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Salicus Kammerchor演奏会 J. S. バッハの教会カンタータ|大河内文恵

Salicus Kammerchor演奏会 J. S. バッハの教会カンタータ
Salicus Kammerchor Concert Kirchenkantaten von J.S.Bach

2020年11月13日 日本福音ルーテル東京教会(オンライン配信)
2020/11/13 Tokyo Lutheran Church (online stream)
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 新村拓哉/写真提供:サリクス・カンマーコア

<演奏>        →foreign language
Salicus Kammerchor:
 ソプラノ/鏑木綾 金城佳枝* 中須美喜*
 アルト/岩田絵里、富本泰成*、前島眞奈美
 テノール/金沢青児*、 佐藤拓、柳嶋耕太
 バス/井上優、小藤洋平*、渡辺研一郎
 *ソリスト

トランペット ツィンク:宮田響
オーボエ:小花恭佳、中村恵美佳
フラウト・トラヴェルソ:佐々木華
フラウト・ドルチェ:譜久島彰
ヴァイオリン:丸山韶(コンサートマスター)、山本佳輝
ヴィオラ:佐々木梨花
チェロ:島根朋史
ヴィオローネ:諸岡典経
オルガン:新妻由加

指揮:櫻井元希

<曲目>
J.S.バッハ:カンタータ第182番「天の王よ、あなたを歓迎します」
カンタータ第103番「あなた方は泣き喚くだろう」

~休憩~

J.S.バッハ:カンタータ第78番「イエス、あなたは私の魂を」
カンタータ第99番「神の御業は正しきこと」

 

音楽美学を少しでも齧った者なら耳にタコができるくらい聞いたであろう、「音楽は作曲家や演奏家だけがつくりだすものではなく、それを聴く聴衆の存在があって初めて成立するのだ」という命題が、単なる哲学上の命題ではなく、さりとて、「聴衆がいなければ音楽産業は成り立たないから」といった商業主義にまみれたものでもなく、実感として感じられた演奏会だった。

大上段に構え過ぎた。話を等身大に戻そう。正直にいうと、バッハのカンタータには苦手意識があった。それゆえ、バッハのカンタータを扱った演奏会は無意識に避けてきたし、今回もSalicus Kammerchorでなかったら聞こうとは思わなかっただろう。洋の東西を問わず、古楽系の団体によくみられることだが、顔ぶれには入れ替わりがあり、中心メンバーも含めて、他のいくつもの団体でも活躍していることもあって、メンバー1人1人のさまざまな様式への適応能力が高い。裏を返すと、楽曲ごとの(場合によっては1フレーズごとの)様式感の違いへの対応力の高さが感じられた。

182番や103番のコラールのようにいかにもバッハらしいなと思えるところ、103番のテノールのレチタティーヴォや78番のソプラノとアルトの二重唱のようにオペラっぽいなと感じられるところ、182番のアルトのアリアの前半と後半の変わり目のようにルネサンスっぽく聞こえたところなど、カンタータのなかのピース1つ1つが異なる様式で書かれていることが如実にわかる。そういった様式の違いが聴きとれるようになったのは、彼らをはじめ、いろいろな演奏を聴いて耳を育ててもらったからだと、聴きながら気づいた。

素晴らしい演奏は、その素晴らしさを聴きとることのできる聴き手がいて初めて、存在することができる。逆に、そういった聴き手は素晴らしい演奏体験を積み重ねることによって培われる。鶏と卵の喩え話のように、この両輪がうまく機能してこそ、優れた音楽体験と演奏会が成立する。その相乗効果が演奏家も聴き手も育てることになるのではないか。言葉にしてしまうと至極当然のことの、その意味がストンと腹落ちした。

ここで演奏についてふれておきたい。楽器を担当した奏者たちは、明記されてはいないがLa Musica Collanaのメンバーが中心となっており、安定感があるばかりでなく、さりげない装飾などにセンスが感じられた。通奏低音が上手い団体は演奏レベルが高いというのが筆者の持論だが、セッコのレチタティーヴォなどはやはり通奏低音の安定感が抜群で、78番のソプラノとアルトの二重唱での通奏低音の軽やかさは特筆すべきものであった。また、99番の1曲目のイタリアっぽい響きはコンサートマスターをつとめた丸山の得意とするところで、聴きどころだらけの99番を始めるにふさわしい音色を堪能できた。

木管楽器はそれぞれの音色の違いを堪能するとともに、弦パートの補強といった扱いをされがちな当時の木管楽器が、じつは楽曲のキャラクターを構成する重要な要素になっていることが実感された。182番のソナタからすでにヴァイオリンとの掛け合いでフラウト・ドルチェが活躍するが、とくに103番の1曲目のフラウト・ピッコロは独特な下行音型の歌唱声部とお互いに引き立てあっており、99番のテノールのアリアのフラウト・トラヴェルソと同様、17世紀の初期バロック的な雰囲気をよく出していた。

また、78番のバスのアリアでのオーボエの存在感のすごさ。18世紀当時のオーケストラではフルートとオーボエは同じ奏者が演奏したりもするので、入れ替え可能な楽器というイメージを持っていたが、この演奏を聴くと、フルート類の楽器とオーボエは明らかに異なる目的で用いられ、使い分けられていることがわかり興味深かった。

楽器の配置同様、歌手の配置もよく考えられていた。今回、ソプラノとアルトの二重唱が2曲あるのだが、アルト・ソロは富本で変わらないものの、ソプラノは別々のソリストによって歌われた。78番は軽い声で健気さが感じられ、99番は重めの声で歌われるといったように、曲のキャラクターと声質とのマッチングが図られていた。いずれの二重唱もメリスマ部分が絶品だったことを言い添えておきたい。

最後に、コロナ禍におけるコンサートの現状を記しておきたいと思う。

ロックダウンに近い状況ですべての演奏会が延期や中止になり、オンライン・コンサートが出てきて以来、さまざまな形態が模索されてきた。この演奏会も延期になっておこなわれたもので、元々の日程(11/10)のほかに追加公演(11/13)がおこなわれ、さらに11月13日にはオンラインにて同時中継がおこなわれた。

リアル・コンサート+オンライン同時中継(+期限付きアーカイヴ)という形は、7月に「本村睦幸+ジュゴンボーイズ オンラインコンサート」でも視聴したが、これはpeatixを使い、チケットではなく事前に投げ銭をするという形だった。今回のサリクスはツイキャスのプレミア配信チケットの事前購入(過去2回のサリクスのオンライン・コンサートはYoutubeの同時配信(無料)でアーカイヴは有料で購入)。オンライン・コンサートの形はアーティストや主催者がさまざまな形態を模索する時期から、いくつかのやり方から選択するフェーズに入ってきたのかもしれない。

日本福音ルーテル東京教会という響きの良い会場だったこともあるだろうが、音質が非常に良かった上に画質も申し分なかった。撮り直しのできるディスク製作と違って、生の演奏会のオンライン配信は言ってみれば、一発本番で「ちょっと待った」はない。それは演奏そのものだけでなく、収録にも当て嵌まる。

感染拡大防止のため、ソリストの後ろには等身大より一回り大きなアクリル板がソリストの人数分置かれ、おそらくメンバー間のコミュニケーションや音響にも影響はあったはずだが、聴き手にはほとんど感じられなかった。そのあたりはリハーサルでクリアしてあったのだろう。

今回はオンラインのみを視聴したため、生で聴いたものが実際にどうだったのかは筆者にはわからないのだが、オンラインを意識して、より様式を明確にするなど工夫が凝らされていたように感じた。この経験は今後の彼らの音楽づくりに影響を与えるだろうし、聴くほうの我々の経験値もあげてくれた。コロナ禍だからこその産物といえよう。

(2020/12/15)

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<performers>
Salicus Kammerchor
Conductor: Genki SAKURAI

<program>
Johann Sebastina Bach: Kantate Nr. 182
“Himmelskönig, sei willkommen” BWV 182
: Knatate Nr. 103 “Ihr werdet weinen und heulen” BWV 103
–intermission–

Johann Sebastina Bach: Kantate Nr. 78 “Jesu, der du meine Seele” BWV 78
: Knatate Nr. 99 “Was Gott tut,das ist wohlgetan” BWV 99