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庄司紗矢香×ヴィキングル・オラフソン|能登原由美

庄司紗矢香×ヴィキングル・オラフソン
Sayaka Shoji × Víkingur Ólafsson

2020年12月17日 住友生命いずみホール
2020/12/17 Sumitomolife Izumi Hall
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 樋川智昭/写真提供:住友生命いずみホール

〈出演〉        →foreign language
ヴァイオリン:庄司紗矢香
ピアノ:ヴィキングル・オラフソン

〈曲目〉
J. S. バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第5番へ短調BWV1018
バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ第1番Sz.75
〜休憩〜
プロコフィエフ:5つのメロディop.35bis
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調op. 100
〜アンコール〜
バルトーク:ルーマニア民族舞曲
パラディス:シチリアーノ

 

すでに共演を重ねて久しいという庄司紗矢香とヴィキングル・オラフソン。一見、タイプの違う奏者のように見えるが、本質的なところでは共通する部分が多いのかもしれない。その一つは、両者ともに音楽を共感覚的に捉えていることだ。庄司の場合は文字通り、“Synesthesia”(共感覚)と冠したプロジェクトを展開しているし、オラフソンについては昨年リリースしたアルバム『ドビュッシー ラモー』で「共感覚」への関心を示している(筆者によるレビュー参照)。もう一つは、音楽に向き合う姿勢。いずれも、卓越した技巧で観客を魅了する術を有しているにもかかわらず、時に周囲の存在を忘れてしまったかのように自らの世界に入り込み、ひたすら眼前の音に向き合う。それは誰かに向けて発しているというより、自己との対話といっても良いようなものだ。

この2人だからこそ生み出される独特の空間は、本公演ではとりわけ前半に見ることができた。まず1曲目のバッハ。鍵盤楽器から入る冒頭、オラフソンが指を下ろすと同時に舞台がモノローグの場と化す。彼の場合、パレットに並べられた色の数もさることながら、タッチや指さばきの加減も種類も豊富なだけに、個々の主題や対旋律が実に表情豊かに現れ出る。それ以上の旋律など不要とさえ思えるほどだ。だが、そこにそっと重ねられた庄司の、哀切を湛えた歌をひとたび聴いてしまうと、もはやこれなしではあり得ない、そんな気分にさせられる。胸にわだかまる思いがそのまま音になったような、心の声だ。

ただし、その音が紡がれるのはオラフソンが広げたキャンバスの上ではなく、彼女自身が新たに開いたそれの上。すなわち、彼らは「合わせる」というよりも、自らが起ち上げた世界を互いに重ね、あるいは並べていると言った風なのである。「調和」というより「共振」、「統合」というより「共存」という言葉が、このデュオにはふさわしい。

2曲目のバルトーク。ここでは庄司が絵筆を握り、オラフソンがその背景を描くよう。だが、その響きはやはり独特である。何よりも、彼らのバルトークでは土俗的な響きが追求されることも、民衆、民族といった共同体の声が聞こえることもない。むしろ、人間の内面の孤独を映し出したような厳しさに溢れている。その点では先のバッハと同質のものを感じた。特に第2楽章冒頭の、ヴァイオリンによる独奏と、それを包み込むかのごとく挿入されるピアノの和音。作者、奏者の枠を超えて人間の存在への問いが突きつけられるようであった。とはいえ、単に情緒的な演奏で閉じられるわけではない。第3楽章では、両者の武器でもある多彩な音色を自由自在に操り、時にリズムの一要素としながら突き進んでいく。テンポの変化もしなやかで淀みがない。情動の激しさや高まりはあるものの、この楽章ではむしろ各要素が精緻に彫られ、両奏者の怜悧な一面が現れていたように思う。

後半もこうした2人の特性がよく出ていた。プロコフィエフでは、5枚のタブローを見るように、曲ごとに一つの世界が広がっていく。最後のブラームスなど、ロマン派と言うよりもむしろ冒頭のバッハを思わせる。この第2番ソナタの場合、叙情的で甘く柔らかな旋律の美しさに依存してしまいがちだが、彼らの演奏ではこれらの主題にも冴えや静謐さが漂い、まるで心の襞を一つ一つたどるような繊細さがある。孤愁さえ感じさせるその歌は、やはり他者に向けてではなく、己に向けて発せられているようだ。

なお、アンコールでもバルトークを演奏したが、ここで庄司は一転してこの作曲家の民族主義的側面を強調してみせた。旋律やリズムの他、ピチカートやハーモニクスといったざわついた音色をたっぷりと効かせ、忘我のごとく挑みかかる。とはいえ、どんなに粗野に振舞っても「作品」としての形が崩れないあたりをみると、これも聴き手を虜にする彼女の技の一つなのであろう。

最後に補足すれば、庄司は足の故障のために座奏による演奏を行なった。足をかばうように舞台上を歩く姿には多少の不安も覚えたが、ひとたび演奏に入るやそうした懸念は完全に払拭された。一方、新型ウィルスが世界中で猛威を振るう中、オラフソンは来日後2週間の隔離措置を経てこの日本ツアーに臨んだはずだ。舞台にかける2人の音楽家魂が、演奏を通じてはっきりと伝わってきた公演であった。

 (2021/1/15)

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〈program〉
J. S. Bach : Violin Sonata No. 5 in F-minor, BWV1018
Bartók : Violin Sonata No. 1 Sz. 75
Prokofiev : 5 Melodies, op. 35bis
Brahms : Violin Sonata No. 2 in A-major, op. 100

〈cast〉
Violin : Sayaka Shoji
Piano : Víkingur Ólafsson