私がものを書き始めたのは|初めてのヨーロッパ放浪で|林喜代種
初めてのヨーロッパ放浪で
Text by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)
20代後半、東由多可の東京キッドブラザースと4月から8月までの120日間のヨーロッパ漂流の旅に出た。その年の3月末頃にこの話が持ち込まれたのは劇団キッドに関係している友人からだった。
当時は大学を出て美術大学の付属学校で写真を学んだ後、写真専門学校の助手をしていた。昼間は写真を撮りたいので夜学の勤務をしていた。正確ではないかも知れないけれども、写真を目指しておおよそ5年位たった頃だと思う。写真学校の助手をしながら写真を撮り続けていても写真で食っていけるという目途は全くなかった。学校には色んな写真家が出入りしていて刺激はかなりあったように思う。でもこのヨーロッパ放浪4か月の旅の話が飛び込んできた時、まだ見ぬ外国のことで胸が膨らんだ。日本以外で何かを吸収したいという気持ちが段々と強くなっていった。
学校を辞めてヨーロッパを120日間放浪してくると学校に伝えると緊急職員会が開かれた。困ったことになったと思った。案の定、学校はうまくいっているので今辞められると困るとも言われ、いろんな人から賛否の意見があったように思う。それまで黙っていた同僚の助手が、行ってきて欲しい。みんな何かを求めて生きている。そういうチャンスがあれば自分も行きたいと賛成の意見を言ってくれた。正直嬉しかった。そして校長が後のことは帰国してから考えようという事にしてくれた。一応4月~8月は休職ということになった。これで帰国後も職探しをせずに済んだ。旅行費用は往復旅費、滞在費込みで30万円だった。1ドル360円固定相場時代。もちろん駆け出しのカメラマンにそんな金はなく親に頼らざるを得なかった。
東京キッドブラザースはこの期間パリ、ローマ、アムステルダム、ロッテルダム、ミラノ、ボローニャ、ローマ、ミュンヘン、ブリュッセル、アントワープ、アルジェ、ジュネーブ、などで公演した。公演のないときはフリーで自由に写真を撮ることが出来た。当時パリなど各地の日本航空支店宛に届いた日本からの手紙を受け取る事が出来た。受け持ちだった学生からの手紙は楽しみだった。
このヨーロッパ放浪で自分に課した事があった。それは1日最低1本必ず撮影すること。当時使用したのはモノクロ36枚撮りフィルム。そして宿泊場所でその日撮ったフィルムを夜現像した。フィルム・現像材料は日本から持って行った。その日の内に写真を確認できたので翌日の撮影の参考になった。カラーフィルムは持参せず、モノクロフィルムに絞った。毎日現像することに苦痛を感じることはなかった。次はこう撮ろうと考えることが明日へと繋がっていった。この時の写真はほかの人の文とともに講談社から単行本となった。この時の経験がもとで写真を続ける自信につながった。
(2020/10/15)