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特別寄稿|私のフランス、私の音|『私が出会った作曲家と子孫達』その2~ ショーソンとアーンの家族とCD録音|金子陽子

『私が出会った作曲家と子孫達』その2
ショーソンとアーンの家族とCD録音
Ernest Chausson et Reynaldo Hahn
« Nul n’est prophète en son pays / No man is a prophet in his own country» 

Text by 金子陽子(Yoko Kaneko)

1, エルネスト・ショーソン(1855-1899)

エルネスト・ショーソン

パリ音楽院の室内楽クラスに入門と同時に私と3人のフランス人で1988年に結成されたガブリエル・ピアノカルテット、音楽院卒業(プルミエプリ)後、第3課程(大学院)に首席入学、イタリアの国際コンクールでの受賞、奨学金や財団賞と沢山の関係者、主催者の方々からの応援を頂いて、1996年にはマルセイユにあるリランクス社よりCDデビューが決まった。CDを録音した場所は、マルセイユ旧港の界隈にある古い教会堂で、そこにはリランクス社所有の年代物のスタインウエイのピアノが置かれていた。
無名の常設グループのデビューCDの選曲は慎重でなければならず、私達が最も多く演奏を重ねて演奏に自信があった「フォーレのピアノ四重奏曲」は、曲が有名すぎる為に評が厳しくなるのでは、との懸念から、ショーソン (Ernest Chausson, 1855-1899) とルクー (Guillaume Lekeu, 1870-1894) のピアノ四重奏曲を選ぶことを4人で決めた。
レコーディングをした8月、私は第一子の妊娠6ヶ月で、すでに目立つお腹を抱えていたが、体内で時折賑やかに踊る胎児の成長ぶりを微笑ましく感じながら無事に録音を終え、マルセイユの潮風や料理も満喫してパリに戻った。セロハンがかかったCDが工場から出荷されて手元に届いたのは、ちょうど生まれたばかりの長女と共に退院した11月の終わりだった。
4月号にも書いたように、妊娠中も出産後も女性が働き続けるのはごく当たり前なヨーロッパにいたお陰で、CD録音から出産直前のコンサートまですべての予定を滞りなくこなすことができ、関係者には感謝している。

ショーソンとルクーのピアノ四重奏曲も、フォーレと同じく4人で演奏して暖めてきた自信レパートリーであったとはいえ、このデビュー録音が日本の『レコード芸術誌特選』フランスの『ルモンド音楽誌ショック賞』そしてその年の『新アカデミー大賞』にまで選ばれたのは正直驚きであった。フォーレと比べると遥かに知名度は低いが、当時すでに、レジス・パスキエ兄弟、先輩にあたるカンディンスキー、エリゼアンといった、常設ピアノ四重奏団がショーソンやルクーのピアノ四重奏曲を録音していたからだ。しかし、それらを聴き比べ、フランス語のショーソンの伝記を頑張って完読し、個人的に国立図書館にも通い、とりわけルクーの未完の自筆譜について調べたり、学内演奏会を含めて多くの場で取り上げて『作曲家が意図した演奏スタイル』とショーソンに関してはとりわけ『フランス音楽の美学、特有なピアノのタッチと色彩』を探求してレコーディングに臨んだ末に生まれたCDを、名誉ある『大賞』という形で権威のある批評家や音楽学者の方々に認めてもらえたという事は、若く、自信もなく、無名だった私達が、信じる道を進み続ける姿勢に対しての天からの最良の答えと励ましであった。

このデビューCDの発売に於いて『夢のような』体験もした。自分達のCDが実際にレコード店に置かれているのかと、パリの凱旋門の近く、テルヌ通りの『FNAC』(フランス最大のレコード、書籍、オーディオ専門店)に独りでこっそりと立ち寄った時のこと、CD売り場に近づくと、なんと私達が演奏しているショーソンのメロディーが響き渡り、売り場内のスペースには『ルモンド音楽賞受賞!』と大きな活字で記されたカルテットのポスターと共に、沢山のCDが重ねられ、顧客が座って試聴できるよう、まるでパヴァロッティかカラヤンのCDと同じ様なVIP扱いで紹介されていたのだ。私は驚きで心臓の鼓動が速くなり、感動で涙が溢れそうになった。(日本でも都内の大手レコード店で、店長さんの個人的メッセージ入りでCDを宣伝頂くなど、熱の入った歓迎を受けて感激した)

2,”Nul n’est prophète en son pays / No man is a prophet in his own country”

パリ17区に立派な邸宅を持つショーソンは、1899年の夏の初めに、ノルマンディ地方に近い、リメイという村に夏の間借りた別荘の近くで、不慮の自転車事故で命を失った。まだ44歳の若さだった。音楽学者ジャン・ガロワ氏の著による優れたショーソンの伝記 « Ernest Chausson » (Jean Gallois, Edition Fayard)によると、15歳の長女といつものように夕方のサイクリングに出かけ、下り坂を降りた到達地点で、前行していた長女が後ろを振り返ると父親の姿がなく、自転車ごと坂の途中で転倒していたという。長女が受けた精神的ショックを想像するだけでも心が痛む。葬儀には親交の深かったドビュッシーも参列したと伝記に記されている。

パリのショーソン宅の音楽サロンで演奏するドビュッシー

ショーソンの唯一のオペラ『アルテュス王(アーサー王)』は、彼の死後1903年に、フランスではなくベルギー、ブリュッセルの王立オペラ座で初演、パリでは1916年に第3幕だけが演奏されて以来歴史から全く忘れられていた。作品を支持する関係者達が何度もパリのオペラ座で演奏される様後押しをしたにも関わらず、永年演目に取り上げられなかった。良く耳にすることだが『フランス音楽』は、フランス国内では思いのほか冷たい扱いをされる傾向があるようだ。それは、とりわけ1970年代以後の傾向なようだが、主要オーケストラの音楽監督が外国人に占められる事が多くなったこととも関係しているらしい。インターネット時代となって、パリのオペラ座の過去からの演目をサイトで一覧できるのを見つけたが、ビゼーの『カルメン』、マスネーの『ヴェルテル』や『マノン』、グノーの『ファウスト』が『ヒット作品』であるのに対して、ショーソンはいつも落選。関係者から耳にしたその理由はというと、当時のほぼすべてのフランスの作曲家達の『病』とも言える『ワーグナーの影響』が聴こえてしまうから、という弁だったことには驚いた。このワーグナーの影響はフォーレやドビッシーの作品にも勿論見られる。
ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』にしても、フランス全体ではほぼ毎年どこかで取り上げられるが、パリに絞ると数年に1度の上演程度、むしろラヴェルの『子供と魔法』、プーランク、とりわけヤナーチェクのオペラが頻繁に登場しているのが解る。

新約聖書のルカとマタイによる福音書に『預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ』”Nul n’est prophète en son pays (仏語)/ No man is a prophet in his own country (英語)”というキリストの言葉の記述がある。この表現は、歴史上優れた人物が自国より外国で認められることが多い、という意味で、フランスでも頻繁に使われる。

オペラ『アルテュス王』は、2015年になってようやくパリのオペラ座で再演が決定し、沢山のファンと共に、私も待ちに待った生の舞台を広大なバスチーユオペラ座のホールで満喫することができた。ショーソンのハーモニーとオーケストレーションが醸し出す色彩の美しさ、一世を風靡中のロベール・アラーニャ氏の名演が実に見事で、こんなに永い年月取り上げられなかった事が作曲家の才能と努力に対して心より理不尽に感じられ、『預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ』とのキリストの言葉を私は再び思い出していた。

さて、悲劇的なショーソンの急死から100年経った1999年、木造で響きの良いパリのオルセー美術館ホールで記念コンサートが開催され、ショーソンの一生、私達のCDの録音、娘の誕生など、様々な事を頭の隅で思い出しつつ、感慨を込めてピアノカルテット作品30イ長調を演奏した。演奏後、ショーソンの孫という年老いた品格のある男性が「演奏に感銘した」と楽屋を訪れられたことは、更に感慨深いシーンとして今でも記憶に焼き付いている。その方は音楽家ではなく、パリ高等師範学校(エコーノルマル)とパリ第7大学で化学の教授として研究も続けている高名な学者だった。その後2−3度だけ手紙のやりとりもしたが、誠に真摯な印象を受けた。名刺もお名前も年月が経って失念していたのだが、家の総整理をした昨年夏に氏の名刺を再発見し、インターネットで名前を検索、科学者としての業績と共に、2011年に他界されていたことを知った。

3, レイナルド・アーン(1874-1947) の室内楽作品

レイナルド・アーン

このショーソン没後100年の記念演奏会は、更に新たなCDが誕生するきっかけともなった、というのは、ショーソンの孫に同伴され、楽屋で至極明るく私達に話しかけて来た黒眼鏡の紳士が、当時、歌曲とオペレッタ『シブレット』を中心にしかまだ知られていなかった、ベネズエラ出身のフランスの作曲家、レイナルド・アーン (Reynaldo Hahn, 1874-1947) の甥っ子の子供(?) という 、ダニエル・ド・ヴェンゴエチャという人物だったのだ。レイナルド・アーンは、誰もが名を耳にしたことがある大作家、マルセル・プルーストと若い時に親密な間柄にあり、文壇との親交の深さが、彼の歌曲の世界での知名度と関係していたようだ。出身地である『南米』らしさなどほとんど作品には表れず、完璧に品格のある、フランスらしい中庸な明るさが醸し出される作風であるが、これも、外国人としての客観的な視点や憧れに由来しているのかもしれないと私は考える。

「ボンソワール!ブラボー!ところで、私の大叔父のアーンも沢山室内楽曲を書いています。是非弾いてみてください!」と、当時まだ楽譜も思う様に手に入らない為にほとんど知られていなかったアーンの室内楽作品を、私達若手に正に『売り込み』に来たのだ。エネルギー溢れる氏のはきはきとした明るさは、ショーソンのお孫さんとは違った意味で印象的だった。そして私はというと、幸いパリの中古楽譜屋に通い、アーンのピアノ四重奏曲を掘り出してすでに購入していたので、又とないこの出会いの訪れにニコリと笑顔で「実を言うと私はアーンのピアノ四重奏曲の古い譜面をすでに購入して持っています!今度演奏する折りには是非聴きにいらしてください!」と即答し、名刺を交換した。大叔父さんの作品を世に知らせようと情熱を持って奔走した氏のお陰で、パリの楽譜出版社サラベール (Salabert) 社の社長がアーンの一連の室内楽、ソロ作品の再出版を実現、そしてやはりアーンの歌曲を中心にフランス音楽の録音に力を入れていたレコード会社『マゲロヌ / Maguelone』とも提携して、ガブリエル・ピアノカルテット、ローラン・ピドウ氏と若手達によるチェロ六重奏(歌曲からの編曲)、私にとって初めてのピアノソロ録音ともなった『ワルツ集・Premières Valses』と共に、アーンの新しいCDがリリースされることになった。録音はパリ11区の音楽院のホールにて、音楽院所蔵のYAMAHAのなかなか快適なピアノを使用した。このCDは全曲がYoutubeに公式公開されており、以下にワルツ集と六重奏曲を除く一部をご紹介しておく。

– ジェローム・パンジェ(チェロ)金子陽子(ピアノ)の未完成のチェロ協奏曲(ピアノとチェロ版)
https://www.youtube.com/watch?v=3y9s-jhajAc
https://www.youtube.com/watch?v=HZ9WE4awfUo

– ヴァンサン・オコント(ヴィオラ)金子陽子(ピアノ)ソリロックとフォルラン
https://www.youtube.com/watch?v=KD2lm4H6zM0
https://www.youtube.com/watch?v=ZTeRUrkyf4M

– ガブリエル・ピアノカルテットによるアーンのピアノ四重奏曲の1,2,3,4楽章
https://www.youtube.com/watch?v=HXWipQe32Ls
https://www.youtube.com/watch?v=tS_-K9v33T0
https://www.youtube.com/watch?v=0bu2EOTNV0M
https://www.youtube.com/watch?v=6dmKzemhidY

私がピアノ独奏を担当した、大変にフランス的で洗練された、『ワルツ集』 の演奏は、誌上で高評を頂き、2004年のフォルテピアノ完成後のソロ活動へ向けての意味のある第一歩となった。
抜粋で第9番『木の葉』をご紹介しておく。
https://www.youtube.com/watch?v=wYzYg1qXIK4

又、2014年の日本公演の折り、作品の存在を当時まだご存じでなかった室内楽の重鎮で恩師のジャン・ムイエール氏にアーンの『ヴァイオリンとピアノのためのノクターン』の楽譜を差し上げて共演をお願いした。フランスでのライヴ画像が、以下の氏のサイトで視聴できる。(ラ・ロッシュギュイヨン城の大広間でのコンサート)
https://www.youtube.com/watch?v=FtI7nxBdetI

アーンのCD録音実現に際してはある「ハードル」が存在した。それは楽譜の著作権の問題だった。当時すでに廃盤になっていたアーンの印刷された「楽譜」の原本を演奏者かレコード会社が持っていない限り、コピー譜では公開演奏、録音共に法律で禁じられていたのだ。幸い、日本で貴重な楽譜コレクションをされている業界の方を存じ上げ、ご親切にも原本を貸与いただいたお陰でCD録音が2002年に実現したという訳だ。この場をお借りして再び御礼を申し上げたい。

世界初録音となったアーン室内楽集のCDジャケットの裏面

https://reynaldo-hahn.net/index.htm
(アーンの遺族の尽力で立ち上げられた大変に充実したフランス語の公式サイト)

あれから20年が経ち、ショーソン、アーンの作品はより頻繁に演奏される様になったと思う。楽譜がどこでも手に入るようになったことと、忘れられた作品を紹介する演奏会シリーズも増えている為もあるだろう、Youtubeへの若いグループの投稿が増えているのも微笑ましい。
私達の音楽活動がフランスの室内楽作品の普及にもし一石を投じたと言えるのであればそれはとても嬉しいことだ。
(2月号に続く)

(2021/1/15)

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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。
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