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藤倉大 オペラ《アルマゲドンの夢》|能登原由美

藤倉大 オペラ《アルマゲドンの夢》
《A Dream of Armageddon》Dai FUJIKURA

2020年11月21日 新国立劇場
2020/11/21 New National Theatre Tokyo
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

全9場 英語上演 字幕付        →foreign language
原作:H. G. ウェルズ
台本:ハリー・ロス
作曲:藤倉大

指揮:大野和士
演出:リディア・シュタイアー
美術:バルバラ・エーネス
衣裳:ウルズラ・クドルナ
照明:オラフ・フレーゼ
映像:クリストファー・コンデク
ドラマトゥルク:マウリス・レンハルト
合唱指揮:冨平恭平
児童・ソリスト指導:米屋恵子
舞台監督:髙橋尚史

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

芸術監督:大野和士

〈キャスト〉
クーパー・ヒードン:ピーター・タンジッツ
フォートナム・ロスコー/ジョンソン・イーヴシャム:セス・カリコ
ベラ・ロッジア:ジェシカ・アゾーディ
インスペクター:加納悦子
歌手/冷笑者:望月哲也
兵士(ボーイソプラノ):長峯佑典

 

コロナ禍を経験したいま、わずか1年前の世界が夢や幻であったように思える時がある。永遠に続くものと心のどこかで信じていた日常が、実は脆く儚いものであることをこの1年で思い知った。

新国立劇場で世界初演された藤倉大によるオペラ《アルマゲドンの夢》。同劇場芸術監督で指揮を務めた大野和士いわく、「 “夢” と “現実” が交錯するオペラ」。主要キャストなど海外勢が多数を占める本公演については、当初その開催が危ぶまれたが、演出を手がけたリディア・シュタイアーの「パンデミックの年にこそ上演すべき」との言葉に励まされたという。確かに、我々が住んでいた世界を一変させたこの災禍により、想定以上のアクチュアリティが与えられたことは間違いない。

原作は、イギリスの作家、H. G. ウェルズが1903年に発表した『世界最終戦争の夢』。今から約100年も前に書かれたテクストを、これまで藤倉と何度もタッグを組んできたイギリスの脚本家、ハリー・ロスが台本に起こした。

場面は現代の大都市を走る通勤電車の中。税理士のフォートナムが見知らぬ男、クーパーに話しかけられるところから物語は始まる。「夢と現実が入り混じることはないか」。彼は自らが見た夢の中の出来事を話し始めるが、それは決して夢ではなく、現実に生きた世界であったと主張する。そこで体験したものとは、美しい新妻ベラとの甘い生活、やがて押し寄せてきた全体主義の嵐、戦争の勃発、そして愛する妻と自らの死。

藤倉やシュタイアーらが力点を置いたのも、こうした「夢と現実の交錯」であったのだろう。舞台上では、2つの世界が絶えず入れ替わる。四方を囲むのは、天井まで高くそびえる鏡や多数のスクリーンだ。向きを変えながら乱立するそれらの巨大なパネルには、舞台上の演者が捉えられるとともに、庭や海辺といった日常の光景から、独裁者の演説、戦闘の場面といった過去の記録映像まで、様々なイメージが次々と投影されていく。あるいは、舞台上に現れた白い集団―仮面と防護服で武装した合唱団―は、全体主義の到来を予感させるとともに、紗幕にその映像が映し出されることによって、リアルとヴァーチャルの錯乱がもたらされる。つまり観客は、クーパーの生きた2つの世界の往来を余儀なくされるだけでなく、舞台と映像の二次元を行き交い、さらには、現在を軸に過去と未来という真逆の時間ベクトルへの想起が促されるのだ。クーパーの話さながらに、時間と空間の混淆、異次元の融解が目の前で起きている。

一方で、今回のプロダクションで注目すべきは、夢と現実の交錯というよりもむしろ、その「変容の過程」にあったのではないか。というのも、夢が現実に、現実が夢へと徐々に変容していく様子には、すでにコロナ以前から世界を席巻しつつあった大きな波が重なって見えたのである。

とりわけ、クーパーの話に耳を傾けていたフォートナムが独裁者のような風貌を見せ始める場面。まさに夢が現実の世界へと入り込み、現実が夢へと落とし込まれていく決定的な瞬間である。その後夢の中で出現するカリスマ的指導者イーヴシャムとの、一人二役をこなしたセス・カリコの歌唱と演技がここでは光っていた。フォートナムの体の内部から徐々に湧き上がってくるもう一つの声。一介の市民が横暴な権力者へと姿を変えていく様を彷彿とさせた。いや、両者は別物ではなく、もともと一方の内部に潜んでいたもう一方が何かに促されて姿を現すだけなのかもしれない。イーヴシャムとフォートナム、夢と現実を象徴するかのような2つの存在は、それらが本来同質のものであり、一方から他方へと容易に変容していくものであることを示していた。

さて、原作では夫に従うだけであった妻ベラは、ここでは率先して自由のための戦いへと挑んでいった。つまり、クーパーとベラの役割が入れ替わっていたわけだが、これは性差に対する現代の意識を反映させたものなのだろう。同時に、語り手であるクーパーとは別の軸を立てることで、物語に立体感が生み出された。ベラを演じたジェシカ・アゾーディの、凛々しく意志の漲る歌唱も一役買っていた。だが肝心の、過去から現在へ至る彼女の変節の様子は、氾濫する映像や音楽的要素を前にその輪郭が幾分ぼやけてしまった。

実際、音楽面については個々の場面や情景の描写に偏りがちで断片的、その表現についても特段目を見張るものはなかった。例えば、夫婦の愛や全体主義が醸成されていく場面での音楽的高揚感、あるいは戦争により世界が荒廃していく様子の表現法など、いずれも常套的なものであったと言わざるを得ない。むしろ、夢と現実の交錯、あるいはそれらの変容といった、演出で描き出された物語の核の部分が、音楽自体から浮かび上がってこないことにもどかしさを覚えた。

とはいえ、それでもなお今回の上演には大きな意義があったと言える。コロナ禍という点だけではない。すでに随分前から我々の世界ではあらゆるところに仮想空間が出現し、リアルとヴァーチャルの境目が失われつつあった。その境界の消滅にさらなる拍車をかけたのが、この疫病だ。今や人と接するのもモニターを介してとなり、リアルな世界はヴァーチャルの世界によってますます侵食されている。本作で映像が多用されたこと自体がまさに、そうした時代の変貌ぶりを物語っていよう。

そればかりか、原作者ウェルズが予言した全体主義や戦争の到来、その21世紀における再来の可能性もますます現実みを帯びている。その予兆となる社会の変容に目を向け、意識を促すものでもあった。我々が今直面する様々な変容が、象徴的に現れ出た公演となったのではないだろうか。

関連評:藤倉大 オペラ『アルマゲドンの夢』|齋藤俊夫

 (2020/12/15)

*ハリー・ロス、藤倉大、大野和士、リディア・シュタイアー「オペラ『アルマゲドンの夢』、無限の可能性を信じて」『新国立劇場 2020/21シーズン・オペラ 藤倉大「アルマゲドンの夢」』公演パンフレットp. 21

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Opera in 9 Scenes
Original by H. G. WELLS
Libretto:Harry ROSS
Music:FUJIKURA Dai
Conductor : ONO Kazushi
Production : Lydia STEIER
Set Design : Barbara EHNES
Costume Design : Ursula KUDRNA
Lighting Design : Olaf FREESE
Video : Christopher KONDEK
Dramaturg : Maurice LENHARD
Chorus Master : TOMIHIRA Kyohei
Children Soloists Master : YONEYA Keiko
Stage Manager : TAKAHASHI Naohito
Chorus : New National Theatre Chorus
Orchestra : Tokyo Philharmonic Orchestra
Artistic Director : ONO Kazushi

〈cast〉
Cooper Hedon:Peter TANTSITS
Forthum Roscoe/Johnson Evesham:Seth CARICO
Belaa Loggia:Jessica ASZODI
The Inspector:KANOH Etsuko
The Singer/The Cynic : MOCHIZUKI Tetsuya
The Soldier(Boy Soprano solo) : NAGAMINE Yusuke