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自選<ベスト・レビュー> &<ベスト・コラム>(2020年)

自選〈ベスト・レビュー〉     →〈ベスト・コラム〉

本誌 2019/12/15 号〜2020/11/15 号掲載のレビューよりレギュラー執筆陣中8名が自選1作を挙げたものである。

◆大河内文恵(Fumie Okouchi)
オリーブ・コンソート リコーダーによる作法(ジェスティ)の新旧
2020/1/15号 vol.52

言うまでもなく、今年の自選レビューは悩みに悩んだ。コロナ禍前とコロナ禍中(コロナ禍後、でないところが辛い)とでは、まったく様相が異なるからだ。コロナ禍中のレビューはいまだ手探り感が拭えず、コロナのコの字もなかった頃に思いっきり書けたものを選んだ。こんな風に書ける日が早く訪れることを願いつつ。

◆丘山万里子(Mariko Okayama)
ヴォクスマーナ&川島素晴
2020/4/15号 vol.55

コロナ初期の3月公演。ヴォクスマーナ終演後の和やか密ロビーと、川島の異常に緊迫高揚ステージ&客席。筆者その1ヶ月前くらいローカル列車で手も洗わずおにぎり、とか危ないこと多々して感染死も十分あり、ここに集った連中みなその可能性ありなんだから言いたいことは全部いっちまえ、遺稿になるならそれも良かろう、くらいの勢いで筆が走った。本来、ものを書く人間はいつもそうであらねばならぬ、だろうが。

◆小石かつら(Katsura Koishi)
エンヴェロープ弦楽四重奏団 ベートーヴェン2020 第2回公演
2020/7/15号 vol.58

音楽が日常にある、というと素敵な感じがする。「配信」される音楽は、日常にどのようにもぐりこんでいくのだろう。この評を書いたのは7月。今この文章を書いているのは翌1月。半年の内に「禍」に蝕まれ、何が日常で何が非日常かの感覚がおかしくなった。「配信」にもいろいろあるが、日常と非日常の境を物理的に往復できる「場(演奏会)」に「置き換えられる」ものではないことは、よくわかった。

◆齋藤俊夫(Toshio Saito)
工藤あかね&松平敬 Voice Duo vol.2 あいうえお
2020/2/15号 vol.53

演奏会の愉快さが(何故かわからないが)行間からにじみ出ており、かつ無駄な自意識が感じられず、自分で読んでもアルバムの写真のように眺めて楽しくなるレビュー。これが丁度1年前、と思うとコロナ禍というものがいかに世界と自分を変えたかについて考えさせられざるを得ない。

◆谷口昭弘(Akihiro Taniguchi)
NHK交響楽団 11月公演 東京芸術劇場
2020/12/15号 vol.63

コロナ禍において限られたコンサートの中から、アメリカ音楽をまとめて聴くチャンスというのは貴重で、昨年の「ビヨンド・ザ・ボーダー音楽祭2019」同様、なんだかんだ言って馴染みのある分野のレビュー文というのは書きやすいのだなあと思った次第。コンサートをもっと選んでいくということを考えていきたいと自分に言い聞かせつつ、これを選んだ。

◆藤堂清(Kiyoshi Tohdoh)
BOF アレッサンドロ・スカルラッティ:《貞節の勝利》
2019/12/15号 vol.51

2019年12月号から2020年11月号の中からとなると、コロナ以前か以後かでレビューの基準も書き方も変わってきており、それを同列に評価することはむずかしい。今回はビフォーコロナに書いたものの中から、公演の意義、演出、演奏についてバランスよく書けたと感じたものを挙げる。もはや戻ることのできない地平へのオマージュ。

◆西村紗知(Sachi Nishimura)
東京シンフォニエッタ 第47回定期演奏会
2020/08/15号 vol. 59

近頃本当に筆が遅い。状況が状況だけに、作品そのものに心を開こうとしても、そうすればなおのこと、ジャーナリスティックな問題意識に囚われてしまう。演奏会評には、できれば文明批評めいた文章を入れたくない。なにかの言い訳に見えるから。そうして、なかなか自ずから文章が出来上がってこない。
自粛期間が一旦明けて、久々に生の音響を体験する機会となった東京シンフォニエッタの定期演奏会。自宅に籠って変なふうに凝り固まった五感が、少しずつ解れていくのを感じていた。今でもその感覚を思い出すことができる。
早く状況が良くなることを祈って。

◆能登原由美
《サイレンス》(原作:川端康成「無言」)
2020/2/15号 vol.53

批評を書く上で今の私が目指しているのは、演奏の良し悪しを伝えることではなく、目の前で起きた音楽/舞台の現象を言葉に書き留めるとともに、それでいて自己完結していないような、読み手に問いや発想の欠片を渡せるものであること。満足したためしはないが、昨年1年の間に書いたものの中で挙げるとするならこのレビュー。

 

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自選<ベスト・コラム>

本誌 2019/12/15 号〜2020/11/15 号掲載のコラムよりレギュラー執筆陣3名が自選1作を挙げたものである。うち、林喜代種氏はコメントのみ。

◆丘山万里子(Mariko Okayama)
音楽の未来って(4)続・楽譜を読むとは
2020/7/15号 vol.58

日本の西洋音楽受容について考える時、昨今の邦人演奏家の中堅、若手たちの仕事ぶりには耳目を拓かれる思いがする。本場信仰に未だ固まる人々は居ようが、フラットに見渡せる視点とそれを表現する力・技術を備え、自由な発想を持つ層が着々と足場を築きつつある。それを具体例とともに書いた。批評は、この具体から離れてものを言ったり書いたりするものではない、と、コロナは筆者にそう教える。

◆林喜代種(Kiyotane Hayashi)
ベストコラムなし

今年は辞退するつもりでした。2020年の ‘撮っておきの音楽家たち‘ はコロナ禍の影響ためにコンサートが少なくなり、ついにほとんど撮影が不可能になりました。昨年の3月初めまでは上野でも銀座でも春節の休暇利用して中国からの人や外国からの観光客や家族連れで溢れていました。それでもマスク着用、手指の消毒、人との距離をとるなど三密の対策で行われていました。4月に緊急事態宣言が出されてから全国的に学校が休校になり、コンサートも中止や延期が相次ぎました。そしてついに演奏会はなくなくなりました。緊急事態宣言が解除されてもコンサートはなかなか元に戻りませんでした。‘撮っておきの音楽家たち‘も撮影できませんでした。そんな中で新聞に音楽家の訃報が報じられました。取り敢えず、撮影している音楽家取り上げました。意外と多くの音楽家の人が亡くなりました。自選コラムというものはありません。撮影時の想い出に浸るのみでした。全てが印象に残ったと感じさせるものでした。

◆松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
カミュ『ペスト』の予言
Revival of Albert Camus’s “The Plague”
2020/8/15号 vol.59

疫病によって自由を失い、愛する人と会うことも出来ないとき、どう生きればよいのか?コロナ禍への問にカミュが答えてくれるのは、実に不思議だ。「ペスト」は写実ではなく、戦争か強権支配のアレゴリーのはずだが、コロナを生きる僕たちにとって、日常の手引きになるほどの確かさがある。おまけに「ペスト菌は決して死ぬことなく、隠れていて、いつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、どこかの幸福な都市に来るであろう」と正しい予言までしている。3ヶ月ほどかけてていねいに読んだつもりだが、他の著作を読み直した後、また『ペスト』に戻ったら違った風景が見えてきそうだ。

(2021/1/15)