指揮:安良岡章夫

 

21世紀とはなんだろうか?

アメリカ同時多発テロに始まり、中国が経済的に大躍進し、日本で大震災と原発大事故が起こり、各国で極右・排外主義・強権政治・経済格差が強まり……少なくとも筆者にはこの世紀に良いイメージはない。
それでもあえて21世紀の音楽を求める、その志はどこへ行くのか?

作品としての結論をまず述べてしまうと、渋谷由香『潮汐』にはっきりと筆者は21世紀の新しい音楽を聴いた。異化の要素としての微分音ではなく、ただひたすらに美しくたゆたう、新しいハーモニーとしての微分音。その繊細微妙な調和を保ちつつ、ソプラノ、篳篥、ヴァイオリン、チェロ――この編成のトリッキーさが必然性へと結びつくのも21世紀的だ――が言いようのない調和を、これも異化の要素ではない自然な特殊奏法で創り出す。全身がとろけるような妖しいまでに甘美な一時を味わった。

また反対に、21世紀だからこその「新しくない」音楽として高畠亜生『楊貴妃と玄宗皇帝』を聴いた。確かに「進歩主義批判」「多様性」も現代のトレンドかもしれないが、そこになんらかの「批判性」がなければ既存の音楽のパッチワークを越えることはできなかろう。それでも良い、となるのが21世紀なのだ、と言われると困ってしまうのではあるが。

岡島礼『デュプルム第2番』、田上英江『アウリガ』国枝春恵『花をII』らの21世紀ぶりはその自由さにあろう。岡島のヴァイオリン、田上のトランペット/フリューゲルホルン、国枝のフルート、それらの楽器を鳴らすことへの屈託のない自由さ、理屈ではなく感じることに対する(無根拠な)信頼、それもまた今世紀的軽やかさのなせる業と言えよう。

そして南聡『工房より/頭部と第1胴体塑像(番舞)』は確固たる形式がありそうでどこか壊れており、感情表現や抽象的構築性などもありそうで壊れている音楽が延々と続くという、なかなか怖い作品。「表現者」というより「アルチザン」つまり音楽を構築するだけの職人にひたすら徹する、これもまた自意識から離れた新時代的自己意識ではなかろうか。

21世紀もその5分の1が過ぎそうであるが、その先も今も見通すことはできない。ならば自分でそれらを開拓する精神を共有したい、そんな心意気が感じられた印象的な演奏会であった。

(2019/6/15)