Arts Review|石橋財団コレクション展「新収蔵作品特別展示:パウル・クレー」|柿木伸之
石橋財団コレクション展「新収蔵作品特別展示:パウル・クレー」
Text by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
会期:2020年6月23日〜10月25日
会場:アーティゾン美術館
石橋財団は、2019年にパウル・クレーの作品をまとめて24点購入した。当財団は、1958年に日本国内で初めてのクレーの個展を開催し、昨年までに3点の作品を所蔵してきたという。今回の新規収蔵が、2020年1月のアーティゾン美術館の開館を見据えたものだったとすれば、この新しい美術館のコレクションにおいてクレーの作品が重要な位置を占めることになろう。
2020年10月25日まで、新規収蔵の24点にコレクションのなかの《島》(1932年)を加えた25点が、常設展のフロアの一角に展示されていた。一見してこの作品群の重要性が伝わってきた。チュニジアへの旅をつうじて色彩を見いだしたと画家が日記に記した第一次世界大戦中から、ベルンでの晩年までの作品を網羅したコレクションには、重苦しさを増していく時代と対峙しながら独自の絵画の道筋を探るクレーの息遣いが伝わってくる作品がいくつも見られた。
まず目を惹くのは、第一次世界大戦直後の1919年に描かれた二つの対照的な作品である。《庭園の家》が白を基調とし、画面全体が静寂に包まれているのに対し、《チューリップ》は、画面の大部分が血の色を思わせる赤に塗られ、上へ伸びる激しい運動を感じさせる。とはいえ《庭園の家》をよく見ると、その画面が二つの力の均衡において静止していることが分かる。右端の矢印が示すように、家を包む天幕のように引かれた白い線は天へ向かい、家の影のように引かれた黒い線は地へ向かっている。
これら相対立するヴェクトルの均衡のうちに立ち現われる空間には、天から柔らかな光が注がれている。そして、人工的な建築と有機的な自然の融合が色彩の配置によって示されるなかには、月や星のような天体を思わせるモティーフも見られる。家の戸口から延びる形態は、天への階梯のようだ。これら天上への憧れを示す要素が、人影を思わせる黒い線との対照において浮かび上がるのを目の当たりにするとき、「庭園」とは墓地ではないかと思われてならない。
《庭園の家》は、フランツ・マルク、アウグスト・マッケといった戦死した友人をはじめとする第一次世界大戦の犠牲となった死者への哀悼を胸に描かれたのではないだろうか。黒い線の端が天からの桃色の光の筋と結びつくところには、救済が暗示されているのかもしれない。こうした死者への思いは、《チューリップ》においては、生への渇望と一つになっているように見える。
《チューリップ》においては、同時代の表現主義を思わせる粗く、激しいタッチで描かれた緑の葉の伸びる動きが、背景の赤との強烈な対照において浮かび上がっている。その動きは、レースのカーテンを突き破らんばかりだ。その一方で、線だけで描かれた花は背景に退いている。そして、茎を伸ばし葉を拡げる運動が、白い線によって際立たせられることによって、焔のなかから湧き上がるかのように見えるのも特徴的である。
もしかするとクレーは、戦争で血を流した者たちの魂の変容をチューリップの生長のうちに見届けようとしたのかもしれない。その眼差しは、みずからの生への希求と一つになっていよう。このように、死者の魂を胸に抱きながら同時代の歴史的状況に向き合う画家の姿勢は、今回展示されていた他の作品からも感じ取られる。それが最も直截に表われているのが、1933年に描かれた《立ち向かう矢》であろう。
ナチスがドイツで政権を掌握した年に描かれたこの作品では、どこまでも褐色──ナチスの突撃隊は褐色の制服に身を包んでいた──に染まっていくタイル状の継起に、赤い矢印が対峙している。この年クレーは、迫害に晒されるなか、故郷のベルンへの実質的な亡命を強いられるわけだが、その後も絵画の新たな展開を模索している。このことを証言する《踏切警手の庭》(1934年)も、今回見ることができた。そこでは、粗く切り取られたダマスク織の布の上で、穏やかな色彩の配置が風を受けるようにして揺らめいている。身を委せたくなる運動を、媒質の選択と画面の構成の双方によって惹起する作品である。
この《踏切警手の庭》を含め、今回の展示作品を見てあらためて思ったのは、抽象的な形態と色彩の配置にさりげなく運動を忍び込ませるという、クレーの絵画の際立った特質である。例えば《数学的なヴィジョン》(1923年)では、モビール状の立体的な形態の構成に、矢印を含めた記号が加わることによって、静かな揺らぎが引き起こされている。あるいは、《宙飛ぶ竜の到着》(1927年)では、幾何学的な形態そのものが、夜闇のなかに漂着する。
そのような静かな運動は、つねに画面そのものを出現させる力でもある。このことを感じさせる作品として特筆されるべきなのが、《庭の幻影》(1925年)であろう。この作品では、太陽のような赤い円の下、煉瓦の壁に染み込んでいたかのような植物的な形態の配置が、無数の粒の飛散する動きとともに柔らかに浮かび上がる。その運動が音響を感じさせるとともに、この出来事が方法論と緊密に結びついていることに注目して、ピエール・ブーレーズは、彼のクレー論──『クレーの絵と音楽』(笠羽映子訳、筑摩書房、1994年)の題で翻訳されている──の図版に選んだのかもしれない。
石橋財団が新たに所蔵した24点の作品群は、画面を響き出させる運動を構成するクレーの方法が、同時代の歴史と対峙しながら紡ぎ出されていることを生き生きと示している。さらに、その方法が1910年代半ばから色彩と結びつきながら、彼が『創造の信条告白』──今回その初版本も展示されていた──で述べているように、「見えているものを再現するのではなく、眼に見えるようにする」ことも伝えている。冒頭で述べたように、晩年までの画業を網羅していることを含め、クレーの芸術に対する深い見識によって裏打ちされたコレクションであることは間違いない。
すでにベルンのパウル・クレー・センターでまとめて展示されたこともあるというこのコレクションについて、できれば展示のなかで少し説明がほしかった。その24点の作品が近い将来に、日本各地の美術館に収蔵されているクレーの作品とともに、かつ画家の制作──そこには作品の分類などによってその価値を創出する活動も含まれよう──全体を視野に入れた研究の進展も反映させるかたちで、あらためて展示されることを望む。そうすれば、クレーの美術の新たな魅力とともに、困難な歴史的状況における芸術の道筋も照らし出されるにちがいない。
付記:本稿執筆に際し、「新収蔵作品特別展示:パウル・クレー」のカタログ所載の島本英明「石橋財団新収蔵のパウル・クレー・コレクションについて」を参考にした。
展覧会ページURL:https://www.artizon.museum/exhibition/past/detail/43
(2020/11/15)
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柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
鹿児島市生まれ。現在、広島市立大学国際学部教授。専門は哲学と美学。20世紀のドイツ語圏を中心に言語や歴史などについての思想を研究する傍ら、記憶とその表現をめぐる問題にも関心を寄せつつ著述を行なう。著書として、『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』(岩波新書)、『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)、『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会)などがある。訳書に『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(アルテスパブリッシング)がある。音楽や美術に関する評論もある。
個人ウェブサイト:https://nobuyukikakigi.wordpress.com