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五線紙のパンセ|独りでは辿り着かない|稲森安太己

独りでは辿り着かない
No goal without dialogue

Text & Photos by 稲森安太己(Yasutaki Inamori)

ドイツでは様々な自治体で芸術家の活動を支援しようという試みがあり、多くの州や市が奨学金を伴うアーティスト・レジデンス制度を設けている。ニーダーザクセン州のヴェントラント地方にも歴史あるアーティスト・レジデンス施設がある。シュライヤーンという人口100人に満たないような小さな村に3棟の家が芸術家が滞在して作品を制作するために用意されていて、滞在アーティストは受給する奨学金で定められた期間そこに滞在し、作品の制作に没頭する。レジデンス施設によって募集する芸術分野は様々だが、シュライヤーンでは音楽(作曲)と文学での応募が可能である。2017年10月から12月にかけて、私は友人の打楽器奏者・渡邉理恵氏とここに滞在し、インストゥルメンタル・ミュージック・シアター作品を作曲した。

事の起こりは2014年まで遡る。2014年10月、渡邉さんと私はある演奏会でカーゲルの『騒音の芸術』(L’Art bruit, 1995)を演奏した。一人の打楽器奏者とアシスタントのために書かれたこの作品は日本の文楽の影響を受けていると言われている。なるほど、作品中でのアシスタントの役割は黒子のそれと似ている。アシスタントは楽器を演奏することはないが、次々と演者に楽器を提供するために作品全体を暗記している必要があるし、奏者が演奏を即時開始できるように楽器や撥を寸分狂いなく受け渡しながら、奏者の移動に合わせて必要な移動をする。舞台慣れしていない私には、そもそも真っ直ぐ歩くことや、均一な円を描きながら歩くことが難しく、練習中には俳優の方に歩き方や視線の位置等をご指導いただいたりして、じっくり時間をかけて上演の準備をした。向かい合えば向かい合うほどに奥行きを見せるカーゲルの作品に渡邉さんも私も感性を大いに刺激された。

上演からほどなく、渡邉さんからシュライヤーンのレジデンス制度に共同で応募する話をいただいた。渡邉さんは長年ドイツで活動していながら異国にルーツを持つ自分のアイデンティティをカーゲルに重ねることも出来るのではないか、そういったアイデンティティの揺らぎには作品が成立する可能性があるのではないかと話された。また私たちが日本人であることから、カーゲル作品以上に文楽にインスピレーションの発露を求める作品が出来ないかとも言われた。これらの提案は、ちょうどこれからドイツで粘り強い活動をしていくことを視野に入れていた私の心に共鳴し、何か面白い作品が出来そうだと考え、一緒に応募することを決めた。

企画書の採択、奨学金の受給が決まったのは応募してから間もなくであったが、滞在期間は3、6、12ヶ月の間で申請時に希望できるシステムで、滞在開始時期は他の奨学生との調整で決められる。私たち二人にとって意外なほど滞在開始時期が遅く、2017年10月開始と知らされた時は少し面食らった。「次のプロジェクトはこれだ」と息巻いていたインスピレーションの迸りを挫かれたような気分もあったが、文楽のことを丁寧にリサーチしたりして準備する期間と考えることにした。

協調性に自信がない私は施設での共同生活に一抹の不安はあったが、渡邉さんとの共同生活はとても楽しく、ケンカもしない3ヶ月だった。当時私は前回の記事で書いたオペラの作曲に忙しかったし、渡邉さんも演奏会が立て込んでいて、思うように共同作曲作業が進まないというジレンマも、二人で話し合いの時間を持ちながら、作業時間を確保するように務め、生産性を確保しながら生活できたと思っている。私たちに充てがわれた家は巨大で、ベッドが13個もあった。他の滞在施設はそこまで大きくないのだが、私たちが住んだ家は、芸術家滞在がなく長期休暇中などには小学校の合宿等にも用いられるそうだ。楽器を広げてリハーサルをするのにもよく、いくつかの部屋は楽器を広げっぱなしにしてそこですぐ作業を始められるようにしておけた点もありがたかった。

共同作曲という概念が当時の私には欠如していた。渡邉さんも、当初二人で楽器を試しながら探し当てた音楽的演出を、私が作曲した状態にして提示すると、話し合ったものと違うものが出てきたりするので困惑したようである。彼女には彼女が見ているものがあって、私には私が見ているものがある。試奏して話し合いをして二人で合意したように作業が終わっても、次の回に蓋を開けてみると話し合いでの合意はお互いの真意に届いていなかったことを確認してしまうこともある。私たちの表現のゴールはどこなのか、そこを見失わないように作業の方向を見つけていくことが重要だった。奏者としての渡邉さんの経験に裏打ちされた楽器の扱いや音色の表現を丁寧に見据えた音楽と、抽象的思考を羽ばたかせて感覚で作りきれない構造を作り込む私の筆の癖、どちらも作品中で魅力を放ってくれると嬉しい。作品の構成を考え、各部分を試奏していくうちに、各部分の特色が明瞭になっていく。自ずとどちらがどの部分を主に作曲するかということが決まっていった。作品全体は二人の執拗な話し合いから形作られているから二人の意図がしっかり反映されているけれども、具体的な作曲作業はちょうど50パーセントずつという具合で曲が完成した。

完成したミュージック・シアター作品『箱/境界』(Schachtel/Grenze、2017/2019)は一応の見通しを見せたレジデンス滞在期間の終了から上演まで2年の時を要した。当初の計画では私自身もアシスタントとして演奏に加わる予定であったが、体力の低下と地理的な不便を理由に共通の友人である作曲家(兼楽器製作者/美術家/パフォーマー)のジモン・ルンメル氏にお願いすることになった。舞台照明のコンセプトをレア・レッツェル氏にお願いし、詩的で独特な世界観を見せる作品になったと思っている。上演時に配布したチラシは点線で切り抜いて箱を組み立てられる凝った遊びを混ぜたものだった。また、予定された全公演が終わった後、初演時の写真を多く含むプロモーション冊子も制作した。冊子は現在も在庫があるので興味を持っていただいた方は私のホームページから問い合わせて頂ければ幸いである。作品の細かな内容については冊子を参照していただくのが良いであろう(日本語のページもある)。

一月から今回までの三ヶ月の連載で取り上げた二つの作品にはミュージック・シアターであるという事実以外に重要な共通点がある。作家としての私のヴィジョンが作品内容の全てを決定できない状況で生まれた作品であるという点である。現在の私の創作においてこれはとても価値のある視点で、創作のプロセスを通して私自身が知らなかった私と出会って行くような深みがある。字数を考えてオペラの記事を二回に分けた関係で三回の連載の中では取り上げなかったが、2020年に公開された映画『春を告げる町』の音楽を担当した際にも同じような経験をした。私の視点のみでは完成しない作品の中で生きる私の視点。人と人との対話は新たな価値を創造することを確認した。

2015年頃から私は、作曲家は自身の作品をあまり知り得ないのではないかという思いを強くしている。もちろんある面では作曲家は自作を誰よりもよく知っている。作曲動機や作曲手順に関係する諸々の情報である。しかしそれ故に、出来上がった作品自体と作品の成立経緯の区別がうまくいかないのである。作曲家は自らの関心事をあの手この手で作品へと昇華する。この「あの手この手」とは思索であり、思考であり、技法であり、表現目的であり、表現欲求の現れでもある。これらの多くに作曲家本人は自覚的であるため、その自覚が及ばない範囲で関係を結ぶ作品内の音の関係性を聴くことが困難なのである。言い換えると、「私はこういう音楽を夢見て書いたので、こういう風に演奏してほしい」という願いに集約できる。この願いは「作曲家の考えは当該作品において正しい」という立場に立てば問題はないが、果たして作品の真実の姿とは作曲家が考えた姿と合同だろうか。演奏家が時間をかけて準備した演奏には演奏家が読み取った作品の真実が現れていないのだろうか。聴衆は常に作曲家より愚かな耳を持ち、作品を理解し得ない立場から音楽を聴いているのだろうか。傷つくことへの恐れから自らを佳きもののように祭り上げ、プログラム・ノートで、インタビューで、講演の場で多くの作曲家が作品に関する嘘をついている場面を見てきたと感じている(私自身も例外ではないし、時と場合によっては必要とも思う)。他者が丁寧に私の作品に向かい合った結果、その人が私の作品を凡庸なものとして価値を見出さなかったとしても、対話を止めない覚悟を持ちたい。人と人の対話は「私」の小さな世界をこじ開けてくれると信じている。

稲森安太己+渡邉理恵『Schachtel/Grenze』(『箱/境界』)動画

マウリシオ・カーゲル『L’Art bruit』動画

問い合わせホームページ

(2021/3/15)

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稲森安太己(Yasutaki Inamori)
1978年東京生まれ。東京学芸大学にて作曲を山内雅弘氏に、ケルン音楽大学にてミヒャエル・バイル、ヨハネス・シェルホルンの両氏に師事。作品は西ドイツ放送交響楽団、ギュルツェニヒ管弦楽団、ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団、新日本フィルハーモニー管弦楽団等の演奏団体によってドイツ、イタリア、アメリカ、ベルギー、日本ほかの国で演奏されている。2007年日本音楽コンクール第1位、2011年ベルント・アロイス・ツィンマーマン奨学金賞、2019年芥川也寸志サントリー作曲賞ほか。