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五線紙のパンセ|人生の出会い 点と点のつながりによる軌跡 3. ロサンゼルス|田中カレン

人生の出会い 点と点のつながりによる軌跡 3. ロサンゼルス
Encounters – Connecting the dots 3. Los Angeles

Text & Photos by 田中カレン(Karen Tanaka)

早いもので、季節はもう師走。今年は新型コロナウイルスのパンデミックで、本当に大変な年であった。アメリカでは、これまで表層下に潜んでいた社会の分断・分極がより顕著になり、人種差別の撤廃を訴えるBlack Lives Matterのデモが全国で一層活発に起こった年でもあった。

今回は、ロサンゼルスでの生活を通して、様々な出会いが点と点として繋がり、新しい進路や発見へと導いてくれた軌跡を考察したいと思う。出会いは予期しない時にふと現れることが多いので、見過ごさないで、将来へ繋がる点として育てる気持ちが大切だと思う。

2002年初夏、カリフォルニア大学サンタバーバラ校より客員教授の話があり、あれよあれよという間に話が進展し、9月から2年間の契約で教えることになった。パリには1986年から16年間住み、第二の故郷のように感じていたので、アメリカでの教鞭が終わったら、またパリへ戻る予定でいた。

サンタバーバラはロザンゼルスから車で1時間半ほど北上した町で、西海岸の海と山に囲まれた富裕層の住むリゾート地である。年間を通して温暖な気候で、郊外にはワイン畑があり、海岸にはサーフィンのスポットも多い。文化の香り高いパリから引越して、あまりに違う生活にカルチャーショックを受けた。毎日雲ひとつない青空で、雨は数ヶ月に一度しか降らない。お洒落でシックなパリの街、雨上がりの微妙な色彩や美しい光景を思い出しては、この先2年間もサンタバーバラには到底住めない…と、到着早々すっかり憂鬱になり落ち込んでしまった。

大学では、若い学生たちがTシャツにショートパンツ、ビーチサンダルのような服装でレッスンや授業にきたり、中にはサーフボードを持ってくる生徒もいて驚いた。率直で天真爛漫、何事にもポジティブ、しかし話していると頭脳明晰な学生が多かった。

エサ=ペッカ・サロネンと。N響の練習場にて

カリフォルニアへ引越した2002年秋は、大学での教鞭に加え、エサ=ペッカ・サロネンとイギリスのマイケル・ヴァイナー財団から委嘱されたオーケストラ曲の仕上げに追われて、大学のオフィスと家に篭りきりであった。同作品〈ローズ・アブソリュート〉は、2002年12月、サロネン指揮NHK交響楽団によりサントリーホールで初演された。

赴任してまもなく、大学の同僚から「教会 (イギリス聖公会)のオルガニストを探している…」という話があり、中学でオルガンを習っていたと伝えたところ、「是非弾いてほしい」ということに。昔取った杵柄ではないけれど、何とそれから13年間、その小さな教会のオルガニストを務めることになるのだった。

トマス・ニューマンと

サンタバーバラに到着して周りに友人もなく、知り合いといえばロサンゼルス・フィル音楽監督のエサ=ペッカ・サロネンと、アシスタント・コンダクターの篠崎靖男さんだけだった。ある日、サロネン指揮ロサンゼルス・フィルのコンサートを聴きに行き、演奏会後楽屋を訪れ、ご挨拶をして帰ろうしていた時、壁の隅の目立たないところに、私が長年憧れていた映画音楽作曲家のトマス・ニューマンが静かに佇んでいた。父親、叔父、弟も映画音楽作曲家という音楽一家の出身である。周りに誰もいなかったので、思い切って話しかけてみた。〈ショーシャンクの空に〉の音楽のこと、彼独特の楽器編成や旋法の使い方が好きなこと…など、初対面にも関わらず熱く話し、連絡先を交換した。普通だったら、もうこれっきり会う機会もないところだが、何と数日後、ランチに招待してくれたのだった。

時間は遡り、1985年に武満徹さんの演奏会へ行き、帰りに武満さんと毛利蔵人さんに誘われて3人で飲みにいった思い出がある。私は当時大学4年で、その年のMusic Today (武満徹さん監督)に曲が選ばれていた。お二人ともお酒が強く、私がジュースをオーダーすると「何だ君、飲めないの?つまらないねえ…」と。武満さんと毛利さんは、それから数時間、映画の話ばかり。「で、君はどんな曲を作っているの?」と聞かれ、今から思うと本当に恥ずかしいのだが、「なかなかうまく書けなくて…」と答えてしまった。武満さんに「ハリウッドへ行きゃ上手い奴はいくらでもいるから、上手く書こうなんて思わない方がいい…」と即座に切り返された。私の説明が足りなくて、「心にある音世界を的確に音に定着することが難しい」という意味で、愚かにも「うまく書けない」と言ってしまったのだが、「ハリウッドへ行きゃ上手い奴はいくらでもいる」という武満さんの言葉が、妙に心に残っていた。時を経て、ハリウッドを代表する作曲家トマス・ニューマンと偶然出会い、彼の物凄い才能に圧倒されることになるとは、その時は想像もしなかった。

ミシガン大学作曲家教授たちと (左より Michael Daugherty、Susan Botti、Evan Chambers、私、Betsy Jolas)

そうして2年が過ぎ、大学での教鞭を終える頃、今度は名門ミシガン大学の音楽学部から客員教授として招待され、1年間ミシガンで過ごすことになった。〈自分の意志で〉というよりも、〈時の流れるままに〉という感じであった。ミシガン州アン・アーバーは文化的な大学都市で、冬は寒さが厳しく11月から4月まで雪が深々と降り積もる。年間温暖なカリフォルニアとは違い、四季折々の美しい移り変わりを楽しむことができた。同僚には著名な作曲家マイケル・ドアティやフランスのベッツィ・ジョラス等がおり、優秀な生徒も多く毎日がとても刺激的であった。

1年が過ぎたころ、今度はインディアナ大学の客員という話もあったのだが、さすがに今回は自分の意志でカリフォルニアへ帰ることに決めた。ロサンゼルスへ戻りしばらくして、カリフォルニア芸術大学 (カルアーツ:California Institute of the Arts)の作曲科に教授として迎えられた。大学の正式名はThe Herb Alpert School of Music at CalArts。幼少の頃よく聴いていた父のレコード〈ハーブ・アルパート&ティファナブラス〉のリーダーの名前から命名されている。遠い昔の点が、40年以上を経て繋がった思いがした。

Sundance Institute Composers Lab のフェローたちと

ある日、出版社Chester Musicのニューヨーク・オフィスの担当者から、「サンダンス・インスティテュートの映画音楽作曲部門のディレクターに貴方のことを紹介しておいたから、一度会ってみて」と電話があった。この担当の人は、後にニューヨークの音楽出版社ショット社の副社長となり、現在でもお世話になっている。これがきっかけで、2012年夏、Sundance Institute Composers Lab for Feature Filmの6人のフェローの一人に選ばれ、ジェームズ・ニュートン・ハワードをはじめとする、ハリウッドを代表する作曲家たちに師事することになった。ここでの経験が、自分にとって正にLife Changing Experience (人生が変わるような体験)、人生の分岐点となったと思う。サンダンス・インスティテュートは俳優・映画監督のロバート・レッドフォードが映画製作者育成を目的としてユタ州に創立し、多くの監督、プロデューサー、作曲家を輩出している。

担当しているカルアーツの映画音楽作曲クラス。トマス・ニューマンをゲ ストに迎えて。アメリカ、ヨーロッパ、アジア、中近東、ニュージーラ ンドからの多国籍の学生さんたち

こうして、映画音楽制作を学び、短編映画、短編アニメーション、ドキュメンタリーなどを手がけるようになった。映画音楽の師匠ジェームズ・ニュートン・ハワードがハンス・ジマーを紹介してくださり、そのご縁もあって、2016年にはBBC制作のTVシリーズ〈プラネット・アース II〉(ハンス・ジマー作曲)のオーケストレーションも担当した。映画音楽関係の輪が少しずつ広がり、物凄い才能のある人々に出会うにつれ、武満さんがおっしゃった「ハリウッドへ行きゃ上手い奴はいくらでもいる」とはこういうことだったのか、と実感している。

 

アニメーション SISTERのポスター。第92回アカデミー賞短編アニメー ション部門にノミネートされた

2020年1月には、音楽を担当した短編アニメーション〈Sister〉が第92回アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされ、ノミネート昼食会やアカデミー賞授賞式に参加した。

人生の旅路で出会った人々、芸術作品やテクノロジーから多くを学び、それらが一つひとつの点として繋がり、常に新しい発見や境地へと導いてくれた。出会いの点は壊れやすく、見過ごしやすく、予期しない時にふと現れることもあるので、大切に育てていくことをいつも心がけている。

(完)

(2020/12/15)

 

 

Wind Whisperer の楽譜

Techno Etudes IIの初演。Ralph van Raat, piano 2020年10月4日 De Doelen in Rotterdam

Aube の初演。(アルチュール・ランボーの詩「黎明」より) Maya Fridman, cello; Diana van der Bent, narration 2020年10月28日 Cello Biennale Amsterdam

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田中カレン
プロフィール

東京都港区生まれ。幼少よりピアノと作曲をはじめ、作曲を湯山昭に師事。青山学院大学フランス文学科中退後、桐朋学園大学で作曲を三善晃に師事。1986年、フランス政府給費留学生としてパリに留学、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)研究員となる。作曲をトリスタン・ミュライユに師事。1987年ガウデアムス国際音楽週間にてガウデアムス作曲賞第1位。1990 – 91年、文化庁海外派遣研修員、ナディア・ブーランジェ奨学生としてフィレンツェで研修、作曲をルチアーノ・ベリオに師事。1996年タングルウッド夏期講習にてマーガレット・リー・クロフト・フェロー。1998年八ヶ岳音楽祭の音楽監督。2005年別宮賞受賞。これまでにISCM(国際現代音楽協会)音楽祭入選9回。

エレクトロニクスを用いた透明感と色彩感のある作風で注目を集め、作品は世界各国で演奏されている。BBC交響楽団、NHK交響楽団、英国アーツ・カウンシル、カナダ・カウンシル、米国芸術基金 (NEA)、ラジオ・フランスをはじめ、国内外の主要オーケストラ、音楽財団、音楽祭等からの委嘱も多い

映画やアニメーションの音楽も作曲。2012年、サンダンス・インスティテュート映画音楽プログラムのフェローに選ばれ、2016年にはBBCのTVシリーズ「Planet Earth II」(プラネットアースII) のオーケストレーションを担当。2020年には音楽を担当した短編アニメーション「Sister」が第92回アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされた。

主な作品はロンドンのChester Music (Wise Music Group)、ニューヨークのSchott Music (PSNY)、スイスのEditions Bim、イギリスのABRSM、ピアノ作品はカワイ出版、音楽之友社より出版されている。カリフォルニア芸術大学教授。ロサンゼルス在住。