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NHK交響楽団10月公演|西村紗知

NHK交響楽団 10⽉公演 東京芸術劇場
NHK Symphony Orchestra October Concerts at Tokyo Metropolitan Theatre

2020年10月23日 東京芸術劇場コンサートホール
2020/10/23 Tokyo Metropolitan Theatre
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>        →foreign language
指揮:鈴木雅明
サクソフォン:須川展也
NHK交響楽団

<プログラム>
武満徹/デイ・シグナル
武満徹/ガーデン・レイン
武満徹/ナイト・シグナル
ラーション/サクソフォーン協奏曲 作品14
※アンコール:スコットランド民謡/美しいドゥーン河のほとりにて
ベルワルド/交響曲 第4番 変ホ長調「ナイーヴ」

 

この度のN響の公演もまた、他の在京オケと同じく予定されていたプログラムから大幅に変更されて実施されたが、結果的には記念すべき回となった。というのも、バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明が指揮者として初登場する運びになったからである。思うに、このコンサートの聴きどころは、鈴木の意図も反映されているであろうこのプログラムのセンスも含め、モダンオケにおける古楽的な響き、といったもの。
まず、聴取感覚の帰属先であるところの主語が大きい、というのがこのコンサート全体に対する漠たる印象である。これがオルガン奏者でもあるこの指揮者の耳なのか、と妙に納得するようでもあった。この日の音楽はすべて、「我々」から発せられ「我々」に行き届く。どこか上方から、まんべんなく聴衆の方へ降り注ぐ音響。適切にコントロールされ、節度のある響きを提供するオーケストラ。武満の秘教的なファンファーレ三作品も、ラーションの新古典主義的なそっけなさも、そしてベルワルドの病気知らずでフックのない音調も。
ただ、主語が大きいといっても、排他主義的に「我々」を囲い込むような押し付けがましさは一切なく、――それはもちろんこの日の作品ではできないようなことではあるけれども――その選曲のことも含め、それは鈴木の音楽家としての美点なのだと思う。
しかしながら、不思議な感覚が今の今まで続いている。「我々」の構成員たる個人が覆い隠されている、わけでもなかろうし、また、万人に開かれた平易な音楽だった、とも思えない。よもやBGMとして聞き流せるものでもあるまい。
こうした引き算で捉えざるをえないものの感覚こそ、モダンオケにおける古楽的な響きの内実のような気がしている。
おそらくこれは、自意識の問題に関わっている。西洋音楽史の主流に、作曲家個人の自意識の問題が渦巻いているようなところがあるとして、鈴木のタクトは作品を自意識の桎梏から解き放つ。古楽の時代にこの日のプログラムが演奏されれば、おそらくこういう音楽だっただろう、とも思う。

金管楽器に息が吹き込まれると、会場全体がやわらかな陽光で包まれる。
最初は、武満の金管アンサンブル作品「デイ・シグナル」「ガーデン・レイン」「ナイト・シグナル」。このうち「デイ・シグナル」と「ナイト・シグナル」とが一対で《シグナルズ・フロム・ヘヴン》という一つの作品で、今回はその両楽章の間に、書法の異なる「ガーデン・レイン」という作品が挟まれて続けざまに演奏された。いずれも、金管楽器のロングトーンが絶えず鳴っているものだが、二つの「シグナル」はファンファーレ的で、「ガーデン・レイン」はそれこそオルガン独奏曲のよう。
楽器構成とフォーメーションが三作品それぞれで異なっており、「デイ・シグナル」と「ナイト・シグナル」は上下に楽器が分かれ、「ガーデン・レイン」は反対に二列でなるべく近くに集まるフォーメーション。そうして、前者ではステレオ的な立体感、後者では全員で一つの楽器として感じられる彫塑的な立体感が生み出される。
三作品すべてを通じて、音量・音色のコントロールには細心の注意が払われており、緊張の糸が張り詰めていた。しかし曲調としてはあくまでも柔和で、アンニュイで神秘的であった。そのアンニュイで神秘的という印象は、特に二つの「シグナル」に感じられるもの。少し、エリック・サティの薔薇十字団のための一連の作品に聞こえるような音程間隔を感じるようでもあった。だがなんといっても、それとは比べ物にならない音色の細やかさである。とりわけ、「ガーデン・レイン」の中間部、トランペットを中心に細かな音価で口々に喋り出すところなど。

ラーション「サクソフォーン協奏曲」においては、ソリスト・須川展也の冴えわたるコントロールで何もかもつつがなく進行する。時折、サックスの音の輪郭が弦楽器のざわめきに馴染んで溶け合っていく。
第一楽章、半音階の湿っぽいニュアンスの主題が楽章全体の性格を決定づける。これはサックスに受け渡されて息の長い歌ともなる。これとの対比で跳ねるような弦楽器の音型も登場するが、全体を通してずっと表情は控えめ。カデンツァでさえも激情からはとおく、大人っぽい表現。
第二楽章の入りには、なお一層穏やかなヴィオラとサックスのフーガがあり、このままオーケストラ全体に対位法的合奏が広がっていく。
第三楽章、ソリストと弦楽オーケストラとの関係性は、ヴィヴァルディの合奏における総奏と独奏のそれを思い出させるようであった。最後、ピチカートでなんとも呆気ない幕切れ。

ベルワルドの交響曲第4番。第一楽章、スリーコードの進行と順次進行によって、音楽が進展していく。どういう性格なのか聴き取ろうとしていたら、いつの間にか終わっていた。「これは習作なのか?でも第4番だし」と、未だに頭の中に?が浮かんでいる。
残念ながら第二楽章、第三楽章の聴取にも失敗してしまった。第二楽章のティンパニの使い方など、あまりに裏表がなさすぎて個人的に受け付けることができなかった。
古楽の奏法を思わせる階段式の強弱法で、音響全体がすっきりとまとまっており、ストレスを感じさせない演奏であった。ただ、この交響曲の性格がわからないのと、意表をつくような書法があまりにも少ないのとで、後味の悪い聴取体験となってしまった。もちろんこれは私個人の問題である。
この日を振り返るに、これらの音響を音楽という経験に引き入れるには、私の人間性は子供っぽさが過ぎる。

コンサートに何を聴きに行くかは、常に観客一人一人の積極的な態度に依っている。昨今の状況下で音楽産業全般の供給体制が揺れるなか、ますますこのことは自覚されてしかるべきであろう。自戒も込めて。

(2020/11/15)


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<Artists>
Masaaki Suzuki, conductor
Nobuya Sugawa, saxophone
NHK Symphony Orchestra

<Program>
Takemitsu / Day Signal
Takemitsu / Garden Rain
Takemitsu / Night Signal
Larsson / Saxophone Concerto Op. 14
encore: Scottish folk songs / Ye Banks and Braes O’Bonnie Doon
Berwald / Symphony No. 4 E-flat Major “Sinfonie naïve”