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Ogen/blik vol.4|西村紗知

Ogen/blik vol.4

2021年2月28日 無観客ストリーミング配信 アーカイブ動画視聴期間:3月5~20日
2021/2/28 Live-streaming without an audience Archive: 2021/3/5-20
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
写真提供:Ogen/blik

<演奏>        →foreign language
北嶋愛季(チェロ)
榑谷静香(ピアノ)
エドウィン・ファン・デル・ハイデ(センサー楽器)
窪田翔(打楽器)
野口桃江(改造型ピアノ)

<プログラム>
ヤニス・キリアキデス:《Legerdemain》ピアノとエレクトロニクスのための
向井響:《幽体の鳥》チェロとエレクトロニクスのための*
安野太郎:《浦和さいごの夜》チェロとピアノのための**
大久保雅基:チェロとピアノ、動的楽譜のための《へぇ…そっか。え?うん、そう》**
牛島安希子:《La mémoire inconsciente》チェロ、ピアノ、エレクトロニクスと映像のための (映像 : 伏木啓)**
※ここまで愛知県芸術劇場収録作品
~10分休憩~
野口桃江:「In Microcosm」「古時計」改造型ピアノのための**
マヤ・フェリックスブロッド:《Float》 from the series “Traveling Viola”**
ダリアン・ブリート:《Strange Attractors》**
エドウィン・ファン・デル・ハイデ《NMD 2021-#1》(打楽器 : 窪田翔)**
アフタートーク(40分程度)
**世界初演作品 / *日本初演作品

 

最初、映像が動いているのに音がせず、原因を探ろうといろいろとパソコンを触っているうちに動画プラットフォームであるPeatixのなにか関係のないところをクリックしてしまい、あたふたとブラウザバックで元の視聴画面に戻ると、演奏が始まっていた。領域横断的な作品をあつかうコンサートシリーズOgen/blikの第4回公演。今回は時局に鑑み、無観客ストリーミング配信のみでの実施となったのだった。

前半5作品は愛知県芸術劇場で収録された、チェロ、ピアノ、エレクトロニクスいずれかの組み合わせのための作品。休憩を挟んで後半、野口作品は改造型ピアノの即興演奏で自作自演(両国門天ホールで事前収録)、エドウィン・ファン・デル・ハイデ作品も即興演奏だが、クオピオ(フィンランド)にいる窪田翔とロッテルダム(オランダ)にいる作曲者とで、この日唯一のライヴ・パフォーマンスを行った。マヤ・フェリックスブロッド及びダリアン・ブリート作品はどちらかといえば映像作品といったところ。
どれもスタイリッシュで、前半5作品には特にどことなく語法の類似性が感じられる。とはいえ、作品ごとに領域横断的たる所以やカテゴライズは異なっていただろう。音楽作品寄りのもの、サウンドアート寄りのもの、自由即興のもの、それらの要素をあわせもっているもの、そして、どれとも言い切れないようなもの。さながらキュレーションがうまく機能している音の展覧会を観に行ったような心地であった。
他にもこの日の作品に対し共通して言えることがある。作品があって、それを演奏者が再現して、聴衆がいて……といった、作品を上位に置くヒエラルキー構造がほとんど感じられないところだ。経験志向といってもいいかもしれない。どれも、観照する者自身の経験として、解釈行為は一旦わきに置いて、身体に直接に作用するものとして、音響を浴びるように時間を過ごすことができる。

しかしながら筆者は、正直なところ、どの作品にも手の届いた感じが未だしていない。この首尾よくまとまった音の展覧会を十全に受け止めるには、ストリーミング配信では無理だと思った。配信中、何度会場で聞きたいと思ったことかしれない。以下の作品ごとの感想は、3月5日以降のアーカイブ動画を再生しながら書いた、ディスクレビューに近いものと思ってもらっても差し支えない。

《Legerdemain》。間隔の広い和声が堆積した、似たような構成音の和音が繰り返し、登場する順番や頻度を変えつつも、同じ音量・アクセントで演奏される。スタティックでスタイリッシュな音響。
エレクトロニクスもまたずっと同じ音色で、ピアノの後を影のようについてまわる。
デザイン的だ。モンドリアンの有名なパターンを想起しながら聞いていた。

《幽体の鳥》。チェロの3拍子系のフレーズの反復からはじまる、鳥の歌。チェロとエレクトロニクスの二重奏といったようで、二つが絡み合ったり、互いの休符に、音を補い合ったりしている。エレクトロニクスは非常に繊細で、タイミングよく適切な音色を発している。だが、チェロとエレクトロニクスとの絡み合いからなる時間の立体彫刻は、パソコンでは立ち現れないので、残念なところ。
他方、音楽上の展開もある。エレクトロニクスは音色を添えるのみならず、場面によってはビートを刻む。

《浦和さいごの夜》。そのまま映画のサウンドトラックになりそうな、チェロとピアノの長音の掛け合いからなる静謐な音楽。フェルドマンからさらに淀みを抜き去ったようだと思った。そうして、冷え込む空気をそのまま音楽として写し取っているかのよう。途中、チェロが同音の反復で走り出したときから曲調が変わる。時間が経過し、夜闇に暁光が差し出したかのように。
しかしながら、ここまでロマンティックな音楽を作曲家が書かなくてはいけなかった、このコロナ禍とはなんであろうか。不思議なことに、音楽の静謐さとはうらはらに、作曲者の穏やかならざる心中がうかがえるようであった。

《へぇ…そっか。え?うん、そう》。舞台真ん中のスクリーンには、大きさの違う円が、四辺にぶつかって方向を変えたりしながら、ゆっくり運動している。ピアノとチェロは、ぽつりぽつりと、独り言のように音を出す。本当に、後から振り返るための参照点をもたないほどに、ささやかなコミュニケーションである。
ピアノとチェロにあてがわれた端末上で動く譜面、それはなにか音名の書かれた球のようなものが、端末画面の上からゆっくり落ちてくるような譜面で、それにピアノとチェロは従う。演奏する、再現する、でなくて従う、といった感じがする。
拍節構造が無くなること以上に、動く楽譜にとって大切なのは、そのことだったのではないかと思う。楽譜がまさに、単なる演奏のための指示書であることをやめ、まさに流れている音楽を形成する項として、文字通り自ら動き出すのである。

《La mémoire inconsciente》。イルカの鳴き声のようなものが鳴っている。チェロもまた、動物のように鳴いている。中央のスクリーンには点滅する青。ピアノの断片の書法はどこか印象派的。ふと、揺らぐ水面がスクリーンに映し出される。チェロ、ピアノ、映像、エレクトロニクスとが、それぞれの方法で、水辺のイメージを添えていく。

 

野口桃江のパフォーマンス「In Microcosm」「古時計」。剥き出しのアップライトピアノのダンパーが、不気味に見える。アップライトピアノという、安寧な家庭を象徴するような家財道具としての顔をあわせもつ存在が、その中にあるものをさらけ出す。ピアノの内部に取り付けられた、なにかコードでつながれた機械が、青く光っている。どうやら、自動ピアノになっているらしい。
1曲目、Fis-Eのトリルが自動的に鳴っている。演奏者は、そうしたパルスをもとに、そのパルスとうまくぶつかるように、ピアニスティックな断片を添えていく。自動ピアノと身体と、互いにとってできないことを、それぞれ言及し合うようにして。
2曲目は「大きな古時計」の編曲である。ビクッ、ビクッと機械がピアノの弦を叩き、硬直したパルスを発する。対して、野口の音は柔らかく、身体的だ。アップライトピアノを舞台にし、過去と現在が邂逅するのを見るようであり、それは誠に、「大きな古時計」の着想を展開する行為にほかならないのであった。忘れ去られたものに、手を差し伸べるということ。

《Float》。どこか知らない海が映し出される。灰色がかった砂浜、鈍色の空のもと、浅瀬に上向きになって身を浸しながら、女性がヴィオラを弾いている。
次のシーン、今度は砂浜に寝そべりながら、あるいは立ち上がって砂を巻き上げながら、ヴィオラを弾いている。
はじめて見る作品なのに、私もこうでありたかったと思うようであった。不思議である。しかし、こうでありたかった、という感慨が、具体的に何を指すのか私にはわからない。私は彼女と同じようにヴィオラを弾きたいわけではないのである。

《Strange Attractors》。黒い画面に、白い線が動き回り、やがて線は点となり、飛沫のような塊になったり、爆発するように拡散したりする。ビート、ノイズ、パルスは、その映像と同期している。最初、線も音も原初的だったけれど、やがて線は山の地形のようなものを形成するに至り、音もヘテロフォニーにまで発展する。
あとはひたすら、浴びるように視覚と聴覚で捉え続けるだけである。

《NMD 2021-#1》。クオピオにいる窪田翔には、2つのサスペンデッドシンバル。ロッテルダムにいる作曲者の両手には、自作のMIDIコンダクター。2人がどのようにして音をやりとりしているのか、見ているだけではわからなかった。どうやら、打楽器の音を、MIDIコンダクターがリアルタイムで処理し、打楽器奏者のもとに送り返しているらしい。そして、MIDIコンダクターをどう動かすかで、その処理の仕方も変わってくる。それに応じて、打楽器奏者の出したい音も、変わっていくようだ。2人のやりとりは、とても緊張感に満ちている。いや、2人の、というよりかは、2人で1つのなにがしかである。新たな音の関係性からなる複合体、新たな1つの楽器を聴衆の目の前でつくりだしていくのであった。

配信のままならなさのせいもあって、次回第5回公演への期待が高まる。その頃にはどうか、状況が良くなっておりますように。

(2021/3/15)

 

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<Artists>
Aki Kitajima(Violoncello)
Shizuka Kuretani(Piano)
Edwin van der Heide(Sensor instrument)
Sho Kubota(Percussion)
Momoko Noguchi(Hacked piano)

<Program>
Yannis Kyriakides: Legerdemain for Piano, electronics.
Hibiki Mukai: Phantom Avem*
Taro Yasuno: The Last Night in Urawa**
Motoki Ohkubo: “yeah, I see. huh? uh-huh, yup.” for cello, piano, dynamic score and video**
Akiko Ushijima: La mémoire inconsciente for violoncello, piano, electronics and video images (Visual : Kei Fushiki)**
-intermission-
Momoko Noguchi: “In Microcosm”“Antique Clock”for Hacked piano (2021, Improvisation)**
Maya Felixbrodt: “Float” from the series “Traveling Viola” Composed and performed by Maya Felixbrodt, video footage by Shelly Yosha, editing by Shelly Yosha and Sahar Visel**
Darien Brito: Strange Attractors**
Edwin van der Heide: NMD 2021-#1(Percussion : Sho Kubota)**
Aftertalk (around 40 minutes)
( **World premiere / *Japan premiere )