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カリフォルニアの空の下|死の谷を超えて|須藤英子

死の谷を超えて
Beyond the Death Valley

Text & Photos by 須藤英子(Eiko Sudoh)

◎デスバレーにて
カリフォルニア州デスバレー国立公園。世界屈指の猛暑地であるこの地帯では、昨夏には最高気温54.4度という強烈な暑さが記録された。“死の谷”というその衝撃的な名前から、かねてより一度は行ってみたいと思っていた私は、パンデミックがまだ小康状態だった昨年11月、意を決してその地を訪れた。


ロサンゼルスから車で5時間ほど北上した、荒涼たる乾燥地帯。そこに、北米で最も海抜が低い“バッドウォーター”や、巨大な鋸歯状の岩塩が地表を覆い尽くす“悪魔のゴルフ場”など、数々の異様な景観スポットを内包するデスバレー国立公園が横たわる。自然の脅威をむき出しにしたその光景の中では、11月という気候快適なベストシーズンにも関わらず、動物はおろか、鳥や虫すらも滅多に目にしない。生き物の気配が、感じられないのだ。

何より驚いたのは、そこに音がないことだった。岩や砂などの静物が佇む中、日の光だけが移ろう無音の世界。私はそこで初めて、“デスバレー”という名前が腑に落ちた気がした。もともとは19世紀中頃のゴールドラッシュの折、カリフォルニアに向かう移民の一行がこの谷に迷い込み、酷暑と水不足のために命を落としたことに由来するというその地名。だが私にとって音のないその場所は、死後の世界そのもののように感じられた。

 

◎アメリカのコロナ死
その後のコロナ感染拡大により、ロサンゼルス郡の死者数はうなぎ上りに増加し、年末からは再度厳しいロックダウン措置が取られた。レストランは再び飲食禁止となり、美容院やネイルサロン等も再閉鎖。それでも一日の死者数は500~600人を推移し、病院の外には遺体安置のための冷凍車が続々と配備される。そんな状況に、生活必需品の買い物にさえ恐怖を覚える日々であった。

アメリカ全土の累計死者数、52万人…。この連載を始めた一年前には、これほどの悲劇が現実に起きるとは、予想だにしていなかった。大事な人々との突然の別れ、何気ない日常の豹変…。どれほど多くの人々がこの悪夢に震え、絶望に打ちひしがれたことだろうか。

時のトランプ政権の対応にも、問題があった。科学を軽視したその姿勢は、コロナ禍の大統領選挙においてトランプ派の象徴的スタイルとなり、マスク着用等、国としての基本的な感染対策が為されないまま、尊い命が失われ続けた。政治の力がこれほどまでに人々の生に直結することに、脅威を感じた一年であった。

 

◎新政権が発足して
SNSを重要な発言ツールとし、社会の分断と混乱を煽り続けたトランプ前大統領。選挙での敗北を認めず、支持者による米議会襲撃をももたらした彼は、最後にはSNS上からも排除された形で退任を迎えた。米議会というリアルな場、そしてSNSというバーチャルな場の両方において、民主主義の崩壊を目の当たりにした瞬間だった。

その後、就任演説で「民主主義」と「団結」を連呼したバイデン政権が発足。ホワイトハウスからの情報発信も統制がとれ、“これが普通だった”という感覚を思い起こす日々である。トランプ派の燻りは続いているようだが、それでもコロナ対策やワクチン供給、そして失業者救済等の措置が次々と講じられる中、これまでに蓄積された様々なひずみが少しずつ是正されていくのを感じずにはいられない。

年末年始の悪夢が収まり、街も再び動き始めた。そして遂に、子どもたちの小学校も再開した。実に、約一年ぶりの対面授業である。ソーシャルディスタンスを保つため、クラスは午前グループと午後グループに分けられ、各々半日ずつ登校する。校内でも様々な規制があるものの、やはり皆と直接会える生活は楽しくて仕方がないようだ。何気ないクラスでの様子を生き生きと話す子どもたちに、学校という場が彼らの成長に不可欠であることを、改めて痛感する毎日である。

 

◎生きるための音楽
嵐の中に居続けたようなこの一年。思えば、死をこれほどまでに間近に感じたことは、これまでになかった。変わりゆく現実を目の当たりにしながら、為す術もなくただただ時を過ごしてきた日々。ようやくトンネルの出口が見え始めた今、自分が“生き延びた”ことを実感する。

“生きる”とは、もしかしたらそういうことなのかもしれない、と思う。常に何らかの期日をめがけて暮らしてきたそれまでの生活は一変し、先が見えない毎日を無我夢中で過ごした一年。そんな時間の積み重ねこそが、今となっては唯一の生きた証である。ならばその生の瞬間瞬間をもっと受け止め、受け入れ、噛みしめるような生き方を、これからはしていきたい。

そして考える、そのためにこそ音楽があるのだ、と。移ろう音に身を浸しながら、自分が生きる一瞬一瞬を味わう。その行為自体がまさに、“生きる”ことそのものと言えるのではないか。“死の谷”デスバレーでの無音の世界を思い出しながら、今改めて失われた命に想いを馳せると共に、音楽という営みの貴さを知る、カリフォルニアの春である。

(2021/3/15)

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須藤英子(Eiko Sudoh)
東京芸術大学楽理科卒業、同大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメント等広く学ぶ。2004年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。06年よりPTNAホームページにて、音源付連載「ピアノ曲 MADE IN JAPAN」を執筆。08年、野村国際文化財団の助成を受けボストン、Asian Cultural Councilの助成を受けニューヨークに滞在、現代音楽を学ぶ。09年、YouTube Symphony Orchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。12年、日本コロムビアよりCD「おもちゃピアノを弾いてみよう♪」をリリース。洗足学園高校音楽科、和洋女子大学、東京都市大学非常勤講師を経て、2017年よりロサンゼルス在住。