特別寄稿|『時層』安部大雅彫刻展@ペルージャ| 中村治
『時層』安部大雅彫刻展 イタリア・ペルージャにて
〜積み重なる時を超えて、アートが導くものとは〜
”JISOU” Tayga Abe’s Sculpture Exhibition in Perugia, Italy
Photos & Text by 中村治 (Osamu Nakamura) /写真家
腰に掲げた大ぶりの剣に手をかけ、来訪者を誰何(すいか)する威圧的な兵士の姿が、門の左右に見えるような気がした。
30メートルほど煉瓦が積み上げられた巨大な壁面を小さく穿ったそのアーチ型の木製の門は、480年前に建造されたものだ。入場を拒むかのように口を開けている。すでに20メートル程の高さの壁を越えてきていた。下方の建造物は、いま対面している壁面より遥か昔に造営されたものだと後で知る。
つまり巨大な建造物の上に、更に同じようなものを積み上げていたのだ。全容が全く掴めないほど巨大な建物は私の頭を混乱させた。
パオリーナ要塞。イタリア共和国、ペルージャ市の中心部の丘陵の一角に聳える歴史的な遺産である。ペルージャは丘の上に建てられた、中世の雰囲気を色濃く残す、目に優しい煉瓦色に包まれた美しい街だ。だが、この要塞の周辺だけは雰囲気が違った。この一帯では、煉瓦の質感だけでなく、空気の質量までグッと重くなるかのようだった。
2023年5月、このパオリーナ要塞で日本人彫刻家・安部大雅の個展がひと月に亘って、ペルージャ市の協力のもと、開催された。地元メディアで話題を集め、芸術を愛する多くのペルージャ市民が来場、その心を捉えた。日本人である安部がなぜこの場所で展覧会を開いたのか。その後を追い、写真家である私は機材をバッグに詰め込んで、初めて訪れる古都ペルージャに向かった。
ペルージャ市はイタリア中部にあるウンブリア州の州都であり、かつてエトルリア人が建設した紀元前から発展した都市であった。12世紀以来、ローマ教皇領でありながら、裁判権などが認められ租税も比較的優遇されたペルージャは、市民が統治する自治都市として大いに繁栄した。都市の発展と共に、芸術文化も栄え、ルネッサンスを代表する画家であるペルジーノ(ラファエロの師匠としても知られる)等を輩出し、街の中心部に位置するプリオリ宮殿や多くの教会は美しく装飾されていった。
しかし1540年、前年の不作で物価が高騰する中、塩に重税をかけた教皇パウルス3世に市民が反発し、全面的な対立へと発展する。教皇の租税に対抗するために、ペルージャ市民が塩を使用しないパンを作ったことは有名で、教皇の強権に対する強い不服従の精神が今に語り継がれている。ペルージャは息子ピエール・ルイージ・ファルネーゼ率いる教皇軍に包囲され、明け渡しを余儀なくされた。更に、パウルス3世は教皇の駐屯軍を収容するための要塞の築造を命じ、見せしめにパリオーニ家邸宅があった場所を含めた街の広大な一角を、丸ごと煉瓦の天井と壁で覆ったのである。以降、この巨大なパオリーナ要塞は、教皇支配の象徴として機能し続けることになった。
近代になり1860年までには、教皇の支配の歴史を嫌った市民によって、その大部分は破壊された。現在、残された跡地はそれでも広大な範囲に渡る。街の丘陵下部から要塞内部を通り、丘陵上に広がる街の 中心部へはエスカレーターが貫いている。市民の生活の通路としても、ペルージャの歴史を伝える史跡としても重要なものとなっている。
要塞内に入るとその空気は湿り気を持ち、冷えた空気が肌を刺す。緩やかにカーブする通路を進むと、巨大な空間がいくつも現れる。中には教会や住宅、竈 の跡なども見える。覆われた街の残骸が、かつてここにあった人々の日常を微かに伝えている。現在は周辺の住民の通り道でもあるが、日中は観光客や社会科見学の学生達が行き交う喧騒や、足元に敷き詰められた波打つ煉瓦を踏む足音が、空間に響きわたっていた。あたかもローマ軍隊の発する号令や、軍人達の軍靴、軍馬の馬蹄が煉瓦を打ち鳴らす音が聞こえてくるようだった。メトロとも接続する要塞を貫く通路の中心部の高さは20メートルほどあり、現代の5階建てのビルがすっぽり入るほどの空間である。反響する音と共に、かつてと今の時空を共有するかのようにそこには様々なものが浮遊していた。
安部大雅の個展は、その中にある5つの巨大な空間を使って開かれた。歴史遺産保護のため、耐荷重の制限もある中、大きいもので約2.5メートル、大小16点の抽象彫刻がそれぞれの空間を飾った。この重厚で異様な空間に対峙するために、安部によって形を得た、イタリア・カラーラの山で掘り出された白大理石の彫刻が並んだ。
安部は26年前、22歳の時、ペルージャにある国立外国人大学でイタリア語を学んだ。語学の習得は彫刻家への第一歩だった。それから約10年の間、主にカラーラ で彫刻家として活動することになるが、半年間滞在したペルージャで初めて訪れたパオリーナ要塞に足を踏み入れた際、安部は強い衝撃を受けた。そして即座に、いつか必ずここで個展を開催すると心に決めた。
パオリーナ要塞には為政者の権力や富への涸れることのない欲望と、それに対する市民の拒絶や怒りの炎、自由を求める祈りと苦しみが同時に充満していた。しかし、安部がそこで先ず感じたのは、この空間が持つ圧倒的な迫力と、時間という試練にも耐え、存在し続けている造形への憧憬であり、そこから導かれる美しさだった。それは歴史的な事象(苦難の歴史)からくる対象への観念的拒絶に意味を持たせる以前に、自己の内部から湧き上がる直感を制限することなく、透明な受容体として対象と向き合うことの重要性を自覚することであった。それは若き彫刻家がこれから挑もうとする人間の無限の美の可能性であり、人の感性こそ信ずるに値する、という芸術を志すものとしての確信であったのではないだろうか。
そして、同時に要塞内の煉瓦に染み込んだ人々の苦しみや、人間の愚かさに思いを馳せた時、空を煉瓦で覆われた人々が、その天井を見上げ何を見たのだろうか、と安部は想像した。彼らは壁の向こうに変わらず照らす強い日差しや星の煌めきを見たはずだと安部は言う。安部がフォーカスするのは壁自体ではなく、壁によっても制限できない「空は青い」という人々の想像力であり、それを求める願いと苦悩だった。
大理石の町カラーラで彫刻家として活動を続けた安部は29歳の時、イタリア政府主催のコンペに出品する。勝ち抜いた安部の作品は、ペルージャ刑務所に設置された。『5elements』と名付けられた2メートルを越す大理石の彫刻の設置は、アートが受刑者の更生を促進することを期待し、政府が試験的に導入した施策の一環だった。
同年、その作品に感銘を受けたイタリア運輸省から、ペルージャ市に隣接する世界遺産にも登録されるアッシジの聖フランチェスコ聖堂の眼前の広場に飾られる1m × 2mの『Justice』というブロンズレリーフを依頼される。それは欧州外の作家で初めて広場を飾る彫刻として選ばれた作品であり、かつ抽象彫刻としても初めてのものだった。
今回は、それから更に15年の歳月が経過したが、ペルージャ市は過去の安部の作品を高く評価し、彼がペルージャへ戻ってくることを強く願った。
今回の展覧会のタイトル『時層』は安部の造語である。安部は言う。
「過去は連続する一瞬一瞬の長大な積み重ねによって構成されます。2000年以上続くペルージャの歴史はそこに暮らした人々の苦悩、恐れ、栄華、そして幸福に満ちた時間の堆積です。それらと共に積まれていったレンガや石積みは物質であることを超え、まるで植物の根のように現在の町を支えています。パオリーナ要塞の内部空間には遠い過去の瞬間と現在を生々しく繋ぐ特殊な時空があると感じます。」
会場に並ぶ作品のひとつ一つには、次のようなタイトルが付けられている。『幻想』『栄光』『許容』『希望』『集』『失意』『無常』『再起』。人々の歴史のなかで繰り返し湧き上がっては消えてきただろう記憶や感情に思いを馳せたという。人々の営みが生み出した様々なイメージが石を取り巻いていたが、制作時には何も考えずノミを振るい、気が付くとカタチが出来上がっていたと安部は言う。
時には亡霊のように浮遊する人々の失意や幻想が安部に取り憑く。優しく微笑みかける精霊たちが囁く希望や無常。出来上がった作品を前にして、「人間は愚かだが、全ての人の営みは愛おしく美しく、そこにかけるべき制限はない」という26年前パオリーナ要塞を前にして湧き上がった直感に立ち戻る。それは時を積み重ねた安部自身の遍歴の旅を回想するものでもあったのだろう。
私はペルージャで安部の作品や街並みを撮影した後、フィレンツェとローマで数日ずつの旅を続けた。目的はミケランジェロを見るためだった。
6年前、私は安部と共に、ミラノでミケランジェロがその死の6日前までノミを振るったという『ロンダニーニのピエタ』を見ていた。このピエタに対して、作りかけで完成品ではないという評価が大半だが、安部はこのピエタこそ抽象彫刻の起こりであり、ミケランジェロのノミの使い方を見ると、明らかにこれでヨシとして制作しているのが分かり、限りなく完成形に近いはずだ、と熱弁した。晩年のミケランジェロには込めるべき想いがあり過ぎ、より抽象的な表現でしか伝える方法を見出せず、意図的にここで手を止めたのだと。
ミケランジェロの『ロンダニーニのピエタ』の前での、かつての安部との会話を私は思い起こし、改めてパオリーナ城塞での彼の作品との対峙を振り返るのだった。
ローマ・バチカンでミケランジェロが描いた、システィーナ礼拝堂の祭壇画『最後の審判』を見学している時、私はふとあることに気付いた。1540年、教皇パウルス3世がペルージャでパオリーナ要塞の築城を命じた同時期、この教皇はローマでルネッサンスの名作、ミケランジェロの『最後の審判』(1535-1541年制作)を描かせたのである。今なお人々 を魅了する祭壇画の制作を命じる一方で、教皇はペルージャから空を奪った。人々に課せられた莫大な税は、ルネッサンスの美へと生まれ変わり、それは時代を超えて、いまだ人々を魅了してやまない。
そして今、ペルージャの人々を魅了した安部大雅の作品は、その系譜、すなわちミケランジェロとの連続性の中にある。時代は巡り様々な事象を飲み込み、影響し関連し合い、我々を造り出しているのだ。
私は旅の終わりに『最後の審判』に描かれた、神に裁かれる人間たちの姿を見上げながら、フィレンツェの共和制に共鳴し、プラトンを敬愛したミケランジェロは、この祭壇画を描きながらも、人間は裁かれるべき存在とは思っていなかったのではないか、という不敬な思いを抱いていた。教皇パウルス3世であれ、誰であれ。ミケランジェロは人間が引き起こす不条理を笑い飛ばし、我々を生命の悦びに立ち返らせようとする芸術家としての使命を、その胸に密かに秘めていたのではないだろうか。
そして、ミケランジェロを抽象彫刻の祖と敬する安部大雅が、パオリーナ要塞で私に語った言葉を思い返していた。
「人間は愚かだが、全ての人の営みは愛おしく美しい。」
(2023/7/15)
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中村治(Osamu Nakamura/写真家)
「移りゆく時代の変化に於いても、固有の価値を持ち続けるもの」をテーマに作品を撮り続けている。
1971年。広島生まれ。成蹊大学文学部卒。
1996-1997年、ロイター通信社北京支局の現地通信員として写真家のキャリアをスタートする。
雑誌社勤務の後、坂田栄一郎に5年間師事し人物撮影を学ぶ。
2006年独立以降、東京を拠点としつつ、各地で撮影を続けている。
2020年、中国福建省の山間部に点在する客家土楼とそこに暮らす人々を撮影した写真集、『HOME―Portraits of the Hakka』(LITTLE MAN BOOKS、2019年)にて、第20回さがみはら写真新人奨励賞受賞、第39回土門拳賞最終候補。
他、写真集に東京周辺のネオンのある風景を撮影した『NEON NEON』(LITTLE MAN BOOKS、2021年)。
2023年末、本文でご紹介した安部大雅作品集『PERUGIA』発売予定。
2020年、安部大雅協力のもと、イタリア文化会館にて写真展『Le Paradis Terrestreー地上の楽園』開催。イタリア抽象彫刻の巨匠カルロ・セルジオ・シニョーリの作品を紹介。
中村治(写真家)
https://samphoto.jp/
安部大雅(彫刻家)
https://www.impronto.net/