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漢語文献学夜話|Depth of Stars|橋本秀美

Depth of Stars

Text by 橋本秀美(Hidemi Hashimoto)

古典文献を読む時、我々は、本来絶望的な千年の距離を忘れがちになる。何故なら、古典文献の言葉は現在の我々の頭の中で鳴り響き、意味の世界を再構成していくからだ。かくして、二千年前の学者と千年前・三百年前の学者たちが、我々の頭の中で持説を展開し、諸説が我々の頭の中にそれぞれ位置を得て落ち着いてくると、そこに伝統文化の形が現れてくることになる。
一般に、我々は過去の歴史を伝統として見ることを避けられない。過去に立ち返る方法が無い以上、過去は、常に現在から見られるものとしてしか存在できない。それは、宛も我々が星空を見るのに似ている。何万光年も何光年も、我々の日常的感覚からすれば同様に無限に遠く、両者の間に遠近を感ずることは出来ないから、全ての星はプラネタリウムのような一つの球面上に在るようにしか見えない。そこで、人々は本来は全くかけ離れた位置にある星々を結び付けて星座を作ったり、占いをしたりする。そのようにしか見えないのだから、星座で物語を作り、占いをすることも、間違いではない。しかし、たとえ頭の中だけにしても、星星とそれを見る私を同時に横から見る視座を得ることができたら、星星の間の距離を想像し、全く異なる宇宙の姿を思い描くことも可能になる。
古典文献を読むには、その時代の言葉をまず学ばなければならない。ところが、漢語の場合、古典の言葉が現代でもそのまま使われている場合が少なくない。その為、恐らく殆どの人が、現代語を基本として、そこに簡単な古典語文法の基礎知識を加え、古代と現代で異なる限られた単語の知識を学ぶだけで、古典文献の世界に飛び込んでいく。要は実践有るのみ、量をこなせば自然と分かる、ということになっている。
中古漢語として、魏晋南北朝期の仏典の語彙やその他文献に散見する口語語彙など、また、近世漢語として、宋・元・明の小説・戯曲などに用いられる口語語彙などは、特殊で分かりにくいものとして研究の対象とされているが、それ以外については、標準的古典語として一括りで考えられている場合が多いように思われる。しかし実際には、当然ながらそんなに単純ではありえない。

「恩」という言葉を例に取ろう。「恩」は、日本語でも使われている。それどころか、『菊と刀』では日本人の精神に最も大きな意味を持つ概念として「恩」が取り上げられていた。中国古典でももちろん同様の意味で、甲が乙に対して、何か乙の為になることをした時、「甲は乙に恩が有る」と言う。『説文解字』の解説も、「恩は、恵なり」だ。ところが、『礼記』の鄭玄注には、そういう意味で理解すると些かすっきりしない「恩」の字の用例が有る。例えば、人が亡くなった時、「その遺族と付き合いが有る場合は弔問し、亡くなった当人と付き合いが有った場合は死者を悼む」という『礼記』本文に対して、注は「人の恩は、それぞれ付き合いの有る相手に施す」と言う。弔問したり、死者を悼むことを「恩」と言うのだとしたら、何だか恩着せがましい気がしないだろうか。「弔問の際、葬儀費用の援助が出来ないのであれば、いくら掛かるか聞いたりするものではない」という本文の注は、「そういうことを言うと、恩を損なってしまうからだ」と言う。どうせ出さない葬儀費用を「恩」と呼ぶはずはない。又例えば、「乳幼児期に父母が既に他界してしまっている人の場合、祖父母の本名を口にすることを避ける必要はない」という本文の注は、「父母のことも知らないのであるから、恩は祖父母の名にまで及ばない」と言う。父母から受けた「恩」を子が祖父母の名前にまで及ぼすとでも言うのであろうか?
明らかに異なる意味で使われていると判断できる例も有る。例えば、人が亡くなった時の訃告の制度を説明した注に、「凡そ旧恩の有る人には、使いを出して死亡を知らせてやる」と言う。訃告は、恩義の貸し借りの精算をしようという訳ではなく、故人とお付き合いの有った方々にお知らせするというに過ぎない。又例えば、『礼記』本文が「狐は自分の巣穴の方角に頭を向けて死ぬ、仁である」と言う所、注は「仁というのは、恩という意味だ」と解説している。狐の恩返しのような背景が有ったりする話では全くない。その他少なからぬ用例を見ていくと、どうやら鄭玄は「恩」という言葉を「情」のような意味で使っているらしいことが分かる。「情が湧く」という時の「情」であり、交情とか感情とかいう意味で、「甲から乙へ何かしてあげる」という含みは全く無い。上に挙げた諸例も、全てそのように理解できる。

鄭玄が如何に突出した天才であったとしても、言葉の意味を勝手に改造したりできるはずはないので、「恩」という言葉を「情」のような意味で使うのは、漢代では普通であったと想像される。実際、例えば『礼記』の鄭注に有る「骨肉の恩」という言い方が、『史記』と『漢書』のいずれにも見られる。血縁親族の間の関係を一般的に指した表現で、「甲から乙へ何かしてあげる」という含みが無いことは明らかだから、我々の語感からすれば「骨肉の情」と言うべき所である。そういう場面で、漢代には「情」ではなく「恩」という言葉が使われていた。
面白いのは、現在ネットで「骨肉之恩」という言葉を検索すると、各種の成語辞典のようなサイトで、いずれも明代の『三国志演義』に見える言葉として紹介されていることだ。漢代の当たり前の言葉であることが忘れられ、明代の通俗小説で新たに使われるようになった言い方と捉えられているようだ。恐らく、誰かがそのような勘違いをして、後は各種の辞典やらサイトやらが、コピーを繰り返しているだけなのだろう。
辞典類を見ると、「恩」の字義として、第一が恩恵、第二が情愛、というのが、これもお決まりになっている。情愛というのは、現代でも夫婦仲の良いことを「恩愛」と言ったりするので、自然にそういう解釈になっているのだろうが、漢代の用例を解釈するには適さない。上に見たように、単なる知り合いや狐の巣などにも使われているのだから、「情愛」では少しズレてしまう。

中国語の辞典類は、その歴史分析において明らかに未発達で、例えば『漢語大詞典』は規模こそOxford English Dictionaryや『日本国語大辞典』に匹敵するものの、歴史分析の貧弱さは全く比べ物にならない。それは恐らく中国の文化が伝統を重んじてきたことと表裏を成す。或いは、中国は伝統を重んじ、歴史を軽視してきた、と言っても良い。革命が起こって王朝が交代すると、新王朝は自分たちの立場から旧王朝の歴史を整理する。歴史は常に、「修正」と「上書き保存」を繰り返されてきた。古典文献も、古代の言葉も、現代の人間が現代の立場で理解し解釈するものでしかなかった。歴史上の解釈者たちは、それぞれの現代の立場で経書を解釈し、自分こそが経書を正しく解釈していると信じ、過去の学者たちが何故どのようにして各種の異なる解釈を提起してきたかに思いを致すことが極めて稀であった。言葉についても全く同様で、同じ漢字が形を変えずに三千年使われ続け、その意味合いが相当に大きな変化を経ていても、その変化の歴史が詳細に検証されることはなかった。むしろ、古典の言葉は、三千年変わらずに使われていると考えることを好む人の方が多いのだろう。

過去は、実在しない。在るとすれば、それは現代人の頭の中にしかない。問題は、我々が頭の中で過去をどのように存在させるかだ。三千年の歴史が夜空の星のように自分の上に輝いていると感じる時、過去は伝統としての重みを持つ。伝統とは文化であり、その意味を否定することは難しい。しかし、伝統を重んじる人は、全ての過去を現在の自分の位置から見ることに終始し、プラネタリウムと星座の世界を離れたがらない。
鄭玄の注は、中国伝統学術の基礎であり、歴代の学者が皆それを読んできた。現在も、鄭玄についての研究論文や専著は続々と生産されている。しかし、鄭玄の注が読解できない、という声は殆ど聞こえてこない。研究しているぐらいだから、読解できるのは当たり前ということかもしれない。私にとって漢代は遠く、その言葉を理解することは容易ではない。恐らく半分も理解できていない。しかし、理解できていると思える部分も少なくない。だから、飽くまでも未知の言語なのだと自分に言い聞かせつつ、一字一字のニュアンスを丁寧に確かめていく。予期した意味で理解しようとして文意がすっきりしない場合は、その違和感を大事にして蓄積していく。違和感情報が増えれば、別の意味の可能性が見えてくる。そして、新たに予想した意味でこの字を理解してみて、前後の文字の意味とピタリと響き合い、意味の有る旋律が聞こえてくるなら、それは正解だ。このような作業を繰り返すことによって、我々は漢代の言葉に初めて二千年の距離を感じることが出来るようになる。それは、現代の伝統文化とは全く別の宇宙を探索することなのだと思う。

(2020/12/15)

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橋本秀美(Hidemi Hashimoto)
1966年福島県生まれ。東京大学中国哲学専攻卒、北京大学古典文献専攻博士。東京大学東洋文化研究所助教授、北京大学歴史学系副教授、教授を経て、現在青山学院大学国際政治経済学部教授。著書は『学術史読書記』『文献学読書記』(三聯書店)、編書は『影印越刊八行本礼記正義』(北京大出版社)、訳書は『正史宋元版之研究』(中華書局)など。