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小菅優 ピアノリサイタル Four Elements Vol. 4 Earth|大河内文恵

小菅優 ピアノリサイタル Four Elements Vol. 4 Earth
Yu Kosuge Piano Recital Four Elements Vol. 4 Earth

2020年11月27日 東京オペラシティ コンサートホール
2020/11/27 Tokyo Opera City Concert Hall
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<曲目>        →foreign language
ベートーヴェン:「森の乙女」のロシア舞曲の主題による変奏曲 WoO71
シューベルト:幻想曲 ハ長調 D760 「さすらい人」

~休憩~

ヤナーチェク:ピアノ・ソナタ「1905年10月1日 街頭にて」
藤倉大:Akiko’s Diary
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op. 58

~アンコール~
ショパン:ノクターン ロ長調 op.62-1

 

どうやら「小菅優」というピアニストを筆者は誤解していたようだ。この日の演奏には、これまで彼女に纏わりついていた、天才・スケールの大きい・キラキラした音色といった形容とは方向の異なるものを感じた。

Four elementと題し、四元素を水・火・風とめぐってきて、この最終回で辿り着いたのは「大地」。小菅自ら執筆したプログラム・ノートから、選曲の意図がはっきりと読み取れる。シリーズが始まった当初はまさか最終回の年に世界中が新型ウィルスによって外出もままならなくなり、コンサートを開くことも難しくなるとは、誰1人予想だにしていなかったわけだが、小菅がこのプログラムに込めた思いは、今の我々に染み入るものだった。プログラム・ノートはhttps://www.kajimotomusic.com/jp/news/k=3437 にて読むことができる(印刷されたプログラム・ノートとは若干言葉遣いが異なっている)。

さて、土色のドレスで舞台にあらわれた小菅が最初の演奏したのは今年生誕250年を迎えたベートーヴェンの変奏曲。テーマに続く変奏はときに立体的に、ときにくぐもった魅力的な音色をともなってすすみ、終曲でそれまでのモチーフが次々とあらわれて、連続ドラマの最終回のような様相。

シューベルトの「さすらい人」は比較的よく演奏される曲で、4楽章を聞くためにそこまでの長い時間を耐え忍ぶ印象が強かったのだが、小菅の演奏はそれを完全に覆した。奇を衒ったところがあるわけでもなく、まっすぐに音楽に対峙しているのだが、聴いていてまったく飽きないのだ。

随所で、マットなつまり艶消しの音色が魅力的に響く。音色というと、明度とか彩度で捉えがちだが、キラキラ輝くか艶消しかという尺度もあるのかと気づいた。キラキラした音色の魅力はよく知られているが、マットな音色にもこんなにも人を惹きつける力があったのか。しかも、小菅はその艶消し具合を状況に合わせていくつもの段階に使い分けている。

音楽を聴くとき、無意識に旋律を追いかけたり、和声の動きに心を奪われたりするものだが、音色のファクターが多いとそれ自体の移ろいが聴き手の心を動かす。外から入ってくる刺激は音なのに、自分の心の中にはその音色の動きによって心象風景が広がり、そこで繰り広げられているショートフィルムを内側から見上げているような不思議な感覚になった。

どこにも映像は映写されていなけれど、たしかにそれは見えるのだ。映像に音楽は必要かもしれないが、音楽に内実がたっぷり詰まっていたなら、映像は蛇足でしかない。筆者がコンサートに映像を使った演出があまり得意ではないのは、そういうことなのかもしれないと妙なところで合点がいった。

後半はヤナーチェクのソナタから。実際にあったデモとそれにまつわる死をテーマにしていることから想像される、重く悲壮感をもった演奏ではなく、少なくとも1楽章は明るくむしろかっこいい。この演奏を聞いて、自分もこの曲を弾いてみたいと思った人がきっとこの会場にいるだろうなと思え、ピアノ心を掻き立てる。この作品は作曲当初は3楽章で書かれたのだが、ヤナーチェク自身が後に楽譜を破棄してしまい、初演のピアニストの手元のコピー楽譜から1・2楽章のみ復元されたのだという。モノクロの映像をみているかのような2楽章の終わり方は、存在したはずの3楽章の存在を大いに感じさせるものだった。

続くAkiko’s Diaryは今年の8月に広島で初演された藤倉のピアノ協奏曲第4番のカデンツァ部分の抜粋で、初演の際にはこのカデンツァ部分は、原爆で亡くなった河本明子さんの遺品のピアノで演奏された。本日の演奏は譜面台に楽譜を置いておこなわれたが、そうとは感じられないもので、明子さんのピアノの高音の音色を再現するかのように、最後の部分はキラキラした音色で演奏された。

選曲も内容も充実したこのコンサートでの白眉は最後のショパンだろう。曲そのものがすでに大きな魅力をもっているが、小菅は音の輪郭をくっきりさせずにぼやかす。曲の魅力の上にパッセージの弾き方や音色で魅力を足していくのではなく、余計なものを引き算していくことによって、曲のエッセンスをあらわにしていく。よく声楽家は大きな声ではなく、小さな声でホールの一番後ろまで届かせられるかどうかが上手いかどうかの指標になるといわれるが、小さな針の孔を通して細い音の糸をホールの一番奥まで届かせる小菅の音には感嘆しかない。

4楽章はらしさ全開のスケールの大きな音楽だが、よくよく聞くと物理的な音量が特別大きいわけではない。音量ではなく音楽の大きさでスケール感をだせる技術力に驚くとともに、そのスケール感は小さい音との対比や音色の操り方など、計算し尽された構成力によるものであることに気づかされた。

アンコールのノクターンでは、再び弱音が美しく響き渡り、まるで即興的に弾かれているかのような場面もみられた。聴いているうちに、舞台の証明が月明かりにみえてきた。つくづく小菅のピアノは映像的である。

こういった演奏はオンラインにはなじまない。針の孔を通る細い音やマットな音色を、再生機器のレベルもわからないのに聴衆全員に届けられるとは到底思えない。小菅がオンラインコンサートをせず、生の演奏に拘る心情が納得できた。と同時に、このコンサートで、この困難な時代に音楽家にもやれることがあり、やるべきことがあるということが身をもって示されたのではないか。そのメッセージを受け取り、それをその場に居合わせることのなかった人々にも届けることは、バトンを受け取った人間の責務なのだと背筋が伸びる思いがした。

(2020/12/15)

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<program>
Beethoven: 12 Variations on the Russian Dance from ‘Das Waldmädchen’, WoO 71
Schubert: Fantasy in C major, D760 “Wandererfantasie”

–intermission–

Janáček: Piano Sonata 1. X. 1905
Dai Fujikura: Akiko’s Diary(2019)
Chopin: Piano Sonata No. 3, Op. 58

–Encore—
Chopin: Nocturne Op. 62-1