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漢語文献学夜話|”macroenvironment” and “microenvironment”|橋本秀美

“macroenvironment” and “microenvironment”

Text by 橋本秀美(Hidemi Hashimoto)


儒家の経典に関する学問、特に礼学について勉強しようとする時、最も重要な参考書は孫詒讓の『周礼正義』だ。『周礼』鄭玄注の解説書という形態を取りながら、実際には清代の経典解釈や礼学の成果を要領よくまとめてあるので、最も手軽に標準学説を確認することができる。孫詒讓は地方の名士で、『周礼正義』を編纂するに当たっては、学の有るお妾が何人もいて、資料転写などの作業を手伝っていた、という話も有る。非常によく出来ていて、有り難い、欠かせない参考書であることは確かだが、孫詒讓がそこでしていたのは学説の整理であって、独自の発明は少ない。孫詒讓自らの創造的作品としては、このコラムで以前に言及した『周礼政要』が有る。

金鶚の息子の識語

『周礼正義』で正解として採用されている学説の中で、最も重要な礼制の学説は、金鶚が発明したものかと思う。金鶚は、科挙で佳い成績を出せず、一人礼制の研究に打ち込んだ。陳奐という学者が、ある時、宿屋で隣室から経典を朗読する声が聞こえるので、声をかけた所、科挙で出世しようとするような御仁には関わり合いの無いことです、と、つれない答え。いや、私はそのような者では有りません、ということで金鶚の研究内容を知るに至ったと言う。生前、少なからぬ学者たちから一目置かれていたと言うが、何分身分が限られ、経済的にも独立できず、支援してくれる官僚の家で五十に満たぬ人生を終えた時には、葬儀費用も持っておらず、その官僚が世話したと言う。著作は、没後かなり経ってから、前述陳奐の斡旋によって刊行された。つまり、その学術成果は、生前に広く認知されることがなかった。しかし、刊行されてみると、優れた理論となっていることは明らかなので、広く受け入れられるようになり、孫詒讓『周礼正義』も、一部行き過ぎた推論には修正を加えながらも、金鶚の説をほぼ全面的に採用している。
孫詒讓は、『墨子』の読解や、文字学の領域でも目覚ましい業績を挙げているから、近代以降の学術に深い影響を与えており、学界の評価は高い。一方、金鶚は礼学説の専著一つだけで、しかも生前同時代の学者に影響を与えることが殆ど無かったから、学術史的評価もそれほど高くない。それでは、金鶚の人生は孫詒讓より辛い、つまらないものであったか、と言えば、そうではないだろう、と私は思う。金鶚は金鶚で、良い人生を生きたと思う。それは、死後に多くの人がその遺作を集め、論文集の補編が編纂され、再版までされ、多くの議論が標準学説として認められたから、ではなく、支援者の官僚の世話になって生き延びた晩年も含めた一生の時間の事として、満足すべき良い人生だったと思う。


私の好きな古代の学者は、金鶚の他に、漢の鄭玄、隋の劉炫、清の顧千里など、又、近代日本の島田翰や倉石武四郎なども、学風は異なるが、いずれもただ一人で読書をしていた人たちだ。一般に、学問は正に学習から始まる。学界の先輩たちの業績を学んで、問題意識と研究方法を身に付け、先人の学説の上に更に一歩を進めようとするのが普通だ。しかし、その場合、当時の学界の既成の前提を当然のこととして身に付ける結果として、根本的な創造性に富む研究を生み出す可能性は大きく限られる。鄭玄・劉炫・顧千里らは、当時の学界の問題意識や研究方法を学びながらも、学界から距離を置き、一人読書する時間を十分に持った。政治家や官僚をやっていては、根本的疑問を抱えて思考することは難しい。例えば、王粛や杜預はいずれも朝廷の高官でありながら、漢代の学術を否定する新たな注解を作ったが、その際に頼りにしたのは、現実的合理性であった。現実を参照して解釈を調節する作業は、文献を吟味し、考えて組み立てるという創造的過程を必要としない。


現在、中国も台湾もアメリカも日本も、学術研究は市場制度化が著しい。研究は、計画が必要とされ、どのような方法でどのような問題をどのように研究し、どのような成果が期待されるかを詳細に事前に説明し、規定の期間終了後にその成果を報告することが求められている。そして、研究計画も研究報告も、学界による評価を経なければならない。このような制度下において、学界の常識を裏切るような創造的研究が極めて困難であることは、言うまでもないだろう。作業計画に従って生み出されるものに芸術的価値が有るはずもない。出来るのは、現実・事実を参照して解釈を調整することだけだ。だから、社会学は統計調査中心のものとなりがちだし、人文研究はシンポジウムをやって論文集を作ることで体裁を整えるというようなことが多い。
何故そんな不毛な制度になっているのかと言えば、それはカネの問題だからだ。大学も研究機関も、カネが無ければ維持できない。しかし、カネは研究の経費を賄うだけではなく、食事をしたり遊興に使ったりすることもできるもので、市場を通してあらゆる事物に値段が付けられる。カネが本質的にそういうものであるなら、市場的評価に従って経費を分配するのが公正だ、という考え方が一定の説得力を持つ。値段のつけられない個人的行為や思考こそ、人間にとって本質的に重要なのだが、カネが無ければ生活が成り立たないのも疑いようもない現実。そういう矛盾を抱えて、我々は生活している。


中国語には、「大環境」「小環境」という言い方が有る。日常的によく使われる例では、家庭や職場を「小環境」と呼び、政治や経済の社会情勢を「大環境」と呼ぶ。この二つの「環境」は、中国では非常に自然に、はっきりと違うものとして感じられる。前者が顔の見える人間との関係であるのに対し、後者は個人を超えた社会との関係だ。内戦や恐慌のような政治・経済の状況は、個人の生活を根底から規定するもので、極めて重大であるが、個人がそのような大環境を左右したり影響を与えたりすることは出来ないから、与えられた状況に対応していく他ない。一方、家庭や職場は人間関係の問題であって、個人の精神が生きるのも死ぬのもそこに懸っているし、本人の振る舞いも重大な要素となっている。従って、良好な「小環境」が得られている場合、本人の満足度は非常に高くなる。
金鶚は、生前、高い社会的地位・社会的評価を受けることなく、貧困のまま人生を終えたから、当時の「大環境」は彼にとっては不利なものだったと言えるだろう。しかし、「小環境」としては、理解者・支持者を得て、何とか生活は成り立ち、優れた研究成果を挙げることができたから、満足すべき良い人生だった、と私は思う。
私は、自分が恵まれた環境で生活を続けて来られたことを幸せに思っているが、一人で市場に放り出されたことを想像すれば暗澹たらざるを得ない。鄭玄の注を読解できて、千数百年の無理解を打破する大発見だ、と一人で興奮していても、そんな成果に値段は付かないので、牛丼一杯すら手に入れることができない。研究で食っていくことなど不可能で、教員として雇ってくれる学校が有るから、何とか生活できているに過ぎない。しかしそれは、現在の「大環境」は私の読書に高い価値を認めるものではない、という当たり前の話で、重要なのは、私は「小環境」に恵まれたから、「大発見」して悦に入る自由が得られている、ということだ。勿論、現在の「大環境」には大いに不満だし、不幸に苦しむ人々のことを思えば悲しみが止まることも無いが、私自身は感謝と満足の気持ちで人生を終えていきたい。

政治批判を堅持して逮捕されることを選んだ香港の新聞社社主

以前のコラム(2020年6月号)で、中国の統治者にとって、「民衆は、人に襲い掛かる恐れの有る獣・虫の群れや、いつ津波を起こすか分からない海のような、非人間的自然物と捉えられている」と書いたが、民衆個人から見て、政治・経済などの「大環境」も、全く同様に獣や海のような非人間的自然物に違いない。政治・経済は人間の営みには違いないが、民衆個人にとっては、全く手の届かない所で変化するもので、自然環境と同様だ。天気が良ければ洗濯をし、台風が来そうなら雨漏りを直す。文句を言っても始まらないから、いかに上手く対応していくかを考える。日本も大体同様で、結局政治・経済は我々自身の手の届かない所に在るのであって、つまり民主主義などではない。
朱子がまとめた儒家的政治理論は、『大学』の「修・斉・治・平」で、個人間の人間関係を外に広げて行くことで、地方・国・世界も平和に治められる、という考え方。個人間において、相手を思いやる「仁」が重要だ、というのは分かりやすい。しかし、個人を超えた社会ということになると、異なる人々の間で矛盾する利害を、「思いやり」で調整できるとは思われない。実際には、全ての人々に適応できるような詳細な「法」を定めるような努力はなされず、「国家利益を損ねたら処罰する」といった国家権力にフリーハンドを与える「法」を作って、批判する者は弾圧し、迎合する者には利益を与えていく。横暴な家長が子弟を遇するように、相手に応じてアメとムチを使い分ける、それは、古代から現代まで変わらない。それどころか、そのような粗暴な方法が、国際的にもますます有効に機能しているように見える。それは、アメとムチの方法が、カネを重視する資本主義市場制度に対して極めて有効だからだ。資本は必然的に専制官僚体制に迎合する。そして、あまりにも大きくなった資本が、政権に対する脅威を構成すると看做されれば、その資本は政権に暴力的に没収されてしまう。資本は、アメで市場を左右するが、ムチの強制力を持たないから、専制官僚体制に屈服せざるを得ない。それを中国式社会主義の成功と言うのだとすれば、随分と憂鬱な話だ。

(2021/3/15)

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橋本秀美(Hidemi Hashimoto)
1966年福島県生まれ。東京大学中国哲学専攻卒、北京大学古典文献専攻博士。東京大学東洋文化研究所助教授、北京大学歴史学系副教授、教授を経て、現在青山学院大学国際政治経済学部教授。著書は『学術史読書記』『文献学読書記』(三聯書店)、編書は『影印越刊八行本礼記正義』(北京大出版社)、訳書は『正史宋元版之研究』(中華書局)など。