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アンサンブル・コンテンポラリーα 定期公演2023 エクレクティック・アルファ ~ルイ・アンドリーセンに捧ぐ~|西村紗知

アンサンブル・コンテンポラリーα 定期公演2023 エクレクティック・アルファ ~ルイ・アンドリーセンに捧ぐ~
Ensemble Contemporary α Subscription Concert 2023

2023年3月22日 杉並公会堂小ホール
2023/3/22 Suginami Koukaidou Small Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
撮影者:藤本健太郎/写真提供者:アンサンブル・コンテンポラリーα

<演奏>        →foreign language
アンサンブル・コンテンポラリーα
 フルート:多久 潤一朗
 クラリネット:鈴木 生子
 打楽器:神田 佳子・稲野 珠緒
 ピアノ:及川 夕美
 ヴァイオリン:佐藤 まどか
 チェロ:松本 卓以
 エレクトロニクス:北爪 裕道

<プログラム>
ルイ・アンドリーセン:ドゥーブル
鷹羽 弘晃:錬金術(初演)
ルイ・アンドリーセン:絵画
川上 統:ほっけ柱(初演)※「ほっけ」は漢字で「魚」偏に「花」
―休憩―
桑原 ゆう:ビトウィーン・ジ・イン・ビトウィーンズ(初演/アンサンブル・コンテンポラリーα 2023委嘱作品)
ルイ・アンドリーセン:ジルヴァー[銀]

 

アンサンブル・コンテンポラリーα、2023年の定期公演である今回は、2021年に逝去したオランダの作曲家、ルイ・アンドリーセンの追悼企画である。「ドゥーブル」「絵画」「ジルヴァー」の間に、アンサンブル・コンテンポラリーα作曲メンバーである鷹羽弘晃、川上統の新作に、桑原ゆうの委嘱作品が並ぶ、こうしたプログラム構成となっている。
「折衷主義(エクレクティシズム)」と呼ばれるスタイルで知られているアンドリーセン作品を聴いて、筆者の思考は次のような過程を辿った。「折衷」という言葉を聞き、開放的というか、楽観的というか、何か緩さのある作風なのかと思いきやその予想は最初から裏切られる。むしろ、シリアスで硬質で、なるほど折衷主義といってもジンクレティズムではなく、プログラムにある通り、エクレクティシズムなのだ。つまり、複数の様式をいいとこどりするよう混ぜ合わせるのではない。複数の様式を通してそれらが共通して依って立つところの、何か本質的なものへと踏み込んでいく、そういう具合である。加えて、造形的思考を思わせるセンスが音響体に迸る。あるいは、色数をおさえ、筆致やテクスチャの質感を前面に、構成力もしっかり感じられるような、そうした絵画的思考をこの日のアンドリーセン作品全体に思う。
「ドゥーブル」(1965年)は、この頃の現代音楽作品にありがちないかにもセリエルな室内楽作品、と思いきや、しばらく聞いているとこの作曲家のオリジナリティがきちんとにじみ出していることに気づかされる。横の線の蠢きのままに進んでいくより、カツンとスタティックに瞬間ごとにポーズを決めるような感覚があったように思え、この感覚が他の有象無象のセリエルな作品との違いなのではないか、と思う。プログラム・ノートに記されているのだが、作曲家曰く、「いわゆる旋律的な音列による12音技法ではなく、メジャーセブンスとマイナーナインスから構成される和音的な12音で構成したもの」らしい。なるほど確かに、旋律的思考より和声的思考により、平面や断面がつくられていく感じがする。
鷹羽作品である「錬金術」は、7拍子の同じフレーズが反復される。ヴィブラフォンとマリンバとは縦の線を同じくし、そのフレーズが和音の構成音を少しずつ変えつつ変奏され、数えながら聴いていたが13変奏分は続く。各変奏の間には、しっかり切れ目が設けられているのでそれぞれが独立した一つの曲のようでもある。アンドリーセンの「木 Hout」(1991年)からインスピレーションを得た、とプログラム・ノートに書かれている。ダイナミズムとフレーズと、アタックも一定であるため、その度ごとに訪れる音のずれが自然と強調され、これを聴き続けると筆者のうちに不思議な心地よい感覚がもたらされていった。関係ない話で恐縮だが、「王国(あるいはその家について)」(草野なつか監督)という映画を見たときに、この映画は、同じシーンの、本読みとリハーサルと本番とを順番に映し出していく手法が採用されたものなのだが、それを見たときも似たような感覚がもたらされたことを思い出す。
「絵画」は、5つの短い断章からなる。フルートの多種多様な特殊奏法が華やかな作品だ。これは図形楽譜によるもので、フルート(またはリコーダー)と、ピアノとに、それぞれ5枚のシートがある、という。これも1曲目同様、セリエルな音響感覚で、硬質で彩度が控えめな印象。音域は、フルートが高音部に遊べばピアノは低く慟哭し、そのまた反対の展開もあり、そうして音響全体が絶えずバランスを取り続ける。アンサンブルの緊張感がこれらの断章をしっかり貫き通す。
「ほっけ柱」(※「ほっけ」は正しくは魚へんに花)は、フルートとクラリネットが互いにほとんど模倣し合うようにして展開する。この模倣し合いつつ展開する感覚は桑原作品である「ビトウィーン・ジ・イン・ビトウィーンズ」の方にもある。この二つの作品は共通してアンドリーセン作品におけるホケトゥス的な感覚をかなり意識しているようにも思うのだが、印象は異なる。川上作品は音による動力を模倣していき、桑原作品は直接的に音でもって時間を組成していく、といったような違いが筆者には感じられた。あるいは、前者の遊びっぽい音の跳ね具合と、後者のキリキリと寄り合っていくうねり、という、木管楽器と弦楽器という楽器の性格の違いがそのまま生かされて作品の性格の違いが導かれていた、とも思う。いずれの作品も(そして鷹羽作品もだが)、影響を受けていると思しきアンドリーセンの作品とは、やっていることがかなり異なっていて、興味深く聴いた。
この日の最後、「ジルヴァー」は、そのタイトルの由来を、冒頭のフルートと最後のヴィブラフォンという「銀」の楽器にもつ、とのことだ。上行音型と下行音型とが、順番に、打ち鳴らされて交差するという、言葉にしてみればシンプルに思えるようなその書法は、しかしながら不思議と最後まで聴き入ってしまう。
アンドリーセン作品にあるのは、平面的で、その度ごとに断面を晒していくような、そうした造形的感覚としか筆者は言いようがないのだが、こうした特有の性質は、鷹羽、川上、桑原の作品が差し挟まれることによってまさに、筆者のうちにより一層強く感じられるものでもあった。この演奏会を通じ、作曲家同士の影響関係の実践とでも言うような、また新たな創作のモードの可能性について思いを馳せることにもなった。

(2023/4/15)

 

 

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<Artists>
Ensemble Contemporary α
Jun-ichiro Taku, flute
Ikuko Suzuki, clarinet
Yoshiko Kanda, percussion
Tamao Inano, percussion
Yumi Oikawa, piano
Madoka Sato, violin
Takui Matsumoto, violoncello
Hiromichi Kitazume, electronics

<Program>
Louis Andriessen: Double (1965) cl, pf
Hiroaki Takaha: Alchemy (2023 WP) mar, vib, elec
Louis Andriessen: Paintings (1965) fl, pf
Osamu Kawakami: Tornado of Okhotsk atka mackerel (2023 WP) fl, cl
Yu Kuwabara: Between the In-betweens (2023 WP / a commissioned work by Ensemble Contemporary Alpha) vn, vc
Louis Andriessen: Zilver (1994) fl, cl, 2perc, pf, vn, vc